アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

859 あちゃこの京都日誌  新シリーズ 新天皇の国紀 ②

2021-08-04 10:02:03 | 日記

皇位継承の筆者統計より

皇室を揺るがす衝撃「逮捕劇」! 皇后の女官長、“神のお告げ”に洗脳 ...

 本文に入る前に、126代今上陛下までの皇位継承の130例(南北朝の北朝含む)をすべて調査して見た。その結果、親から子への継承が一番多いのは当然だが、67例で半分ほどに過ぎないことが分かった。これを第1子かそれ以外かを見れば色々な事情が見えてきそうだが、正規なお后からの子以外は記録に不明なものが多く詳細な調査は断念した。次は、兄弟間の継承例が26例で次に多い。これも兄から弟へが24例を占めるが、4件が兄へ継承している。古代の24代仁賢天皇は弟の顕宗天皇から、33代推古天皇(本邦初の女性天皇)と117代後桜町天皇(現在最後の女性天皇)は弟の崇峻天皇、桃園天皇の早世により急遽次代へのつなぎの為の即位であった。71代後三条天皇も弟からの継承だがこれは本編で詳しく書く。あとは、従兄弟・甥・孫など血統の近いものへの継承が続く。意外に孫への相続は少なく、古代の欽明天皇(推古の孫)、文武天皇(持統の孫)はいずれも女性天皇の直系孫で、この2例は複雑な事情が絡むが、戦国時代の陽成天皇は正親町天皇の孫で、父である皇太子が即位以前に亡くなった為で特に争いはなかった。この時代には争って天皇の地位を奪い合うものではなくなっていた。そして以上の範疇に入らない、別系統からの即位が14例ある。26代の継体天皇は5世さかのぼり応神天皇の子孫と言うがかなり怪しい。あとは南北朝時代に見られるように二つの血統が争う場合にあたる。ただ原則男系(父親をたどれば天皇にたどり着く)であることは間違いない。それ以外は、重祚と言う同じ天皇が2度即位したのが2例ある。皇極天皇は舒明天皇の后(重祚して斉明天皇)、孝謙天皇は聖武天皇の皇女(重祚して称徳天皇)である。いずれも古代における例だ。因みに、江戸時代後期の光格天皇が別系統から即位した以降は、今上陛下まで7代は親子の継承という順当な即位を続けている。

 このように様々な皇位継承の形を踏みながら現在まで男系男子をつなぐ中で、半分以上は親子以外の継承で繋いで来た。そこには、権力という魅力あふれる最高の地位である天皇の地位を奪い合う時代の複雑な皇位継承もあれば、後継者のいない皇室断絶の危機を知恵と権威で守って来た先人の苦労もうかがえる。現代でも、直系の親子(しかも長男)以外の継承や女性天皇については慎重に検討する必要がある。その為にはまず先人の苦労を正しく知ることが重要だ。以下に象徴的な事例を示しつつ検討したい。

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