とんねるず主義+

クラシック喜劇研究家/バディ映画愛好家/ライターの いいをじゅんこのブログ 

「欽ちゃん!30%番組をもう一度作りましょう!(仮)」を見て

2011年07月22日 22時19分42秒 | 日本的笑世界


ひさかたぶりの更新でっす!

「はじめての木梨」とか、昨夜の「した」の水泳大会とか、書きたいことはたまりにたまってるのに、ひさびさの更新が欽ちゃんの話題って、なんでそーなるのっ!?

なんでかじぶんでもわかりませんけど、ひさびさにテレビバラエティを見てズシンと胸にくる経験だったから、でしょうか。

ここ2年ほど、萩本欽一の存在が、ずっと気になっていました。
欽ちゃんが、またおもしろくなってきた、そんな印象を受けていました。
最初に感じたのは、おそらく09年に放送されたフジテレビ開局50年記念特番を見た時だった。欽ちゃんはゲストとして出演しており、MCのさんまさんがやたらと大将にライバル意識を燃やして前に出ていこうとする(演出の一環だとは思いますが)のを、ほほえみながらクールに見ている欽ちゃんのすがたが印象的でした。

その後、いくつかの欽ちゃん出演特番も、ついチャンネルをあわせていました。
なかでも、昨年3月にフジテレビで放送された「悪いのはみんな萩本欽一である」(演出は映画監督の是枝裕和)がおもしろかった。公開裁判のような形式で、テレビ局の枠を越えて各局の制作スタッフが萩本欽一について証言してゆくというユニークなドキュメンタリーでした。今回の「30%番組を~」の仕掛人ともなった、「電波少年」で有名なT部長こと土屋敏男氏も出演していて、なんで土屋さんが、と思ったのだけど、それもそのはず。テレビバラエティにリアリティ・ショーの要素をとりこんだ先達が欽ちゃんだというのです。

欽ちゃんは、無名の新人やプロの役者、歌手といった、芸人以外のキャストを使って、現場で起きるハプニングを笑いにしていった。「欽どこ」なんて、三つ子の娘が成長していくという設定を視聴者は長年見守ったわけで、アメリカで50年代に大人気だった「陽気なネルソン一家」のような”リアリティ・ホームドラマ”(本物のネルソン一家が演じていた)を日本で最初にやったのが欽ちゃんだったわけです。

今夜日本テレビで放送された「欽ちゃん!30%番組をもう一度作りましょう!(仮)」では、欽ちゃんが、いわば直系の弟子である土屋Pの用意した土俵に思い切って身をゆだねて、さあいったい何が飛び出すでしょう!?という、非常に実験的な番組だったのではなかったかと、見終わって感じました。

テレビというものについて、いろいろなことを考えさせられた番組でした。

東野幸治さんや、田村淳さんといった若手と、旅行をしたり、合コンをしたり。その合間に欽ちゃんの伝統的なスタイルであるステージコントをはさんでゆくというスタイル。はじめは、小間切れな編集がやや気になって、コントならコントをもっとじっくり見せてほしいと思った。でも、やっぱり小間切れ編集のほうが「いま」の気分だし、結果的に最後まで飽きずに見られたから、それで良かったのでしょう。

むしろ、そういう現代的なフォーマットに欽ちゃんがぶつぶつ言いながらも乗っかってしまうすがたが、かっこよかったです。

特に合コンのくだりが、すっごくおもしろかったなあ。
女の子が入って来た瞬間から、巧みな戦術で場を自分のものにしていく欽ちゃん(笑)
女の子のひとりが「合コンの巨匠」と呼んでいたけど、まさにそんな感じだった(笑)

ステージコントでは、あえてセットを立てず、背景をCGで作っていたのもおもしろかった。
コスト的に、セットを立てるのとどちらが費用がかかるのかはわかりませんが、そしてCGにしてしまうと美術スタッフの仕事がなくなってしまうのもちょっと心配ではありますが、しかし、「コントはお金がかかる」という既成概念を見直すひとつのきっかけには、なるんじゃないだろうか?

昔なつかしい「欽ドン」スタイルの、キャストが入れ替わり立ちかわりやってきてはネタを言っていくというコントも、思ったほど古くさくは見えなかった。まだまだ十分通用するフォーマットではないかとさえ思えました。

「悪いのはみんな萩本欽一である」で印象的だった話があります。
欽ちゃんは、浅間山荘事件の生中継をずっとテレビで見ていて、このドキュメンタリー性をバラエティにもとりこめるのではないかと考え、「欽どこ」を始めたらしい。この番組で笑いのセンスを引き出され、ブレイクしたのが歌手の前川清ですが、彼の起用も浅間山荘事件から着想したんだそうです。

このエピソードを聞いたとき、欽ちゃんのテレビバラエティに賭ける執念みたいなものをひしひしと感じました。
そして今回の「30%番組を~」でもまた、同じような光景が。素人の男の子を起用したいと考えていた欽ちゃんは、東日本大震災のニュースのなかで偶然見た宮城県在住の男の子に白羽の矢をたて、本当にコントに出演させてしまった。

もしかしたら、このことに関して批判も出るかもしれません。大震災後の大変なときに、「バラエティなんかのために」こどもを捜しに来るなんて、「不謹慎」だ、と。もちろん、さまざまな考え方があってしかるべきだと思う。ただ、コントに出演して、欽ちゃんと互角にわたりあったあの少年は、輝いていました。被災者であるはずの少年が、お笑い番組に出て、お客さんを喜ばせた・・・ごく普通の可愛い少年として。もしかしたらそれもまた、過酷すぎる現実をのりこえてゆくために、テレビができることのひとつ、だったのかもしれない。

あるいは、番組の冒頭で欽ちゃんがスタッフに語ったことばを、思い出すべきなのかもしれません。
「テレビなんてなくたって困らない、と言われなくなるようなテレビをつくりたい」ーーー

番組最後のネタは、CGでよみがえった二郎さんと欽ちゃんが30年ぶりにコント55号のコントを再現するというもの。しかし、同じ動作しかくりかえさないCG二郎さんとでは、あのビリビリするようなふたりの化学反応を楽しむことなど、できるはずもなく。欽ちゃんも、途中であきらめて思い出話をはじめてしまっていました。なんとも言えずほろにがいラストだった。

この番組の企画がはじまったのが、今年の初め。企画が進んでいたまさにその最中に相方の二郎さんが亡くなってしまいました。欽ちゃんのビデオダイアリーのなかでも、二郎さんのお葬式のことがすこしふれられていました。この「リアリティ」を、もっと掘り下げることはできたのかもしれないし、もしかしたらそうすべきだったのかもしれない。しかし、そこでお涙頂戴にはしるのは、やっぱり違うのだろう。

涙は、番組のラストにやってきました。
すべて終えて、舞台袖に下りてくる欽ちゃん。キャスト全員が大将を出迎える。欽ちゃんは皆をねぎらい、そして、コントで欽ちゃんの片腕としてはたらいた次長課長の河本準一に、あたたかいことばをかけた。「もうオレ何回も、河本ナイス!河本ナイス!って心の中で叫んだよ。ほんとにこいつはいいんだよ」と、河本の頭をなでる大将。こらえきれず背を向けて号泣する河本・・・「オレだって泣きたいくらいだよ」と冗談を言って、去ってゆく大将の後ろ姿。

この、信じられないくらい感動的な映像には、嘘や虚構はみじんもなかった。あまりにも熱く、あまりに深い「リアリティ」がそこにありました。だからこそ、見る者の心をうつのでしょう(書きながらまた涙がこぼれてきます)。

こんなことができるのは、テレビだけなのです。あらゆるメディアのなかで、これができるのは、テレビしかない。

欽ちゃんの笑いの神髄を、ここに見た気がしました。

思えば、とんねるずはブレイク当初から欽ちゃんを意識していたフシがある。あえて言えば、欽ちゃんとビートたけし氏でしょうか。東京の笑いの雄であるこのふたりに追いつき、追い越すことをとんねるずは目標にしていたのではないかと思う。

70才になった欽ちゃんが、こうしてまだまだ笑いに対して貪欲であるのを、とんねるずはどんな風に見たんでしょう?
興味があります。

さていよいよ明日の晩、27時間テレビにとんねるずが登場します。モジモジくん対決は、生放送なのか録画なのか?
いまから本当に楽しみです。アナログ放送最後の夜を、とんねるずとともに過ごせることに、喜びを感じながら。



追記:近年の欽ちゃんの活動でいちばん好きだったのは、クレイアニメーション『ウォレスとグルミット』シリーズのウォレス役です。











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4 コメント

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Unknown (VSNF)
2012-11-14 18:18:33
以前返信ありがとうございました。

大歓迎ということなので、書き込みさせて頂きます。

「小林信彦」氏の書評ですが、「ラサール石井」著「笑うとは何事か」の中に「最近萩本欽一がつまらないという声をよく聞くけど、そういう人達は笑いについて全くわかっていない」
と「ラサール」氏が言い切っていたそうです。

私はここ30年ぐらい「萩本欽一」氏のはっきりとした批評をあまり耳にしたことがないので、衝撃的でした。

「基本的にもっと讃えるべきだ」みたいなことをおっしゃっていたそうですが、同意です。

あとこれも「ラサール」氏が後の著書で書いていたと思いますが、「ひょうきん族」終了以後、主な主要メンバーは(たけし・さんまも含めて)、つまらなくなっていったと思うので、90年代以後の「欽ちゃん」の扱われ方は若干不思議でもあります。(ちなみに口コミで「フジテレビ」制作のいくつかの「BIG3」関連の番組を観ましたが、つまらなかったです。)

まあ私世代ですと、芸人としては「たけし」より、「欽ちゃん」の方が若干印象的ということもあるかもしれませんが・・・・・

あと小林信彦氏の書評ですと「とんねるず」に対しても「スゴい」というようなことが書かれていたそうですが、ご存知でしたでしょうか?

この本は「ラサール」氏が「日本の喜劇人」では取り上げられなかった芸人について論じたいとして書かれたもので、小林信彦氏が「芸について研究する人にお勧め」と書いていました。
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VSNFさん (ファイアー)
2012-11-16 01:01:02
ラサールさんの本は『笑いの現場』しか読んでないんですが、とてもおもしろいですよね。
『笑うとは何事か』もぜひ読んでみようと思います。ありがとうございます!

「コメディ・ヒーローズ」という記事でもちらっと書いたのですけれど、
http://blog.goo.ne.jp/eyan_fire/e/b616d5a0de89cb87c31da280e9d762e8
コント55号時代を知らないと、なかなか欽ちゃん=芸人とは認識できないんじゃないですかねえ。
少なくともわたしは、司会者、素人いじりの人、としか見てなかったです。
正直、長野五輪とか(古いっすねw)野球をがんばっておられた頃の欽ちゃんは
「うーむ」って感じで・・・
いや、もしかしたら24時間テレビを始めたあたりですでにうーむだったのかもしれない。
それが90年代以降の評価の原因かもしれないですね、推測ですが。
でも最近、欽ちゃんのおもしろさがもりかえしてる感じがします。
55号のころの欽ちゃんは、ほんとうにすごかったらしいですからねえ。

BIG3は、いま見直すとどうなんでしょうね。
3人+アナウンサーの逸見さんのゴルフ対決とか、
当時はお腹抱えて笑ってたんですけどね~
時代の産物だったのでしょうか?
http://www.youtube.com/watch?v=n0Z9xawX0Tk
ひさびさに見ると、この3人こんなに仲良しだったんだなあ。
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Unknown (VSNF)
2012-11-16 15:03:34
返信ありがとうございました。

「小林信彦」氏からの引用ですが、「笑うとは何事か」については「とんねるず」に対して、「流行語にしないのがスゴい」というような褒め方をしていたみたいですね。(「僕たちをブームにしないで」と当人たちはおっしゃっていたそうですが)
ただ詳しいことは読んでないので、分からないですが

「欽ちゃん」に対して批判的な意見は、「ダウンタウン」以下の世代だと、批判はしてないみたいですね。
やはり80年代からバブル前後に出てきた芸人は批判的な向きが強いようです。(それらを観て育ったとする「爆笑問題」も、そうした流れに追随する向きがありますね。)
私などは90年代に入り、このようにマーケティングや時代がひっくり返ったのですから、特に90年代以降はテレビは「欽ちゃん」の功績を度々讃えても良いのでは?と感じます。

失礼ながら、「BIG3」に関しては時代の産物というより、衰えでしょう。
80年代の物は面白く見たのですが、90年代以降は私は正直「車庫入れ」が若干面白いと感じたぐらいでした。(90年代でもたけし・さんま関連の特番は視聴していましたが)
私の世代ですと、「たけし」は映画監督のしてのイメージが強いです。

あまりこうした事を「ラサール」氏意外ご指摘なさらないのも不思議ですが、重ね重ね言うように「欽ちゃん」を「偽善の人」、「古い」などと決めつけるのは甘いという見識の唯一の方なので、欽ちゃんに対するご指摘は衝撃的でした。
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VSNFさん (ファイアー)
2012-11-17 21:36:54
ラサールさんのとんねるず論は、ほんとにズバッとツボをついてくれますね!
これはぜひ読んでみないと。

>特に90年代以降はテレビは「欽ちゃん」の功績を度々讃えても良いのでは?

仰る通りですね。
もうちょい時間がかかるかもしれないですね。
テレビというメディアに本当にどっぷりつかって変えていったタレントさんは、
ここ数十年ではもしかしたら欽ちゃんととんねるずくらいしかいなかったのかも・・・
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