アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

1008回 あちゃこの京都日誌 60回 新天皇国紀 記念号

2023-04-27 09:31:36 | 日記

⑦         譲位後の院政と追号・諡号 続き

諡号」(しごう)の意味桓武天皇 光格天皇 光孝天皇など

追号」(ついごう)の意味白河天皇 清和天皇 冷泉天皇など

 

・光格天皇の本当の最後の戦いは、天皇号である。ここでは諡号と追号、天皇号と院号を理解せねばならない。まず、桓武とか光格、光孝というのは、諡号であり生前の功績を称えた言わば美称である。一方、追号は、醍醐・冷泉など天皇に因む地名などをつけたもので美称ではない。例外的に、崇徳や安徳のように怨念を生む懸念があった場合には特別な尊号を贈った例がある。しかしいずれも院号であり天皇ではない。村上天皇を最後に子の円融院からは、単に院号を贈っている。その後この時(光格)まで、諡号も天皇号もなかったのである。我々は便宜的に、後醍醐天皇とか後水尾天皇とか言っているが、当時では後醍醐院、後水尾院と言っていた。その意味では極位にありながら、国民の戒名と変わらず院号だったのである。因みに、将軍家斉は「文恭院」であり将軍も天皇も同じだ。

仁孝天皇

実際は、子の仁孝天皇が贈ったものだが、光格上皇が生前からその復活を強く望んでいたことは間違いがない。当たり前に使っている天皇号だが、平安時代後半以降、鎌倉・室町・江戸時代と使用されていなかったことを考えると非常に大きな功績である。なお、光格もそうだが、仁孝など文字自体に意味はない。年号と同じである。また、現在は年号と天皇号の名が同じなので、諡号というべきかと思う。今回のコロナ騒動で、改元の議論が出ているが天皇の諡号と共に議論すべきである。


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