アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

307 アチャコの京都観光日誌 逆順の天皇史 ⑦ 早世の有能な天皇(惜しまれて薨去)

2018-03-08 08:34:10 | 日記

逆順でたどる平安京の天皇たち

 

114代 中御門天皇 元禄生まれの天皇

 「中御門天皇」の画像検索結果

 

・     在位

・     1709年~1735年 25年間

・     譲位により院政

l  在位中元号

l  宝永・正徳・享保

l  父

l  東山天皇

l  陵墓

l  泉涌寺 月輪陵

l  朝廷

l  京都御所(土御門東洞院殿)

 

生まれは、元禄14年である。そうだ、浅野内匠頭切腹の年だ。幼少期ながら忠臣蔵の話は、この天皇にも伝わったはずだ。内匠頭が接待役となった勅使・院使の天皇とは、父東山天皇・祖父霊元上皇の事である。

いよいよ遠い歴史上の天皇という感じがする。将軍は、吉宣・家継・吉宗の時代で、朝幕間の関係も良好の時代だ。

父の東山の院政と、祖父霊元の院政の間が長く、ご自身の功績は少ないが、重要な施策が実現している。

「正徳の治」の時代である。新井白石の登場だ。忠臣蔵では、助命論を退け切腹を進言したが、皇位継承の危機をあらかじめ感じた白石は、新たに宮家の創設を提言した。世襲親王家の閑院宮家の誕生だ。東山天皇の皇子の一人が初代閑院宮となる。後年、光格天皇即位時に皇統断絶の危機を救う事になる。

 「新井白石」の画像検索結果

何度も言うが、現在に新井白石はいない。皇統の危機だ。眞子妃殿下の結婚問題にかまってられる状況ではない。勿論、眞子様にはお幸せになって欲しい。週刊誌ネタに振り回される場合ではないと言いたい。側室を許さない時代であれば新宮家の創設も選択肢の一つだ。

因みに、在位中、霊元上皇の皇女が、将軍家継に降嫁する話が出来ていた。公武合体の実現だ。天皇の皇女が江戸城に入るのは初めての事であった。結局、家継が早世した為、実現せず幕末の皇女和宮の降嫁を待たなければならない。公武合体が切実な課題となっていたのだ。

中御門天皇も文化的に優秀な方で、御製を多く残しながらも若くして崩御した。長生きすれば多くの文化的・皇室行事的な功績を残すはずであった。

 「象 中御門天皇」の画像検索結果

また、「象」を見た初めての天皇で、ベトナムからの使者のお土産で、天皇に拝謁する為には、無位無官では実現できないと象に「従四位」の位を与えている。面白い逸話だ。当然直答は許されない簾内での対面であった。  その時の御製、

時しあれは 人の国なるけたものも けふ九重に みるがうれしさ

天皇の感動が伝わる和歌だ。

その薨去はとても惜しまれての事と記録されている。

次は、父 東山天皇。いよいよ忠臣蔵が登場。天皇も大きな関心を持つ。

 

 


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