The Phantom of the Opera / Gaston Leroux

ガストン・ルルー原作「オペラ座の怪人」

五番桟敷

2007年03月14日 | 「オペラ座の怪人」
途中

カツラ、付け鼻装着


「付け鼻」といえば透明でテカテカ光る素材らしいですね。・・・。

イングランド版で装着の光景を見てビックリしました。しかも傷を隠すために化粧もしてます。(私も化粧は芸人という側面もあるからありえると考えてました)

でも「入れ歯」だけは勘弁して欲しい。

エリック

2007年03月14日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」
拷問場面こそオペラ座の醍醐味の一つ、と思う管理人です。
なにか原作系の作品を・・・と画策しています。で、原作を読んでいます(愛読書)。

そして怪人のラウルに対する執念深い憎しみに萌え萌え。

ラウルも好き(映画版に限る)なんですが、サディスティックな怪人もよいですね。


原作ラウルも可愛いんですが、泣き虫ですよね。すぐ泣いちゃって弱音を吐く。

「僕は死んでしまいたい」
と愚痴るラウルに


「生きるのよ!」
と諭すクリス・・・。



ガブリエル・クラウス

2007年03月13日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」
世界的に有名なソプラノ歌手。
彼女は1842年にウィーンで生まれ、「フィデリオ」「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァンニ」などで次々と成功をおさめました。

パリではオペラ座にアレヴィの「ユダヤ女」でデビュし、絶大な声価を獲得しました。以後、「ユグノー教徒」「アフリカの女」「ドン・ジョヴァンニ」「アイーダ」「ヘンリー8世」などへの出演が続きました。

またグノー「ファウスト」「ポリュークト」「ロメオとジュリエット」にも出演。

これらは「オペラ座の怪人」に出てくる主だったオペラです。
「ファウスト」はクリスティーヌを誘拐する時、「ポリュークト」は作品中最初に出てくるオペラ、「ロメオとジュリエット」は怪人が楽屋のクリスティーヌに歌いかけ、クリスティーヌも歌っているオペラです。


この歌手に対してかのロッシーニも
「きみはきみの魂で歌っている。しかもきみの魂は実に美しい」と言っています。
(・・・怪人も「きみの魂は美しい」と言ってクリスティーヌを讃美したりしてますが、この部分はロッシーニにあやかって?)


この歌手は「オペラ座の怪人」の中で見事だが心のない歌い方をするカーロッタに対する当てこすりのようにチラっと登場します。
(p121 p72 角川)


話は変わりますが・・・
カーロッタに歌う事を妨害する怪人の底意地の悪さはいいですね。そして負けてないカーロッタもいい味してます。根性が座っているというか、勝気というか。

「今夜舞台に上がったら、歌を歌っている最中に大きな幸いに見舞われると覚悟しろ・・・・死よりも恐ろしい災いに」

という手紙に対して

「何か悪質な陰謀よ。でも私はそんなことで怖気づくような弱虫じゃないわ!」

さらに怪人がアパルトマンの外に霊柩車を停めて怖がらせようとしてもかえって奮起し

「たとえ瀕死の重病でも今夜は絶対に歌う!」

と言っています。


いいなぁ~、このあたり。





ちなみにガブリエル・クラウスはウィーン・フィルの歴史的な名指揮者の一人クレメンス・クラウスの大叔母に当たります。

このクレメンス・クラウスは端正で貴族的な美貌の持ち主なので憧れの人でした。
以前、少年合唱団が好き、と書きました。その大好きな合唱団の一つにウィーン少年合唱団があるのですが、クレメンス・クラウスも団員でした。

管理人は子供時代、彼のおおきな写真が宝物でした。合唱団のソリスト時代の写真でした。変声期前の少年時代のですね。





お絵描き

2007年03月13日 | Weblog
する気力はまだないのですが、だからと言って「オペラ座」から離れているというわけではないのです。

「いや、お前は離れろ」とか言われそうですが、まだ今のところやりかけの物があるのでやめられないというのが現状です。


春になり窓の外も明るいというのに地下のお方を考えるというのはしんどいなぁ、と思う時もしばしばです。

しかも原作派というのは少数派。
そして原作エリックはか~な~り~性格は悪いです。

バトラーファントムのような爽やかさとか温かさというのは皆無です。


呪われた人形師、呪われた腹話術師というのが醍醐味!と思ってる人は人は少ないような気もします。あまり見かけません。


でも頑張ります





イラストは「キッズケータイをクリスに買ってあげようとしているファントム」らしいです。

あ~なになに?

「誘拐されないか心配?」

「おい!誘拐したのは貴方でしょ!!!」とツッコミ。



娘のドリーム漫画の一こまです。

このあと紆余曲折の末、クリスとファントムはラブラブ結婚!!・・・途中でメグも登場というなかなか凝った展開のようです。
この子はバトラーファントム激愛で、しかも胸毛スキーなんですよね。

2年たってもバトラーファントムとホセ・ティラード熱は冷めないようです。知らない間にDVD鑑賞してたりします。


それにしても・・・・・・変な服だなぁ。




約束

2007年03月11日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」
<声>・・・そう音楽の天使はこう私に約束させたのだった。

「お前の私のもとで音楽の修練に励みたいという決意は本物のようだ。だが、至高の歌声・・・・例えばカーロッタのような俗なものでなく、人間の心に美そのものに触れたような霊感を与える歌声を手に入れるためには犠牲が必要だ」

犠牲・・・そう何かを得る為には、ましてや美というものを自分の喉に宿すためにはなにか代償が必要なのは理解できた。

「分かります、天使様。よく分かります。どうぞ、おっしゃってください・・・。何をお望みなのですか?」

私は跪き、頭を垂れ震えながら恐る恐る訊ねた。
天使様のようにとまではいかなくても、一瞬でも美そのものになれるなら少々命が短くなっても構わないくらいだった。

「音楽の天使に仕えるには清らかでなくてはならない。分るかね?」

「はい。・・はい、分ります」

もちろんそうに違いない。清い魂だからこそ神は美しいものを体現する資格をお与えになるような気がする。それにブルターニュの村祭りを回りながら音楽の偉大さは決して金銭と交換できるようなものではない、音楽を奏でる事が神を祝福しているのだと言って父はお礼のお金すら受け取らない事が多かった。


「だからオペラ座の軽薄な子ねずみ達のようにパトロンを求める事に躍起になったりせずに私とのレッスンを大切にして欲しい。つまりパトロンを持たず、結婚もしないと約束するのだ。これが条件だ、クリスティーヌ・ダーエ」

なんと簡単な条件だろうか!私はほっと胸を撫でた。もともとくだらない女の競争・・・どんな爵位や人脈、財力を持つパトロンを持てたかという一種の女の虚栄心の小競り合いにはうんざりしていた。
何よりも<声>とのレッスンは未知の世界を切り開いていくような輝きに満ちていた。彼は私の声帯の欠点を直してくれ、今まで知らなかった様々な知識を与えて下さったのだった。

それにさみしさを埋めてくれた<声>にいなくなられるのは絶対に耐えられなかった。喜んで彼の音楽の修道女になろう、そうあのサンヴァンサン・ド・ポール教会の敬虔な修道女のように。


私は二つ返事で約束をした。



即ち純潔を捧げると!






そう約束させた時の自分の感情を上手く表現出来ない。


父親を亡くし悲しみにくれる少女の姿は私の胸にも突き刺さった。普段どおりにしているようで心は死んでいるのがはっきり分るのだった。たった一つの拠り所を失った絶望に今まさに沈もうとするを救いたくて歌いかけてしまった。



もともと才能に恵まれていた彼女を我が音楽の殿堂の中心に添えてみたいと思ったのは無理からぬ事だった。
醜い私と違って歌手として、栄光という王冠を頂くのも夢ではあるまい。いや、そうさせて見せる。


自分が受けるべき輝きを他人に分けてやろうなどとは生まれて初めて思うことだった。


それほど愛おしくなってしまったのだろうか?

まさか、この私が誰かを愛するなどと・・・!!


人が恐れずにはいられない醜い容貌と全身腐肉のような身体では彼女と直接会うこともかなわない。
直接生身の男、化け物として会ったところで何の益もない。
ましてやこの醜い身体であのような白く無垢な身体に触れることなど想像もできなかった。
それに自分の欲望以上に決して見られたくなかった。




私が生涯味わう事のない悦びを彼女からも取り上げよう。

お前は肉の悦びなど永遠に知らなくていいのだ!





火刑のような欲望がそれでなくなるわけではなかったが、彼女の純潔で炎を慰めるのだ。








あとがき・・・

音楽の天使はクリスティーヌに結婚を禁じていました。まぁ、いつも通りの原作の設定ですが。

先日削除しましたが、「肉体的にも癒されているエリックも描きたい~」と書きました。で、あれこれリラックスして・・・する設定を考えてみたのですが結構難しいですね。(記事で書いたダロガというのは腐女子の妄想。好きですが・・・)
まず第一に「醜い姿も見られたくない」、そして第一相手がいない。もしかしたら娼婦なら・・・とも思いますがそれは物理的な行為なので論外。
なかなか難しい条件があるのですが、こういう設定が「結婚してはならぬ」という屈折した要求になったのかもしれません。
でも初心なクリスティーヌなのであまり苦しみにはならないかもしれません。

サンヴァンサン・ド・ポール愛徳修道女会礼拝堂教会というのは原作中に登場する「あれこれ指示するエリックに愛徳修道女会のシスターのように従っていた」というようなラウル視点の描写から。

ファンクリ

2007年03月11日 | 「オペラ座の怪人」


ブーローニュの森の馬車での散歩はラウル以外にとっては素敵な場面かと思います。

いずれ馬車で描きたいな、と思いつつ・・・なぜかへたくそなフェラーリに?


「高級馬車」とあるので高級車にしました。クラウンとかじゃイメージじゃない気もしますし「跳ね馬」というのがいいかな、と。
馬好きそうですよね。セザール(皇帝のイメージが・・・シーザー、カエサルのフランス語読み♪)という名の白馬を飼ってたりしますしね。
(飼ってるんでしょうか、あれは?)

うっかり

2007年03月11日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」
ダロエリの記事を削除しようと思ったら、昨日のロベール・ウーダンの記事まで消してしまいました。この奇術師に関してはいずれ書くつもりです。多分エリックのモデルの一人かと思います。




映画版を愛でつつ、萌えが微妙な方向に向かってしまう管理人です。
やはり舞台の暗い雰囲気はなかなかです。最初は全然映画の方が良かったのに不思議です。
舞台の「地下へ・・」の場面も舟を漕ぐファントムと青黒い湖面からせり上がる燭台、そしてスモークが美しいです。
あ、バトラーファントムには映画のような演出が似合っていると思います。ラストの鏡割りも・・・。
映画版だとクリスティーヌとの関わりが彼女の幼い頃からという設定は萌えです。
あと最初の仮面をはがした後のクリスティーヌの悔恨の涙や墓場でとどめをsさそうとするラウルを制するあたりなど好きですね。

原作を一読しただけでここまではまれたかと言うとどうかなぁ~とも思いますし、映画がなければこの作品には出会えなかったですし、エリックはこの作品のこことここが、ファントムは誰と誰の歌声が好き、でもこの歌に関してはこの人、クリスティーヌは原作とエミー・クリスがよい・・・。この場面の美術は舞台が、でもあの場面は映画が・・・・などなどどれも甲乙つけがたい感じです。
(ラウルは映画でしょ!!!!絶対!)


アレキサンダー・ゲーベル氏の怪人を聴きながら原作を妄想というのが今のところ管理人の最高の組合わせです。


写真はアメリカのWOLF版の表紙です。

なんだか

2007年03月10日 | 「オペラ座の怪人」

「オペラ座の怪人」も下火ですね。
私はまだまだ大好きなんですが、特に原作。

何と言っても描きたい場面がいくつもあるのです。
例えば「ペロス・ギレック」の海岸や「墓場」の場面などです。
「墓場」は映画にも、舞台にもなっているのですが、原作の「金網に包まれた骸骨」も「まばゆく輝く聖具室」もないし・・・・。
資料を見るとペロスの海岸も凄く雰囲気のある海岸なのです!!!
コンゴの森とか・・・誰か見たい人居るかしら?ツェツェ蝿とか


・・・にしても、怪人さんやダロガはともかく(いや、下手なのは分かってるのですが)クリスティーヌをもっと愛らしく描けたら、という反省は常々しています。

「不幸で可哀相なエリック」と「可哀相で優しいクリスティーヌ」の愛の物語というのは基本です
(時に腐女子脳が発動しても)





アストラハン帽

2007年03月09日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」
アストラハン帽といえば「ダロガ」のトレードマークです。

管理人はこの帽子はアメリカのWolf版「オペラ座の怪人」の挿絵を見て描いています。

「カラクル羊の発祥地は、アフガニスタンの北の隣国の、ウズベキスタンの交易都市ブハラ周辺だというのが定説となっている。

ブハラ周辺にいた野性のカラクル羊は素晴らしい毛皮を作り出す事が出来た。

この貴重な毛皮は、隊商の手により1000キロ以上離れたカスピ海方面に運ばれ、ボルガ川河口の商都アストラハンのスーク(市場)では、防寒着としてロシアやコサックの金持ちに売られた。

ロシア人はこの毛皮を「アストラハン」と呼ぶ。」(岩波新書「アフガニスタン」渡辺光一著)


つまりカラクル羊の毛皮で作られた帽子なのです。

エリックの埋葬

2007年03月08日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」

彼はもちろん火葬ではなく土葬でした。

気絶したクリスティーヌを初めて抱きかかえた泉のほとりに埋葬されたのは原作にあるとおりですが、死後数週間たった遺体を・・・というのはどんな状況か想像出来ません。

怪人さんのことなので女性のクリスティーヌが上手く埋葬できるように工夫をしたのかも・・・と思いますが、金の指輪をしてあげるという事は遺体は見たり、触ったりしたのでしょう。


このあたりを上手く書いた二次創作が読んでみたいです(^^)

ファントム・クリス

2007年03月08日 | 「オペラ座の怪人」


クリスティーヌだけがエリックの音楽の本質、美しさと恐ろしさを理解するという設定はやはり良いです。

二人だけの世界が感じられて・・・。萌えますね(*^^*)


原作でも「勝利のドン・ファン」は実はダロガとクリスティーヌが聴いているのですが、その音楽に圧倒され、翻弄されるのはクリスティーヌなのです。(原作では上演されず、最後に怪人本人に処分されます)


まぁ、理解できすぎて怖い、とか危険と言うのもあるかもしれません。




「勝利のドン・ファン」は

「いいかね、クリスティーヌ、音楽の中には、それに近づく者を誰かれかまわず焼き尽くしてしまうような恐ろしいものがあるんだ。

きみがまだそういう音楽に出会っていないのは幸いだ。
出会ったが最後、きみはその生き生きとした血色を失い、パリの街に戻った時、誰もきみだと気づかないほどになってしまうからね。

さあ、オペラを歌おう、クリスティーヌ・ダーエ」



と表現されていて後のパリ爆破を言っているのかよくわかりませんが恐ろしい音楽のようです。



手持ち無沙汰の絞首刑執行人

2007年03月07日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」
さてさて何故この演目が「手持ち無沙汰の絞首刑執行人」などと呼ばれるのでしょう?

囚人は灼熱の責め苦に、鏡の生み出す悪夢のような密林を出口を求めてさ迷いついに正気を失い、ありえないはずのライオンの咆哮、死臭に群がるツェツェ蝿の羽音を聞きます。

拷問部屋の囚人からは決して見えない小窓からは、この世で最も愛らしい顔立ちの姫君と恐ろしい死神がその様子を涼し気な様子で眺めています。
彼等は優雅に絹張りの椅子に腰掛け何もしません。

なぜなら囚人は操り人形のように奇術師の脚本通り、その地獄の業火のような暑さ、頭を犯す幻想の数々がやがてその灼熱の森の木にぶる下がった絞首刑の縄を苦悩から開放する救いだと思うに至るのです!

そう・・・この演目は術者は何もせず囚人自らその縄を乞い求め、「自ら死刑を執行する」恐ろしい感覚を操る悪魔・・・エリックの演目なのでございます。




原作から発想を得た創作です。