1879 大学をでて、入社して直ぐから、会社の各職場を一か月毎に、巡って、いた。射出成型、プレス成型、ガラス繊維入りペレット製造、そして、四か月後、四か所目、検査室にいた。押出成形部門のボビンスリーブという製品の不良返品が山になっているし、返品も半端じゃなかった。大学は化学だったが、品管の手法を使った卒論を書いた私としては、何とかしなければと、思ってしまった。三交替で24時間生産の現場で付きっきりで、不良の種類と原因の究明と対策、解決方法を見つけようと、生産につきあった。昼間、他の人に8時間任せ、私は16時間夜勤を中心にデータ取りをした。土日を含めて二週間の予定だった。
13日目が終わった土曜日、明け方、勤務を終えて寮(寮は敷地内に会って仕事場から100mくらいしか離れていなっかった)に戻ったと同時に、強烈な腹痛に見舞われた、どうにも我慢ができない。七転八倒、寮母も何事かと駆け付けてきてくれて、痛み止めを呑んだが、一向になおらない。会社の事務所(ここも100mくらいの距離)に知らせに行ってくれて、車で直ぐ近くの国立東静病院へ送ってくれた。ところが、病因まで分くらいの距離だが、車に乗ったころから痛みが和らいで、病院についた時には、痛みがどこかへ行ってしまっていた。痛くもかゆくもなくなっていた。大騒ぎをした手前、今さら帰るわけにもいかずに救急受付にはいった。
看護婦しかいない、専門の先生はいない、とにかく入院しなさいと言われ、そのまま、病室のベッドに寝かされた。看護婦に、どこが痛いかと聞かれ、痛かった場所を押さえて見せた。結局、「専門医が学会へ出かけてしまっていて、月曜日出勤だし、返してしまうわけにいかないから、泊って行って下さい」ということになった。そして、昼食、夕食、重湯を少ししか出してくれない、日曜の朝になって、車を持っていた先輩、友人が見舞いに来た、「そんなにお腹が空いているなら、今から、長岡へバーベキューを食いに行こう」となって、看護婦に外出すると言って、片道1時間ほどの中伊豆の温泉地、長岡の山の中の野外バーベユーまで行ってたらふく食べて戻ってきたのが夕方5時ごろだった。
北のゴルフ場から、途中、昨日もよったトコ バングナンに今日も寄って買い物をし、リッポチカラン方面に帰る途中、ジャバベカ1を左に見ながら通過、そのすぐ後、前が塞がれていてまっ直ぐ南に向かえなくなっていて、左に曲がって、ジャバベカ2に入る。そして、しばらく行ったところでUターンし、先ほど、左に曲がった場所まで戻って、リッポチカラン方面に向かう。かなりの遠回りだ。今日は日曜なので、空いていたが、普段は、大渋滞の連続で、こちらの方面には、出来るなら来たくない。
無茶 規則 無鉄砲