今日の料理(こだわりがないのがこだわり)

フードリテラシーに沿いつつも、なるべく夢のある料理や飲食をジャンル・国境・時代・時間をボーダレスに越えて書いています。

どんな業種や職種にも限らない事なのかもしれないが・・・

2021年05月05日 | 飲食業
いろいろなもの15にも書いた事に付け足し補足をしたものだが、(自身の自由にしたいから)もう1回独立させて、自身に対する自戒の念の1つとしよう!!

発酵した生地を観ていてふと、『勉強』って目に見える結果を勝ち得て終わりではなく

自身がどのぐらい出来ないか。
日常の文化に普段使いとして身に付くか。
人は何と言おうと自分はこれ!!と出来るか?
分量の塩梅が出来て必要最低限に近い量で最大限の効果を出せるか?
失敗しそうになっても修正出来るか?
学び続けられる文化として定着をするか。
それを知って初めて勉強なのかなって。
(他にもきっとまだ要素はあるのかもしれないが)
なんか急にスカーンっとこれら全部が改めて一気に頭の上の方から降りてきた感じになった・・・

いつもどこでも懸命にとことんまでやった事って長期でも短期でも、ある時急にスカーンと天というか頭の上から、急に、こう上手く言えないけれど、『真理?』みたいなのが、何気ない時にガーンっと落ちてくる時がある。

それで何が変わるって事は何も無いのだが、一気にいろいろな付属する事が派生して観える幅(とか視点みたいなモノ)が僅かにより遠くになっていくというか。
(だからって直ぐ何が変わるでもないのだが)

そんな不思議な感覚の経験を人生で何度も経験をしている。

別にスピリチュアル的な事ではなく、経験値からくる、こうなんていうか・・
ギターとかのどうしても出来ないフレーズをずっと練習し続けていて、ある日急に、そのフレーズが出来た時と、「僅かに」似ている感覚とでもいえばいいだろうか(今は殆ど弾けないんだけれど)、←その感覚のやや大きいVer.という感覚が何気ない時に一気にくる。

大した事無い何気ない事なんだけれど、牡蠣の柳川で(自身の中の)次のSTAGEを垣間見た時よりも、何か大きな流れの感覚というか。
直ぐに何が変わるってものでもないのだけれど・・・



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