The Phantom of the Opera / Gaston Leroux

ガストン・ルルー原作「オペラ座の怪人」

決別

2007年03月05日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」


<ペルシャ人>の話では、
エリックはルアン近郊の小さな町の出身だった。
彼は左官工事請負業者の息子として生まれたが、あまりの醜さに両親にまで忌み嫌われたので、早くから家を出た。(p448)





自分には名前も祖国もない

たまたまエリックという名前を名乗っただけなのだ。




保護者がつけた名前を捨て、自ら名前をつけるという行為と強い意志が悲しく、同時に彼らしいと思いました。

心をさいなむ両親から離れられて一種の開放感に浸って子供らしく塀の上で遊んでいる・・・というイメージで描きました。これを感傷的にはしたくなかったので、表情は明るめにしたつもりです。
ちなみに「ERIK」という名前には支配者という意味があるとか・・。
個人的に彼は自分自身の支配者だっただろうと考えています。少なくとも彼はそう思っている。

オペラ座地下での人間界からの孤立と言っても、それはペルシャ時代のような罪を犯したくもうない、静かに生きたい、他人に煩わされたくないためでしょう。

そう願う事がすなわち地下に生きる事に直結するのはまさしくちょっと悲しいです。

仮面をはずして生きる、という選択肢もありますが、近しい人の心の支えもなく他者の視線に身を晒すのは精神的に耐えがたかっのだと思います。

クリスティーヌも村祭りのヴァイオリン弾きの娘として他人に身を晒す経験もありますし、訳によっては
母親が身体が不自由だったとあるので、エリックの心の痛みを自分のものとして感じる事が出来たのだと思います。

名前についてはもっと鋭く、考えさせられる指摘をされているサイト様もありますので、ぜひぜひ、私のHPのリンクからお探しください。

デッサンが狂っているのは分かってます。でもマウスで苦労して描いたので過去絵倉庫入り・・・。

 


ラウルとクリスティーヌ

2007年03月05日 | Weblog


ブルターニュの田舎、ペレス・ギレック。
小さな頃の二人がダーエ・パパの語る北欧神話や<音楽の天使>のお話に聞き耳を立てているイメージです。
まずどうして貴族の子息と<村祭りのヴァイオリン弾き>の娘さんが一緒にいるか・・・。
クリスティーネはヴァレリウス教授たちとパリからここに来ていたのです。
ラウルは彼を生んだ時母をなくしていて当時は伯母の家にいました。
そこで例のスカーフ事件でクリスティーヌと出会います。
ダーエ・パパはラウルのヴァイオリン教師になり、ふたりは仲良くなるのです。



「・・・二人の最大の楽しみは、太陽が沈んだあと、あたりがひっそり静まり返った黄昏時に、
クリスティーヌの父が道端に子供達と並んで座り、北方の国々の伝説を話して聞かせてくれることだった。」 (角川p84)



(^^)こういう部分が個人的に大好きです。情景として凄く美しく幻想的だと思います。


この牧歌的で郷愁を誘うようなブルターニュの風景を思い描く時、エリックは当時どうしていたのか・・・と思います。またこの年頃に近所の人を親しく訪ねたことがあったのか・・・なんて考えてしんみりしてしまいます。




クリスティーヌ

2007年03月05日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」

レースを編むクリスティーヌ

「ぴかぴかに磨き上げられたマホガニー製の椅子、タンスや銅製の置物、
肘掛椅子の背に小さな手編みのレースをかけるというような細やかな心遣い、
振り子時計・・・貝殻や赤い針刺し」・・・P427)
エリックの部屋の様子の描写を読んで
この<手編みのレース>でこの場面を思い出してしまいました。
それはヴァレリウス夫人の家でラウルが見た光景として語られています。



「・・・クリスティーヌはレース編みをしていたのだ。
うつむいて手芸に精を出している彼女の瓜実顔は類なく美しく、その額は類なく清らかで、眼差しは類なく優しかった。」(p171)


レース編みはよくある趣味なのでエリックの母親の面影と重ねるのは無理があるかもしれません。
でもせっかくガストン・ルルーがレースを編むクリスを美しく書いてくれたので・・・・。