天地を 照らす日月の 極みなく あるべきものを 何をか思はむ 

わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても あはむとぞ思う

最善手を求めて

2009年05月09日 | Weblog
 破天荒人生「最後の無頼派」と言われた囲碁の名誉棋聖、藤沢秀行さんが、昨日亡くなった。享年83。

 「免状のハードルが高すぎる、赤字体質の改善は遅々として進まず、世界に通用する棋士を育てようとしない、執行部に将来の囲碁界への展望もない」と日本棋院とは別の独自の段位免状を発行、日本棋院から除名処分を受ける。「この間の生きざまというか囲碁人生は、それまでと何ら変わることがありませんでした。研究会や合宿も以前と同じようにやってきました。私自身は拙を守って、このまま朽ち果てるつもりでした。」執行部は一新され、いい方向に動き出すと「老残の身にできることはそう多くはないでしょう。しかし日本棋院に育てられた私が、最後の力を振り絞ってお役に立てることもあると思います。」と日本棋院へ復帰した。

 碁とは盤上に描かれる「生の表現」だという思いを抱き続けた。「どうやったら強くなれるか」という問いに、「定石にとらわれずに、いちばん打ちたい手を打てばいい。楽しい思いだけで強くなれるはずがないんだ。自分自身が苦しんで、工夫しなくてはいけない」と「自分がいいと思ったことはどんどん教えてしまう。その結果、若い人が自分を負かしてしまっても、それは仕方のないこと。」無論人一倍勝ちたい。でも、勝つことより大事なことがある。
 御城碁十九戦無敗、碁聖、本因坊秀策の扇子には「戦いが終わり、互いに碁石を片づけた後の何もない碁盤を見渡せば、そこには戦った跡などひとかけらも残っていない」と。

 がんを乗り越えて最高齢記録66歳で輝いた藤沢棋聖「王座」のタイトルを翌年防衛し、「棋士は死す迄遠く果てしない荒野をさ迷える者」と語った。棋聖戦6連覇の偉業は、高利貸しに追われ、自宅を競売にかけられる修羅のなかで成し遂げられている。「最善手を求めて命を削っているから、借金も女も怖くない」と。