地方の女たち

夜の街で出会った女達と男達

1月17日・23年前

2018-01-17 18:12:27 | 最近のニュースから
阪神淡路大震災が発生した日です。23年前に・・

その時期に私は大阪で生活していて、徳島と大阪を行き来する生活でした。

今思えば 災害の大きかった地域の 両隣が 生活圏だったので、地震の直接的な被害は逃れることができたのかもしれません。

正確には覚えていませんが、地震発生後の早い段階で神戸の中心地に行きました。
大阪から可能な限り近くまで電車で行きその後は徒歩です。

単純に現場を見たいという気持ちと、仕事で関係のある人や会社 、嫁(当時)の友人で仲の良かった人も連絡が取れなかったので、 嫁と二人で行きました。
電車の駅のトイレなどは汚物の山になって機能していませんし、その付近にも汚物が散乱していました。

神戸の中心地に近づくとともに、悲惨な状況を目にします。
あの高速道路が倒れているのを間近で見ると 「怖い」と強く感じました。
そこには焼けた車がそのままだったり、折れた橋脚から曲がった鉄筋がむき出しだったりしてて異様な光景だった事を覚えています。
近くの鉄骨のビルは真ん中付近でグニャッと曲がり、今にも倒れそうだったりしていました。

裏通りの住宅の多い地区を歩くと、木造住宅の屋根にブルーシートを家族で協力しながら被っている光景を目にします。
ある木造平屋の家で、中年男性が一人で作業をしていたので
「手伝いましょうか」 と 声をかけると
疲れた感じで「お願いします」 と

その作業中に何かかける言葉はないかと探したのですが、どう言えばいいのか迷うだけで、適した言葉が見つかりませんでした。
ただ作業に必要な会話だけに終わりました。

その作業中も小さな余震は何度かあり、その度に壊れかかった家が悲鳴をあげます。

残念ながらその日は神戸の中心地で住む友人の所まではいけませんでした。
後日に尋ねたのですが、その友人の住むマンションのエレベーター付近の壁は大きな亀裂が有り、余震が続く中で乗るのは気持ち悪かったですね。

大都市の直下型地震で、見る物全てが記録映画の中で見るようなものばかりでした。

私はそんな状況から復興していく姿を見続けました。
神戸や淡路島の力強く復旧する姿には勇気も貰ったが、、、、、地震の怖さも教えられた。