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天地を 照らす日月の 極みなく あるべきものを 何をか思はむ 

わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても あはむとぞ思う

希望の香り、我々の誇り

2009年09月26日 | Weblog
 反米強硬派として知られるベネズエラのチャベス大統領が、国連総会での一般演説に登場。オバマ大統領に対する直接的な批判は行わなかったものの、単なる礼賛とはしないのがチャベス流。壇上にあがったチャベス大統領は「不快なにおいはもうしない。希望の香りがする」と述べ、笑いを誘った。オバマ大統領のリベラル寄りの政治姿勢に米国内の保守層から「社会主義者」との批判も出ている状況を踏まえ「社会主義陣営にいらっしゃい。悪の枢軸陣営でいっしょにがんばろう」と呼びかけた。

 また、02年ヨーロッパ連合(EU)を模範とする「アフリカ連合(AU)」を提唱、03年大量破壊兵器を放棄し、初めての一般討論演説に臨んだリビアの最高指導者カダフィ大佐は、持ち時間15分のところを1時間36分にわたって熱弁を振るった。
 「国連憲章の前文には『大小各国の同権』がうたわれている。拒否権を持つ安全保障理事会常任理事国は憲章違反だ。安保理は我々に安全を提供する代わりに恐怖と制裁を科してきた。金輪際、安保理決議には従わない」と主張。国連憲章の小冊子を投げ捨てるパフォーマンスも見せた。一方で、直前に演説したアフリカ系のオバマ米大統領については、「我々の誇りだ。永遠に米国の大統領でいてほしい」と称賛した。

 両国とも、国家による資本所有の社会主義。ベネズエラは共和制による民主主義を、リビアはイスラム教を基調においた社会主義的、民族主義的国家の建設を目的とし、人民主権、直接民主主義に基づいた体制(ジャマーヒリーヤ体制)の確立を目指している。

 普遍の真理を説く者がいて、それを称賛する。それだけで、いいのだが・・・。

 それ以外の議論は、違いを際立たせるだけ。同権を謳いながら、一国の拒否権だけで事が決まらないということが放置される。何とか決まる決議案も実効性をもたない、無意味なものとなる。
 
 自由奔放な二人。智慧の限りを尽くし、こだわりのない世界、彼岸をめざす。

 いやぁ~素直だ。演説した首脳すべてが・・・と想うと・・・

秋の彼岸に

2009年09月22日 | Weblog

 「秋風一夜百千年」 ( 秋風のなかあなたと共にいる。それは百年にも千年の歳月にも値するものだ。 )  

17歳で自殺未遂、88歳臨終には「死にとうない」と一休さん 

他に、「釈迦といふ いたづらものが 世にいでて おほくの人を まよはすかな」

「唐土の むさむさ坊主 髭入道 さしたる事は 言はじとぞ思ふ」 

「女をば 法の御蔵と 云うぞ実に 釈迦も達磨も ひょいひょいと生む」

 「南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃと いうが愚かじゃ」

「花は桜木 人は武士 柱は桧 魚は鯛 小袖はもみじ 花はみよしの」

「門松は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」(狂雲集)

  

「本尊は 釈迦か阿弥陀か 紅葉かな」紅葉の名所攝津の禅昌寺にて、滝野瓢水 

他に、母の喪に墓へ詣でて 「さればとて 石にふとんも 着せられず」

 瓢水が薬を買いに行った留守に訪ねた禅僧が「死ぬのが怖いようでは本物ではない」に応えて 「磯までは 海女も蓑着る 時雨かな」 

大坂の知己が気乗りせぬ遊女を身請するというのを諫めて 「手に取るな やはり野に置け 蓮華草」 

俳諧に没頭して家業を怠り身代を潰してしまい、最後の蔵を売ったとき 「蔵売って 日当たりのよき 牡丹かな」  

そして、知己の見舞いにむかう途中、落命を知らされ 「嘘にして いで逢ふまでの 片時雨」


有機と無機

2009年08月21日 | Weblog
 化学では、炭素が含まれているモノが有機、いないモノが無機。

 炭素を含んでいるということは、酸素による燃焼でエネルギーを発生させることができるということ。生物はこのエネルギーを利用して活動するので「有機」という言葉は「生命があるもの」として使われたり、生体を介さずに有機物を無機物から化学的に合成できるようになってからは「自然」という意味で使われることも多いようだ。そのいい例が有機栽培で、化学的に合成された農薬や肥料、遺伝子組み換えは使用しないことをいう。堆肥も結局は微生物に分解されたりして、植物に吸収されるときには、無機物になるのだが・・・。

 土は、そのベースが鉱物。そこに、植物の種が落ち、土の水分で芽を出す。カリウムやカルシウムやマグネシウムなどの無機の栄養素が、鉱物から溶け出して植物に吸収される。窒素も空気中から固定されたりして、植物は育つ。育つということは、空気中の二酸化炭素と水から光合成で、炭水化物をつくるということ。無機のものから有機のものをつくることができるのが生命体ともいえる。やがて、植物は枯れて土に還る。土に還るということは、土壌中で有機物が微生物(これも有機物)によって分解されて、やがて無機に戻る。

若田光一

2009年08月02日 | Weblog
 「ハッチが開いて草の香りが入ってきた時、地球に優しく迎えられた気がした」と宇宙滞在を終え、地球に戻った若田光一さん。地球から長く離れたからこその言葉。

 95年に宇宙滞在したロシアのワレリー・ポリャコフ氏は、医師だけに、宇宙に抱かれていると、血流や心臓弁の開閉までを探りとれたという。自著によると、長期滞在を通じてより人間的になり、なぜか宇宙に関する夢をパタリと見なくなったとも。

 「宇宙から国境は見えない」は92年に飛んだ毛利衛さん。

 61年ガガーリンの「地球は青かった」以来、宇宙を知り、地球を知る。

三大宗教

2009年06月21日 | Weblog
 ユダヤ教の教典、『トーラ』は、キリスト教徒が『モーゼの五書』と呼ぶ主要な五書、『創世記』『出エジプト記』『レビ記』『民数記』『申命記』と、それに付属する“歴史的文書”という呼び名の『ヨシュア記』『士師記』『列王紀』『サムエル記』によって構成されている。モーゼは出エジプト記に登場する預言者。
 タルムード(ヘブライ語:「研究」の意)は、モーセが伝えたもう一つの律法とされる「口伝律法」を収めた文書群(書いたのはユダヤ教の学者・研究者)である。6部構成、63編から成り、ラビの教えを中心とした現代のユダヤ教の主要教派の多くが聖典として認めており、ユダヤ教徒の生活・信仰の基となっている。ただし、聖典として認められるのはあくまでヘブライ語で記述されたもののみであり、他の言語に翻訳されたものについては意味を正確に伝えていない可能性があるとして聖典とはみなされない。
 ユダヤ教は聖書の旧約聖書の部分のみを認めている。救い主はこれから地上に来られると信じ、イエス・キリストを救い主と認めないので新約聖書も認めていない。

 コーラン(読まれるもの、の意)が、イスラム教の聖典。イスラム教の開祖であるムハンマドに対して神(アッラーフ)が下した啓示。ムハンマドの死後にまとめられた。
 啓典とは、神が預言者を通じて人類の各共同体に下した啓示を記した教典のことで、コーランも、コーラン以前に神がムハンマド以前の預言者たちに下した啓典があったことを明言している。聖書の各テキストはこれらが後の世に伝わった物であるとされ、旧約聖書のモーセに下された『モーセ五書』、ダビデに下された『詩篇』や新約聖書のイエスに下された『福音書』は、イスラム教ではコーランに並ぶ四大啓典に位置付けられている。
 コーランの記述では、旧約聖書は「完全無欠」と評されている。また新約聖書は「真理を照らす光」であると書かれている。「コーランだけで十分と思ってはならない。聖書も読め」と薦める箇所もある。聖書が誤っているとの記述は一つもなく「コーランは聖書の正しさを証明するためにある」とまで宣言している箇所が数多くある。
 しかし現状では、伝統的な解釈においてはコーランを除く3つの啓典は神の言葉を歪曲して完全に伝えていないとされ、神の言葉そのものであるコーランに比べると不完全なものであるとされている。現在、イスラム圏のいくつかの国では聖書は禁書とされている。聖書を「コーランと並ぶ聖典」としていた立場から、「禁書」にまでするようになったこの変化は、イスラムのかなり初期の頃にさかのぼる。イスラムが支配権を確立した後に編纂された第二聖典ハディースにおいて「聖書が正しい」と語るコーランの言葉はいっさい引用されなくなっている。かわりに「聖書よりもコーランが優れている」、「ユダヤ人から聖書の話を聞いてはならない」との記述が出てくるようになる。