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島国ニッポンの山国から

地球温暖化、クルマ社会の諸問題、時評、街作り提言などを島国の中の四方を山で囲まれた山形盆地からのつぶやき

高速道路の無料化問題を考える ①

2009-09-10 21:47:56 | クルマ社会の問題
 既に無料の高速道路は至る所に
 通常、高速道路とは「交差点などを無くすなどの出入り口制限の実施や、上下分離することなどでクルマの高速走行を可能とした道路のことであり、他の道路とは独立しており、クルマの出入りは交差点を用いず、インターチェンジを用いる。また信号機も用いない」道路のこととされている。
 つまり、外観の構造上は高床式の「檻の中」の道路であると言える。
 だが、実際に走行するクルマの速度を見る限りは「高速道路」と「一般道路」とでは大差がないようにも思えてならない。
 今日はJRローカル線の普通列車に乗車したが、このローカル線と併行する国道を走る乗用車の速度の速さには怒りを覚えるほどだ。
 国道とはいえ高速道路ではないから確か制限速度は60kmのはずだが、私の乗車している列車と速度は変わりがないから、多分80km以上は出ている。
 それも1台や2台ではなく、途切れもなく続いて走るクルマのほとんどが同じ速度で走っていることは確かである。
 市街地を離れた人家などが少ない農村地帯ということもあって、交差点も少ないために存分に速度を上げて走りたくなるのであろう。
 だから、もう事実上の高速道路である。
 それも無料で走っている。
 このように、国道であれ県道であれ市町村道であれ、郊外部の一般道路は車輌が特別に多くならない限りは「事実上の無料の高速道路」となっている。
 これでは高い料金を支払ってまで「檻の中の道路」を利用しようとするドライバーが少ないのは当然であり、こんな事情から「高速道路の無料化」が提唱されるようになったのであろう。
◎写真 山形市東部を走る国道13号 高速で走る大量の車の騒音で里山の情緒は死滅状態

高速も県道も区別が困難

2009-09-08 00:31:45 | クルマ社会の問題
 前回の記事の続きになるが、「幻の古戦場」を文字通り「幻」にしてしまった高速道路とほぼ併行に走る幹線道路があるので、まるで2本も高速道路が併行しているように見えるほど、どちらも膨大な予算が投じられていることが伺えた。
 幹線道路とは言っても県道であるが、二車線で、かなりゆったりとした幅に造られているし、走行するクルマもかなりの速度(たぶん高速道路と大差はないようだ、むろん違反速度)を出しているから、やはり高速道路が2本も併行して走っているのと同じようなものだ。
 ただし、今のところは高速道路は有料だから、たとえ1000円でも近距離ならば県道の方を走るだろうから、やはり高速道路を走るクルマは少ない。
 また、高速道路は両脇が高い金網と生垣が張り巡らされているから、まるで米軍基地のようであり、これが一般道路との大きな違いであろう。
 ともかく、建設費だけでも膨大であり、それに維持管理費もかなりになろう。
 高速を無料化などとんでもない。県道とて有料にすべきくらいに公費が投じられているはずだが、そのためには料金所を高速道路の何十倍も新設する必要が生じよう。

◆写真[上左]これが県道。この瞬間は車輌数が少なかった。[上右]手前が高速道路、向こうが県道のアーチ橋[下左右]高速道路。金網によじ登ってもこの程度しか撮影できず。たぶん、右の路面あたりが古戦場か。夏草や兵どもが・・・と吟じたいところだが、草も生えぬアスファルトでは詩歌の心も湧かない。

古戦場は高速道路の橋の下?!

2009-09-06 22:11:22 | クルマ社会の問題
 幻の古戦場がいよいよ本格的に幻に

 戦国時代の末期、米沢の伊達輝宗と上山城主との連合軍が山形城主の最上義光の軍勢とが戦ったという「柏木山古戦場」はこのあたりと考えられている。
 伊達輝宗とは有名な伊達政宗の父であり、その妻は最上義光の妹であるから、義理の兄弟が戦ったことになる。
 後世の江戸時代になって著述された数点の記録書や軍記物にその旨が記されているが、具体的な年号が記されていないために史実性が疑われ、「幻の古戦場」とも言われている。
 だが、当時の混沌とした時代背景からすると、この種の戦闘はまったくありえないことではない。
 ともかく確かに最近までは「柏木山古戦場」と記された案内説明版があったはずだが、先日訪れた時にはとうとう見つけることはできなかった。
 上の写真の丘陵のすぐ背後には「東北中央高速道路」が走っており、その建設の際に取り外された可能性が高い。
 地元の郷土史家たちはこの丘陵の南麓(写真では向かって左側)一帯で両軍が戦ったと考えているようだ。
 したがって、下の写真はその高速道路だが、ちょうど橋の下や橋がとぎれた盛り土の上に道路が敷設されたあたりが戦場の中心部だったと考えられる。
 またしても、「クルマ社会」は歴史を消してしまったと言える。
 たとえ「幻の古戦場」であっても、更に「幻」にしてしまったわけである。
 この記事を大阪の「橋下」知事さんにも読んでもらいたいものだ。
 でも、あまり関係ないか。

◆関連記事  姉妹ブログ「山形の過去、現在、未来」(9月7日付けの記事)(←クリック)

人命か静寂か(“エコカー”の静音問題)

2009-09-02 19:59:18 | クルマ社会の問題
 いま、ハイブリッド・カーなどの“エコカー”の売れ行きが好調のようだが、思わぬ所から次のようなクレームと要望が寄せられており、メーカーはむろん、行政もその対応に苦慮しているようである。
 “エコカー”なるものが本当に環境に優しいのか、とりわけ地球温暖化の主要因である二酸化炭素の排出削減に貢献するかどうかについてはやや疑問であるが、今回はこの問題は問わないことにしたい。
 そのクレームとは、“エコカー”がガソリンエンジンを駆使することが少ないためにエンジン原因の騒音の低下により聴力が低下した高齢者などには後方にクルマが近付いていることに気付きにくくなって事故の危険性が高まり、それゆえに別に音が出る装置の付加が要望されるということのようである。
 “エコ”であるとか“環境に優しい”ことの大きな一つとして“騒音”の低減が挙げられるはずだが、それにより事故の危険性が高まるのだとすれば、“騒音”も人命のためには不可欠であり有用ということになる。
 しかし、これは明らかに本末転倒の議論である。
 問題はクルマの騒音が低減されたことにあるのではない。
 いかに騒音が低減されたにせよ、クルマという重量のある物体がか弱き肉体の人間が歩行したり立ち話したりする所に殺傷力のあるスピードで走行することに問題がある。いわゆる制限速度でさえ生身の人間を殺傷する力は充分にあるのだ。
 だから、対策としては新たに音響装置を付加することではなく、少なくとも高齢者や児童などが多く利用する生活道路においてはホシュ主義=歩主主義、つまり「歩行者主体」「歩行者優先」にしてクルマは極力徐行とすべきではないか。
 エコカーよ、そこのけそこのけ人様が通る。
 えっ、これではますます景気が沈滞する?
 心配御無用! 欧米各地の歩行者優先の街はどこでも活気に溢れ、賑わっている。(写真はいずれもハイブリッドカー。再掲)

20km/hでも高速

2009-08-24 22:45:55 | クルマ社会の問題
 かなり古い新聞記事だが、紹介したい。

 時速20キロの衝突でも危険運転致傷罪、最高裁が判断

 自動車を時速20キロで運転中に信号無視をして衝突事故を起こし、相手にけがをさせたのは危険運転致傷罪に当たるかどうかが争われた刑事裁判で、最高裁第2小法廷(古田佑紀裁判長)は、14日付の決定で、「時速20キロは重大な危険を生じさせる速度と言えるから、危険運転致傷罪が成立する」との判断を示した。

 この裁判は、札幌市西区の男性被告(35)が2003年11月の未明、同市内で衝突事故を起こし、相手の車に乗っていた2人に軽いけがを負わせたとして、同罪などに問われたもの。被告は、交差点手前で赤信号で停止している車を追い抜こうと、対向車線に出たところ、左折してきた車と衝突していた。

 同罪は、<1>信号無視<2>重大な危険を生じさせる速度――が重なったケースなどで成立する。弁護側は「時速20キロでは重大な危険は生じない」などと主張したが、第2小法廷は1、2審に続いて弁護側の主張を退け、被告の上告を棄却した。懲役1年6月の実刑とした1、2審判決が確定する。
(読売新聞) - 3月16日

 ※写真は山形市内の幹線道路に並ぶ渋滞中の車列 たぶん20km以下だが、これでも人間を撥ねて死なす力はある。

ホシュ党(歩主党)宣言

2009-08-19 09:57:50 | クルマ社会の問題
 いよいよ今日から衆議院議員選挙戦がスタートした。
 はたして自民党が勝つか民主党が勝つか、いずれにしても保守政権であることには変わりがないものの、民主党の方がやや革新的性格が強いと言われている。
 でも、私はホシュはホシュでも、きわめて明治時代以前の様相に近い「歩主」的思考の持ち主である。
 えっ、それでは私は「封建主義」思想の持ち主なのであろうか。
 でも、バスも飛行機も新幹線も路面電車も、また消防自動車などの近代文明の申し子のようなものも是認している。
 ただし、是認とは言っても、あくまでこれらの交通手段すら「必要悪」としての是認である。なぜなら、これらの交通手段とて人間にたとえれば決して「聖人君子」ではありえないからである。
 なぜなら、当然事故を起こす可能性はあるし、排気ガスや騒音、振動も振り撒く。むろん、直接的・間接的に化石燃料を使用する限り二酸化炭素も排出する。
 ましてや、現在のようにクルマの個人的使用が蔓延していれば環境的負荷も社会的負荷もべらぼうに膨大になる。
 だから、高速道路の低料金や無料化を提唱する政党は「保守政党」というよりは「車主党」と呼ぶべきであろう。あるいはシャカイシュギ政党とも言える。つまり、「車会主義」の政党だからである。
 ほとんどの国民が歩行していた時代はどんな田舎町でも商店街は賑わい、洒落た外観の店舗が並んでいたものだが、クルマ優先の現代はどこの中小都市も中心街がさびれ、洒落た店舗の跡地は駐車場になり果てるしかなくなっている。
 景気回復も大事なことはわかるが、そのためにますます地方社会の疲弊度が増し加えられるようであってはならない。
 ただし、ホシュ(歩主)党は有るや無しや? 悩み深き我なり。

◆写真 市民の往来で賑わう大正時代の山形市中心街

依存症 国家推奨か違「法」かの違い 

2009-08-11 15:49:53 | クルマ社会の問題
 世間とマスコミは“法の番人”のような名前の“清純派”タレントの覚醒剤依存をさかんに責め立てる。
 彼女の逃避行において自分の車を使用しなかったことは「罪の上塗り」にならなかった。酒気帯び運転どころか、薬物帯び運転になっていたからである。
 アルコール依存も怖いが薬物依存も怖い。
 アルコール飲料を飲むこと自体は決して違法ではない。ただし、酒気帯び状態でのクルマの運転だけは違法である。それに対して薬物については医師などが行う医療行為以外はたとえわずかでも使用や服用は違法であり、むろん「法」の字が名前の一部になている人物はなおさら使用・服用は許されない。
 だが、まだまだ怖い依存症がある。
 それも“国家公認”どころか“国家推奨”の依存症だから恐ろしいこと限りない。
 それはクルマの使用のことであるが、過去数十年間、クルマは生産段階から国家の基幹産業として手厚く公的機関から支援され、道路などクルマの円滑な走行のためのインフラ整備のために巨費が投じられてきた。
 むろん、高速道路の千円での乗り放題や民主党が約束している高速道路の無料化政策もその一環であるが、昨日の静岡での地震の復旧事業の中で最優先とされているのも東名高速道路の路肩崩落の復旧であることがそれを雄弁に物語っている。
 最近の各地での豪雨や竜巻等による被害は単にエルニーニョ現象ばかりが要因とは言えず、かなり地球温暖化による気候激変に因るところが大きく、クルマが地球温暖化の主役(クルマの走行を支えるクルマ社会全体を含む)であるにもかかわらず、日本人の多くはあいも変わらずクルマを手放せないでいる。
 もはや生活には欠かせないなどと言う者も多いが、日常生活でのストレス発散のために「高速千円乗り放題」をどんどん活用しようとばかりの人物も少なくない。
 これでは法子さんの違「法」な覚醒剤使用と大差がないではないか。
 否、覚醒剤使用は非使用の他人に直接的に害悪を及ぼすことはないのに対し、クルマの使用は二酸化炭素や大気汚染、騒音等をばら撒き、他人に対する死亡事故さえもたらすから、この意味では覚醒剤使用よりも害悪が大きい。
 そのような人物が多いからこそ“高速”道路はすぐに“渋滞”道路になってしまい、“車用族”のストレスを更に高めるのである。
 

自転車を乗車させる列車

2009-08-03 23:15:36 | クルマ社会の問題
 函館の友人から届いた情報と写真を紹介したい。
 なんと、列車に多数の自転車が積み込まれている写真にいささか驚く。
 ヨーロッパなどでは、そのような列車があり、それが日常的になっているという話はかなり聞いてはいる。そうならば、各駅前での溢れるばかりの自転車による銀輪公害はかなり解消されるはずだが、日本ではなかなか普及していない。
 今回は自転車愛好グループが主体のイベント的なものだが、それにしても鉄道会社はよくぞ同意してくれたものだと関心したくなる。
 これが単なるイベントとしてのみ終わるのではなく、日常的なものになることを願いたい。それも、鉄道列車だけでなく、バスの場合もそうであってほしい。
 バスの後尾の外側に自転車を積んで自転車利用者のために奉仕しているバス機関が自動車大国アメリカのボルダーにあることをも、ついでにここで紹介しておきたい。
 

歴史遺産を軽視する道路造り

2009-07-17 15:18:55 | クルマ社会の問題
 このことについては下記の姉妹ブログでも論じているので、ぜひ閲覧願いたい。
   「山形の過去、現在、未来」  
    ↑ クリックにより閲覧できます。

※写真は「かくれ石」から2kほど離れた所に建つ「首塚」
    直江兼続が総大将の上杉軍の戦死者多数を埋葬した所と言われている。

なおも進むクルマ依存社会

2009-07-10 21:57:55 | クルマ社会の問題
 クルマ離れが進んでいる?
そんなの、全然信じられない。
 このとおり、つい二ヶ月ほど前に解体されたばかりの老いた職人さんが住んでいた住宅は今やすっかり駐車場と化している。
 クルマの売れ行きが悪くなったとは言われながら、市街地での駐車場の面積は拡大する一方で止まるところを知らない。
 古い建物が解体された跡地の活用法として安易に思いつくのが駐車場化であり、まさに「ちょっとだけの資産家」たちの簡便な小遣い稼ぎのための手段とされる。
 まさにクルマ離れの中で進むクルマ依存症である。
 こうして、古い市街地は虫食いのようにクルマに食い荒らされて駐車場だらけにないる。
 こんな街の様相に「文化性」など微塵もない。