とんねるず主義+

クラシック喜劇研究家/バディ映画愛好家/ライターの いいをじゅんこのブログ 

「女芸人」について考えてみる

2013年01月28日 22時41分35秒 | 日本的笑世界



更新が滞っております。イベントの準備やら、仕事上の悩みやらでやや落ち着かない毎日を送っているいいをです。楽しみに訪問してくださるみなさま、ごめんなさい。


さて。


「女芸人」という存在は、近年の日本のお笑いブームにおいて非常に大きな役割をはたしています。「女芸人ブーム」とでも呼ぶべき風潮があったとすれば、それももはや沈静化してきていると言ってもいいのかもしれません。一時期はさまざまな媒体で特集なども組まれていました。


ところで、わたしはどうもこの「女芸人」という言い方があんまり好きになれない。


なぜわざわざ「女」とつけなくてはいけないのか?あたかも「芸人」=男の専売特許であって、女が芸人になるのが異常なことででもあるかのような。


もちろん、芸人さんの側からしてみれば、「女」という呼称で特殊化されることそのものが名前を売る足掛かりにならないと言ったらウソになるのかもしれません。ただ、これほど女性の芸人が増えてきたいまでは、「女」であることを武器にはできない時代になってきているのも事実ではないか、と思うのです。


日本社会は、まだまだ「女」という接頭辞をつけて男社会と区別したがる傾向があります。

たとえば、『めぐりあえたら』『ユー・ガット・メール』で知られる映画監督のノーラ・エフロンが昨年白血病で亡くなったとき、日本のメディアの多くが“女性映画で知られた女性監督”と紹介していた。非常に激しい違和感をおぼえました。

確かにノーラ・エフロンにはロマンティック・コメディが多かった。しかし、『マイ・ブルー・ヘブン』や『ミックスナッツ/イブに逢えたら』のようなドタバタコメディをも撮っています。

彼女の手法は別段 “女性らしさ”を感じさせるようなところはなかったし、“女性向けに” 映画を撮っている人だと思ったことも一度もありません。ノーラ・エフロンが女性だということさえ、長年知らなかったくらいです。


しかし、「ノーラ・エフロンが女性だと知らなかった」ということ自体が、わたし自身の見識の甘さをしめしているとも言える。つまり「オンナに『マイ・ブルー・ヘブン』のようなあっけらかんとしたドタバタバディ映画が撮れるはずがない」という思い込みが、わたしの無意識にも刷り込まれてしまっていたわけです。自分自身が「ドタバタ喜劇大好きオンナ」であるにもかかわらず・・・



やや脱線しましたが、ともかく、「女芸人」という呼称について、われわれはそろそろ考え直すべき時期にきてるのではないかと思うのです。


そもそもコメディ・エンタメ・笑芸の世界には大昔から女性が活躍していました。

自分のなかの記憶をたどってみると、女性の芸人さんでまずトップにくるのは、ミヤコ蝶々さんです。いまの若い人にはミヤコ蝶々なんて言っても全然わからないのだろうなあ。南都雄二との夫婦漫才で人気の出た上方漫才の大御所ですが、わたしが知った頃はバラエティの司会や舞台の喜劇女優というイメージが大きかった。

彼女の味のある語り口、話芸、どれほどおもしろかったことか。どちらかというとぼそぼそとしたしゃべりかたながら、発する言葉にはキレがあり、クールでオフビートな感覚のある芸人さんでした。


夫婦漫才といえば、「唄子・啓介のおもろい夫婦」で知られる京唄子師匠。結婚と離婚をくりかえしながら夫婦漫才をつらぬいたふたりでした。すこしまえに、ある70年代の日本映画で京唄子師匠を見たのですが、はっとするほど色っぽかった。「お笑いスター誕生!!」の審査員もされてましたよね~


かしまし娘も、わたしの子ども時代のアイドルでした。「うちら陽気なかっしまっし娘~♪」というテーマソングは若い人も聞いたことぐらいはあるかもしれません。3人姉妹の音楽漫才がほんとうにおもしろかった。

いまは漫才のほうはお休みしているようですが、3人ともまだまだ現役。3人の他にもうひとり一般人の姉妹がいるそうで、ちょっとマルクス兄弟みたいでかっこいい(マルクス兄弟は5人だけど)。


かしまし娘と同世代で東京の漫才界の大御所といえば内海桂子・好江師匠。ナイツの大師匠格にあたるのが好江師匠ですね。さらに、かしまし娘の後輩には現・上沼恵美子がかつて実姉と組んでいた漫才コンビ、海原千里・万里がいた。

さらにさらに時代がくだって80年代の漫才ブームの時代には、春やすこ・けいこのコンビがアイドル並みの人気をほこり、今いくよ・くるよがブレイク。そして、NSC一期生のハイヒールは、漫才ネタこそ見せなくなったけれど、現在も関西でブイブイ言わせてます。


四国出身なので、どうしても関西の女性芸人のほうをよく見てきました。ここにあげたそうそうたる師匠、ねえさんがたを、「女芸人」なんてもし呼ぶとしたら、それはとんでもなく失礼なことになるだろう・・・

この感覚が、東京の方にわかってもらえるかどうか?なぜなら関西のお笑い界では、なんだかんだ言って女性の地位は非常に高いからです。漫才でも、新喜劇でもそれは同じ。だいたい、藤山寛美のあとを継いだのは娘の藤山直美なんですからね。


関西では、相手が女性だろうとなんだろうと、先輩にはかならず筋を通す。そのかわり、女性の芸人たちも「女芸人」のレッテルの裏で甘えることなどゆるされない。


それでも、というか、だからこそ、彼女たちは光り輝いています。みなじつに美しい。美しくて、同時におもしろくもなれるんだ、ということの証明が彼女たちだという気がします。


近年は、女性芸人の数はふえていても、その地位は地に落ちているとわたしは個人的に感じています。芸人さんたち自身の気構えの問題なのか、受け入れる事務所やテレビ局の問題なのか。

いずれにしても、いまいちど長いスパンで、女性の芸人の歴史というものをふりかえってみるのも、おもしろいんじゃないでしょうか。





かしまし娘

次女の正司照枝師匠はエリック・クラプトンのファンらしい。
この三味線芸などを聴くと、納得。





枝雀寄席 ミヤコ蝶々さん

枝雀師匠が蝶々さんを「先生」と呼んでいる・・・













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8 コメント

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Unknown (VSNF)
2013-01-31 23:06:01
ご無沙汰しております。

「何やってんだテレビ」
失礼ながら、全く視聴していないのですが、ご覧になってますか?

今回女芸人について思うことがありましたので、書き込みさせて頂きます。

私の疑問なのですが、何故女芸人といのは、「見た目の面白さ」や、「モテない」、「結婚できない」というのを売りになさるのでしょうかね?

「女性芸人の数は増えても、その地位は地に落ちている」とのご指摘でしたが、個人的には男女問わず、(全部が全部とは言いませんが)芸というより、見た目の面白さを売りにする風潮は何とも不快です。

昔の女芸人さん(だからといって昔が何でも良いとは言いませんが)は、「桂子、好恵」然り、「千里・万里」然り、(「かしまし娘」は見たことがないのですが)コンビ、グループでも楽器の腕や、ネタそのもので勝負していたと思うのですが・・・・・

私のリアルタイムで味わった感覚ですと、テレビの女芸人のそういった風潮は「山田邦子あたりが源泉かな?」と思うのですが、80年代から、かなり長きにわたって女芸人のトップを走っていたので・・・・・

現在ですと、今出ている中では、「友近」は芸で勝負していて、良質ですし、「清水ミチコ」も不快な思いをさせられることはないです。

個人的な見解でしたが、「いつからこうした風潮になったのかな?」と気になったので、書き込みさせていただきました。

「見た目を売り物にする」という風潮自体「他虐的」なニュアンスも含まれますが、「いかにも芸人を卑下している」という意味合いも含まれてしまうと思うのですが・・・・・
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Unknown (FUJIWARA)
2013-02-03 15:51:32
女芸人を初めて意識したのは自分は山田邦子さんです。
バスガイドネタのかわい子ぶりっ子が面白いな~と思いました。
山田さんはアゴも売りにしていました。
ここら辺からファイアーさんが上げられた師匠連中とは変わってきているのかもしれませんね。
とんねるずも時代の境目だったように。

普段我々は日常「女芸人」という語句はあまり使わないとかなと思います。

何となく思ったのはマスコミ、業界等、女芸人という語句が出てくるのは「評論」する時が多いかなと。
・女芸人の中では面白い
・女芸人のクセに可愛い
など。
あからさまに女性芸人を見下しているのは気分を害しますよね。

あと決して見下しては無いですが圧倒的に少ないということから女芸人という言葉を使うこともあるかと思います。
少ない=珍しいという意味合いも。

最近?、電車、山、釣り、プラモデルetc
xxガールっていう言葉をよく聞きます。
これらの源は「見かけとのギャップ」から話題になっていると思うんですよね。
女性がやって悪いわけではないし今までも居た筈ですが。

男性でもイケメン芸人という言葉もあります。
イケメンでも可愛い女の子でもそうですが、ネタの種類によってはこの人がこの芸をやるのか!って
いう意味で面白さ+ビックリ、ギャップという事が付いてくると思います。

最近はその見た目とのギャップをネタに入れ込んでくるのも先の師匠連中とは違うところです。
それらがだんだん酷くなってくると「姑息」になり、
ネタで勝負ではなく酷いと女を武器ということになってしまいます。

女性のバラエティと考えると、最近はほんとグラビア、アイドルの進出が多いですよね。
それらとハリセンボン、オアシズ、森三中と組み合わせて番組を作るみたいな。

やまだかつないテレビはもう遠い昔になりましたね。
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VSNFさん (ファイアー)
2013-02-04 01:55:01
こんにちは!
返信がむちゃくちゃ遅くなってすみませんでした!

>「見た目の面白さ」や、「モテない」、「結婚できない」というのを売りになさるのでしょう

実は、わたしが言いたかったこともまさにそこなんです。
森三中や渡辺直美などはもはやキャラと切り離せないのでいいとしても、
そればっかりな風潮になるのはどうなんでしょうね。
ふっくらキャラ自体が悪いのでは決してないですが、
そういう担当の芸人は2、3人いればもう十分じゃないかと思うのですよね。
見た目を汚くすることが芸、みたいに考えるのは誤解じゃないかと。

清水ミチコさん、そうですね~彼女はすばらしい芸人さんですね。
「夢であえたら」のミドリを思い出します(笑)
でも普段の彼女はとてもオシャレで可愛いですよね。
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FUJIWARAさん (ファイアー)
2013-02-04 02:09:58
おひさしぶりです!!

やまだかつてないテレビって、いま考えるとすごい番組だったなって思います。
おっしゃるとおり、今でも女性の芸人さんの数は比率としては少ないのでしょうが、
山田邦子さんの時代はもっと少なかったでしょう。
そんななか、ゴールデンで冠番組を女性が持つって、すごいことだったんじゃないかと。

>マスコミ、業界等、女芸人という語句が出てくるのは「評論」する時が多い

たしかにそうですね。
どうしても区別しないといけないっていうのも、やっぱりありますしね。
わたしの記事でも、女性芸人とかつい書いちゃってますし^^;
ひっかかるのは、VSNFさんも言われてるように、女性芸人だとすぐに
「結婚」「恋バナ」とかを絡めようとするテレビの作り方ですね。
森三中がNHKでやってる「ドラクロア」って番組とかも・・・
これって多分彼女たちの初?の冠番組ですよね。
でもその内容はずいぶん偏ってたように思います。
最近はちょっと変わってきて、社会でがんばってる女性もとりあげてるようですが。

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Unknown (VSNF)
2013-02-04 14:35:37
返信ありがとうございました。

ちょっと色々調べてみたところ、私の書いた記事に語弊や誤解を若干産む部分があったので、訂正させて頂きます。

書き込み後不安になり、「お浜・小浜」の漫才を聴いたのですが、昔から顔を売り物にする風潮はあったようですね。

ただそれがネタに投影されているか、私生活を売り物にするか、だけの違いで、おそらく現在テレビに蔓延っている女芸人はほとんど後者(私生活を売り物する)でしょう。

前述通り、ネタに投影されていれば何の問題もないと私は思います。

個人的な解釈として、「山田邦子」の負の遺産としては、やはりそういった顔や、私生活を売り物にするテレビの女芸人を生み出す風潮を作り上げてしまったことだと思います。(一時期「とんねるず」以上の勢いがありましたので、それがそっくり今の女芸人に受け継がれてしまったのでしょう。)

後に「久本雅美」もテレビに出始めますが、あれも革新的でしたね。(彼女の場合は話芸も達者ですし、劇団メインの方なので、ファンです。)

私などはこうした「山田邦子」に代表される女芸人路線はもういいのでは?と思います。

男女問わず、顔を売り物にするといった暗いネガティブ路線ではなく、芸人自体レジャー感覚に(「とんねるず」がそうであったように)なってきても良いのではと直感しています。

「おかもとまり」さんという女芸人がいらっしゃいますが、ああいったルックス、スタンスが男女問わず、何の違和感もなく受け入れられる時代が来て欲しいなとも思います。

女性が社会進出できるという風潮は良いことだと思うのですが、ちょっと今のままですと、笑いや、芸人自体卑下しているみたいにも感じます。
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VSNFさん (ファイアー)
2013-02-05 17:58:55
こんにちは!

>こうした「山田邦子」に代表される女芸人路線はもういいのでは?

そうですねー
見た目のおもしろさで売ろうとする芸人さんばっかりになるのは問題なんですよね。
おもしろいっていうか、「汚い」でしょ?(笑)
汚さをおもしろさと勘違いしてる気がしちゃうんですよね。それがヤなんです。
とんねるずの「買う。」シリーズとかも、単にお金を落とさせるだけじゃなくて、
もっと見た目をキレイにしろよってメッセージでもあるように思うんです。
おかもとまりさんのことは、わたしも浮かんでました。
彼女はニュータイプというか、おもしろいですよね。
ほんとおっしゃるとおりだと思います。

サイレント喜劇時代とかが好きで観るんですけど、
欧米は当時から美しくておもしろいコメディエンヌの伝統がちゃんとあって。
逆に見た目のえげつなさで売る人は少ないんじゃないかなあ。
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Unknown (VSNF)
2013-02-05 21:32:26
返信ありがとうございました。

私個人の「見た目が悪いのを売りにする」笑いに対する、「不快」と「面白い」のボーダーラインを説明することは言葉ではとても難解なことです。

決して見た目が悪いからいって何が何でもいけないというわけではないのですし、「もっと良くなれ!」と促すつもりもあまりありませんが、(見た目が)「良い」芸人と、「悪い」芸人を均等に扱ってもらえないかなというのが私の願望でもあります。

おっしゃる通り、見た目が悪い(あるいは汚いでも良いのですが)女芸人を轡を並べるように、一線上にする現在は何か私の目から見て異常だなとも感じます。

評価も偏りがちで、芸人=汚いという風潮もいかがなものかな?と感じます。(なぜ「友近」のような正当な女芸人評価されないのかな?という疑問も抱きます。)

>欧米は当時から美しくておもしろいコメディエンヌの伝統がちゃんとあって。
逆に見た目のえげつなさで売る人は少ないんじゃないのかなあ。

その点に関しては、向こうの意識の方が洗練されていると思わざる得ませんね。

「とんねるず」も芸人自体を卑下したスタンスではなく、体育会系を売りにしていましたが、「おかもとまり」さんのようなタイプの女芸人が騒がれているうちは、まだまだ「見た目の汚さを売りにする芸人」が雁首を揃えそうですね。

素人ながら生意気な物言いでたいへん失礼致しました。
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VSNFさん (ファイアー)
2013-02-08 19:36:39
芸人さんの「見た目」って、すごく重要なことだと思うので、
こうしていろいろ議論していただいてありがたいです!

>「不快」と「面白い」のボーダーラインを説明することは言葉ではとても難解

まったくそうだと思います。
芸人さんの場合、たぶん「美」か「醜」かっていう基準より、
チャーミングかどうか、ぱっと見た時に
「あっ好きだな」と思えるかどうかが大事かもしれないなーと。
たとえば(って例に出すのもなんだか失礼ですが(笑))
カンニング竹山さんとかは、まあ好みにもよりますが、
決して「美」ではないけどどことなく憎めないというか。
女性の芸人でもそれは同じなんですけど、
ただ違和感を感じるのは、太ってなきゃ女芸人として売れない、みたいな
ヘンな流れができつつあることですね。
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