2007.3.2
四季の観劇でこの天使像に載ったファントムが「ALL I ASK OF YOU」を聴きながら耳を押えて苦しみ、呪いの歌を絶唱するのを聴きました。
映画だとファントムの涙にこちらも泣いてしまうのですが(同情)、舞台は何だか怖いです(恐怖)。
その後にクリスティーヌめがけてシャンデリアを落とすのですが、管理人的には舞台のファントムの方がいいです。「憎悪と紙一重の、狂気そのもののような恋」
本当の事を言うとどうも「ドンファン」で仮面をはがす必要性というのがよく分かりません。
昨日の舞台だとラウルの開放も「昔は心捧げた・・・」と手を組んで哀願。「昔」」って「音楽の天使」を演じていた頃なのでしょうか?
キスの意味も分かりにくい・・・ような。
「一人ではない事を・・・」
でも一人ぼっちにしてるし・・・。
普通(性的にも)ファントムが好きなら彼のもとに残ると思うんですが・・・。一体ファントムの元にとどまるの何かいけない理由でも?
本当に好きなら、仮に刑務所に入った彼でも待てばいい。全世界を敵にまわしても愛が貫けるはずだと思うのですが。
やはり原作の終わりが管理人は好きですね。
ダロガも裏切り(ちょっと酷すぎ)、ラウルを地下に閉じ込め、脅迫という汚い手段で結婚までこぎついた怪人に対して、それでもクリスは覚悟を決めて
「背筋を伸ばして待っていた」
ここでエリックは「木の葉のように震えていた」とあります。
私見ですがこのクリスティーヌの姿を見て心打たれる気持ちはよく分かります。エリックに対して「約束を守る」、今現在は罪人にも関わらず普通の人間のように扱う、と言うのが感動的です。
エリック視点で見るときに、その自己犠牲は崇高で眩しい・・・ように思えます。しかもエリックを騙そうとはもうしていない。(最初の監禁の時は演じて騙して、開放された。怪人が騙されていたとは思わないのですが)
そしてこれほど幼く(10代で)、苦労人で(父親にしてもクリスティーヌに苦労かけていると思うのです)、善良なクリスティーヌが醜い(と言うより、そういう精神構造をある意味強いられた)自分に湧き出るような涙を流す・・・。
歪んで、殺人者の自分、今現在のありのままの自分に・・・激しく同情の涙を流し、礼儀を尽くす。
申し訳ない気持ちでいっぱいになって、自分がもの凄い負担を彼女に強いていたのか気づかされる。
クリスティーヌは激しく同情してはいても、「男として」エリックを愛してはいない。その、実は知っていた「事実」を一緒に泣いてもらって初めて「受け入れられた」。
クリスティーヌは心配していて「愛していない事実を彼が認識したら死ぬだろう」と見抜いているのも凄いです。「精神的に死にたくない(発狂したくない)」ために嘘を構築しようとする。脅迫を持って・・・。
存在そのもののような幻想、愛の夢から醒める事、諦める事は「心を八つ裂きにしたも同然だった」(P438)
と言う方が通りがいいのです。私の中で。