7年ほど以前。アキレス腱断絶をした。家から一歩も出られない日々の中で「ブログ」を発見した。すでに時代遅れであるとは認識していたが、毎日何かの文章を書くことをノルマとした。
「京都百寺巡礼」や、「逆順で見る平安の天皇」などは清書し本にした。特に、「京都百寺巡礼」はすでに3千冊に迫る自費出版の中では突出した売れ筋だ。一方、「俺にも言わせろ」や、「上方芸人史」「昭和の株屋」など駄作・失策も多かった。
現在は、天皇の皇位継承問題に考察を加えている。1000回の記念の今回・次回は、百寺巡礼の番外編を書く。それは、大原「寂光院」である。
寂光院は、当然お勧めしたい寺ではあるが、100寺に選ばなかった。理由は20年以上前に放火による本堂と本尊の地蔵菩薩の焼失があった寺で、そこから立ち直って見事復元するまでは見学できなかった。またコロナによる長い拝観停止の為、取材できなかった事が選定漏れの最大の理由である。
さて、上記写真は失火当時の京都新聞である。平成12年の5月何者かの放火により本堂と本尊の地蔵菩薩像が焼損した。それ以前の金閣寺への放火など重要文化財に火をつける事件は時々起こる。失火についてはかなり防げるようになったが異常性格者が火をつけるのには防ぎようがない。
ところがその地蔵菩薩の胎内から小箱が見つかりその中には複数の小さな地蔵様が収められていた。炭化しながらも崩れ落ちることがなかった御本尊は、あたかも胎内仏を守るように立ち続けた。そのご本尊が鮮やかに蘇った。その地蔵菩薩を見に行く。
また、平家滅亡後、悲しみに沈む建礼門院とそこを訪ねた後白河法皇の思いを感じたい為にも訪れたい。敗者の女性に勝者の治天の君が訪ねると言う残酷な場所を見ることで両者の思いを考えて見たかった。平家物語「大原御幸」には、建礼門院徳子が「六道」に例えて、話す場面を残している。
「地獄」を話す場面では、安徳天皇の入水の場面を詳しく伝えている。「帝は前世の徳の高さの為に、高い位につかれたが悪人の世になり運が尽き、つらいこの世ではなく極楽のあると言うあの世に参ります。」清盛妻平時子の「波の下にも都があります。」と、壇ノ浦に身を投げる。徳子も追いかけるけれどすぐに源氏方の武将に救い出された。
その後、ここ大原の地で我が子安徳天皇と平家一門の菩提を弔う。そこに、源氏平家の間を鵺のように行き来し政治を弄び生き残った後白河法皇が訪ねると言うのは、権力者の底意地の悪さを感じる。京都中心地からは車で40分余りで、意外に近い。しかし輿に乗った貴人にとっては半日かけての遠出であったはずだ。
さて、そのような深い意味ある歴史を感じる為、寂光院を訪ねる。
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