The Phantom of the Opera / Gaston Leroux

ガストン・ルルー原作「オペラ座の怪人」

ラザロの復活・マドレーヌ寺院

2007年09月16日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」
「ラザロの復活」ほど象徴的でエリックが繰り返し演奏したものはないです。


「ヨハネ福音書」の十二章一節は腐って臭いを発していたラザロの死骸が生き返る場面です。

このあたりは思いっきりエリックの外見に似てます。



マグダラのマリア
イエスに七つの悪霊を追い出していただいた人間。

悪霊に満たされている状態を「魂の腐敗」と言うなら、悪霊を追い出していただく事は「魂の復活」とは言わないのだろうか?


マグダラのマリアはエリック、そしてキリスト(クリスト=クリスティーヌ)という図式も成り立たないだろうか?


パリのマドレーヌ寺院の主祭壇はマロチェッティ(w:Carlo Marochetti)らによる『聖マグダラのマリアの歓喜』像で飾られている。


そしてそこには今もなおサント=マドレーヌ大聖堂からマグダラのマリアの遺骸(頭蓋骨)の一部が分骨され眠っている。

エリックが結婚式場に名指ししたパリのマドレーヌ寺院に。





「ラザロの復活」「マドレーヌ(マグダラのマリア)」は人間の魂が一度死んで、また生き返ることの象徴、それが可能だという事の象徴なのではないだろうか?



結局「結婚して人並みの生活をすれば子羊のようになる」と言っていた彼は真実の愛に八つ裂きにされるような「痛み」の中で本当の自己を生みださざるを得なかった。

「こうすれば、自分は変われる」と言う自己分析と打算的な方法論は、クリスティーヌへの限りない尊敬のうちに葬られてしまう。


どんなに頭でこねくり回した理論よりも素朴な娘の真実の涙にかなうはずはない。


他人の痛みを我が事のように感じる「共感」こそエリックに欠けていたもので強烈に渇望していたもの。
やっぱりそれは「愛」に他ならないような気がする。


それを偽りの姿のまま受け取っても何の意味もない。取り澄ました人格が完全に瓦解した後だからこそ逃げずにいるクリスティーヌはエリックにとって無上の尊敬を受けたのだろう。


後半部分は以前の記事の繰り返しですね。すみません。






「マグダラのマリアの歓喜」「エリックの歓喜」

クリスティーヌとの出会いはエリックに生まれてきてよかった、と思わせてくれた最大のもの。



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