その4 皇位継承の基本形 「皇位は奪わない」
この時代重要なことは、「皇位は奪わない」ものにした事だ。藤原氏はいつでも天皇家を滅ぼし自らの一族に皇位を奪うことも出来た。しかし、天皇家の神秘性を利用しその実権のみを奪い取る方が、合理的で権力と財力を得るには上策であることに気づく。これは世界にも例がない日本固有の権力形態となって行く。皇位は奪うのではなく天皇の権威を利用して、権力(実権)を得るのである。天皇は男系男子という限られた制約の中で継承していくが、藤原氏は増殖を繰り返し政権の中枢のみならず、荘園制度を利用して地方政治にも根を張り、和歌や雅楽などの文化にまで支配が及んで行く。もちろん中国のような王朝交代時の徹底的文化破壊は起こらなかった為、文化・伝統芸能などの伝承が間断なく続いた功績は絶大である。
藤原家と皇室を例えば、旧家の本家と分家の関係になぞらえればどうだろうか。本家が如何に衰えて分家が栄えようと、本家は本家であり法事や慶事の時の拠りどころである。分家が如何に財力や権力を持とうと分家には違いがなく、本家の権威には及ばない。天皇家という本家を担いでいれば分家は一族の中で相応に自由に振る舞える。因みに、藤原氏の祖先は神話の「天児屋命」であり「アマテラス」に仕えた。天の岩戸の伝説や天孫降臨の際にも伴っていて、皇室に最初に仕えた「神」ということになっている。従って、大神になるのではなく、大神(皇室)に仕えることで一族の存在意義を見出したのである。その後、藤原氏の嫡流は近衛家・鷹司家・九条家・二条家・一条家の五摂家に分立し、五摂家が交代で摂政・関白を独占し続ける。また、五摂家以外にも、三条家・西園寺家・閑院家・花山院家・御子左家・四条家・勧修寺家・日野家・中御門家など数多くの支流・庶流がありそれぞれ独自の得意分野を誇る。源平藤橘(げんぺいとうきつ)と言われる日本の姓の源流の中でも、藤原氏が圧倒定な存在感と子孫の数を持つに至る。なお、源氏・平家や鎌倉幕府における北条氏、室町幕府の足利氏などと皇族との関係性はまだまだ研究の余地がある。
ここまで、桓武天皇即位迄書くつもりだったが、藤原氏の台頭にまで及んでしまった。そして江戸幕府においては、「禁中並公家諸法度」でしばりを強め、一方で幕末には皇女和宮を将軍家に迎え公武合体を目指すなど特異な経緯をたどる。最後は、大政奉還により遂に政治の実権を皇室に返上する。まさに、「建武の中興」以来の大変革に至る。
さて、話は平安時代に戻そう。
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