とんねるず主義+

クラシック喜劇研究家/バディ映画愛好家/ライターの いいをじゅんこのブログ 

若手発掘とは

2005年12月23日 19時53分04秒 | 日本的笑世界
ボヤキ芸は得意じゃないですが、まあたまには、ボヤいてみたいと思います。

若手お笑い芸人を発掘する番組とは、どうあるべきか?

観客に投票させ、上位の芸人のネタだけをオンエアする。このシステムがいまは定着しているように見えます。すくなくとも、わたしが見た番組においては。

もちろん、芸人同士の競争心を高め、よりクオリティの高いネタ作りをさせるという意味では、意義あるシステムかもしれません。

でも、わたしには「ウケないネタは放送しない」「確実に笑いをとれるものだけを見せる」という制作サイドの思惑も、その背後にちらちら見えてしかたがないのです。

万人受けするもの、手堅く視聴率をとれるもの、安心して見れるものだけを見せる。その論理からいけば、すべったもの、失敗したもの、マニアックなもの、危険なものは、ことごとく排除されます。

排除されたものの中に、原石が眠っているかも知れないという可能性は、まるで無視されているかのようです。

懐古主義にはしるわけじゃないんですけど、「お笑いスター誕生」(考えてみると、これは本家「スター誕生」のパロディなんですね)では、出場しさえすれば、たとえ一週で落選したとしても、一度はそのネタを(その姿を)全国の人に見てもらうチャンスがありました。さらに勝ち抜けば、毎週毎週テレビに露出することができたのです。

もちろん、誰でも出られたわけではありません。出場者オーディションが事前にあり、赤尾PDという厳しいプロデユーサー(この人が、5週で落選した貴明&憲武をコルドンブルーに出演させ修行させた)の目で選ばれた芸人のみが出場することができました。

しかしこの関門をくぐりぬけさえすれば、そのネタは必ずオンエアされたのです。たとえ本番でまったく受けなくても。

芸人さんにとっては、「見られる」ことがすべてでしょう。それは何よりも意味のあることです。見てもらわないことには、なんにも始まりません。たとえオンエアですべってるように見えても、それを気に入る人もいるはずです。こないだの「10カラット」だって、ノリさん推薦枠がもしなかったら、自分がトップリードを見て笑うことは永久になかったかもしれない。彼らの名前をおぼえることもなかったかもしれないのです。

投票や審査で上位にくることだけが売れる条件とはいいきれません。「お笑いスタ誕」でも、グランプリに輝いた人達よりも、むしろ金賞・銀賞どまりで落ちてしまった人達の方が、その後活躍しているケースはいくらもあります。グランプリからストレートにスターになったのは、ちゃんと確認はしてないですが、とんねるずくらいじゃないんでしょうか?

審査といえば、審査のしかたにも、問題がないとはいえないでしょう。プロの審査員がいない、観客の投票がすべて、というのは、どんなもんなんでしょう。いまの観客とは、つまり「若者」オンリーです。たとえば視聴者の各世代から投票してもらうってんなら話はわかりますが、きわめて限定された観客のきわめて限定された感覚だけで審査されてしまうと、笑いの質に偏りが出てしまうんじゃないでしょうか?

「お笑いスタ誕」や「ザ・テレビ演芸」の出場者リストを見てみると、まさにごった煮の様相を呈しています。笑いの質が、実に多種多様なのです。おもしろいのです。

若いみなさんの笑いも、もちろん大好きなんですよ。ただ、そこに偏ってしまうことに、なんとなく物足りなさを感じてしまうのを、いかんともしがたいわけです。

その点、関西お笑い界は、まだ中堅やベテランががんばっています。とはいえ、彼らがネタを見せる場は、やはり少なくなっていると思いますが。


ボヤキ終了(笑)





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