アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

684  生きているだけで丸儲け  ⑭  横山エンタツ 花菱アチャコ

2020-01-01 08:25:42 | 日記

令和2年 幕開けは、このコンビしかない。

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エンタツ・アチャコ (横山エンタツ・花菱アチャコ) 萬歳を万歳(マンザイ)に発展させた二人である。現在の数千数万人を超える漫才師の「祖」である。残念ながら、筆者も映画や録音で聞くのみで、万歳の映像は記憶にない。しかし多くの芸人が、モノマネ芸でエンタツ・アチャコを真似る。

エンタツは、煙突(エントツ)に因む。アチャコは、アッとこっち(あっちゃ・こっちゃ)から転じたもの。

録音で聞く伝説のネタ「早慶戦」は、今聞くと棒読みの印象だが、キミ・ぼくと呼び合う斬新さや、エンタツのとぼけたボケとアチャコの緩い突っ込みが印象深い。オール巨人・阪神のモノマネは至芸である。因みに、アチャコの弟子である岡八郎の弟子である(孫弟子)巨人・阪神には、2代目エンタツ・アチャコ襲名の話があったらしい。筆者は、万歳も落語と同様、一定のベテランには「ビックネームの襲名」という選択肢もあって良いと思う。ダイマル・ラケットややすし・きよしなどは誰か継いで欲しい。

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実は、エンタツ・アチャコは二人で活動したのはわずかの間で、アチャコの病気(中耳炎)で、エンタツが他の漫才師と組んだ為にその後は共演の事績はない。映画や企画もので二人が共演しても漫才の出演はなかった。それでも伝説になったのは、アチャコがラジオドラマで浪速千恵子(渋谷天外の妻)と組んで大当たりしたり、エンタツの横山一門という一大派閥を形成した事で、関西芸能界に君臨した。中山美保(中山美穂ではない)は長男の嫁、花紀京は次男である。横山ノックは直弟子なので、横山やすしは孫弟子にあたる。横山たかし・ひろしは曾孫弟子となる。このように吉本が育成学校制度にする前の漫才師は、多くがこの枝につながる。

 

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万歳ではないが、エンタツの息子の花紀京と、アチャコの弟子の岡八郎の新喜劇での絶妙のやり取りは、伝説となっている。是非ユーチューブでご覧いただきたい。

筆者のハンドルネーム「アチャコ」は、これに因む。


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