八瀬八幡宮に行って来た。
市内に数々ある天神さんの一つ、水火天満宮などを勧請した道真の師である尊意が勧請した。ここは、叡山に登る八瀬坂の起点で、古くから開かれた登山道で、南北朝時代に後醍醐天皇が足利尊氏勢から逃げて比叡山に登る時立ち寄った。
境内には秋元神社が祀られており、赦免地踊りで知られている。何か霊気を感じる。
比叡山との境界争いで老中秋元喬知の裁許により八瀬村の利権が認められ、報恩のために村人が喬知を秋元大明神として祀ったもので、村民の愁訴が功を奏し、私領・寺領を上地して一村禁裏御料となり、年貢・諸役一切を免除するとの裁決が下された。
それに由来する「赦免地踊」は、女装の青年の頭に八基の燈篭を灯し、八瀬の人々によって一夜の優雅な祭りが繰り広げられる。
なお、ここの八瀬童子は、延暦寺の雑色や輿を担ぐ任を務めた村落の人々で中世以降は天皇の臨時の駕輿丁を務めた。従事する者は結髪せず、長い髪を垂らしたいわゆる子供のような姿であったため童子と呼ばれる、昭和天皇の棺を担ぐため東京まで招かれたのは記憶に新しい。
大正時代の様子
また、葵祭で天皇の輿丁として登場し奉仕した往時の姿をしのばせている。
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