The Phantom of the Opera / Gaston Leroux

ガストン・ルルー原作「オペラ座の怪人」

Auguste-Emmanuel Vaucorbeil

2007年09月27日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」

 

オーギュスト・エマニュエル・ヴォーコルベイユ

1879年パリ・オペラ座総裁就任。

 

1821年12月15日フランスのルーアンに生まれる。1884年11月 2日パリで死亡。

音楽家。

1878年説は覆りますが、

ラウルがオペラ座に来たのが1878年5月のオペラ座前広場の実験の後だとして、1878年冬から1879年の総裁、支配人交代の後の仮面舞踏会で・・・とも考えられたり。

 

なかなか、ルルー自身が確実な年月日まで想定していたか、仮にモデルがいたとしてもその人物の全てを重ねられるほどにオリキャラに取り入れたかは疑問。

 

1879年説が魅力的なのは 1879年4月16日、復活祭直後聖ベルナデット・ヌヴェールが亡くなっている事。

1876年には聖カタリナ・ラブレがなくなっているので、この不朽体の聖人・・・「死んだ美しい女」の死にはまれているからです。

1879年復活祭のあたりにエリックが死んだとすれば「魂の救済=復活」という図式にもつながるような気がします。

しかも聖ベルナデット・ヌヴェールは「ルルドの泉」の発見者。

原作でも「泉」と言うのは「渇いた心を癒す」「クリスティーヌの憐れみの涙」「魂の救済・復活」などを象徴していますし、エリック自身「ルルドの泉」で自分の醜さを治したい、と言う願望があったかもしれません。

 

少なくともガストン・ルルーが生きていた時代のフランスで「ルルド・ブーム」が起こっていたのは事実です。

ユイスマンの作品にも描かれています。

 


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