1878 散々、すったもんだした末に受注した製品、POを受けて量産スタートした途端に、思うような製品が出来なくなってしまった。原因の大部分は、インドネシアだから、ということです。日本なら、こんなことはあり得ない。だが、ここはインドネシア、受け入れるしかない。
切羽詰まっている、そこで、今日もゴルフの後に仕事場に出て、あれやこれややってみた。そして、いくつかのひらめき(やってみる価値がありそうな事)があった。月曜日の朝から、やることができるように今日明日で準備をしなければならない、そこで、夕方、トコ バングナン(toko bangunan)日本のホームセンターの様な店に向かって、必要品を購入した。明日、また、別の店へいって、別の必要品を購入する。
この製品は約1年前から試作をしている。途中でしようが変わったり、製品の評価が担当者が変わるたびに変わったり、物性とか寸法にように数字での公差に入っていればOKというのが、当たり前の評価方法の世界で氏音をしてきた私にとっては、全く、納得いかない製品だった。何度も、匙を投げてしまおうかと思った。それも、出来ない私なので、かなりの私財を投入して、やっと、完成までこぎつけた製品でしたが、量産のために注文した届けられた原料が、試作の時に使って物と違っていた。ショックだった。
この時は、この年になって、仕事をしていなければ、こんなことにならないのに、巻き込まれることはないのにと思った。悩み多き青春である。あれやこれや考え込んでしまって、夜も眠れない、ゴルフも上の空でやっていた。
マレーシア航空機、どうしちゃったのでしょうか。空中分解でしょうか、自爆テロでしょうか。
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それでも、何とかなる、何とかするのが私と、自分に言っている。
ショック ストレス ヒラメキ