上醍醐を10年振りに行って見た。
結論は、「なかった」 のである。10年以上前に西国33か所巡りの番所として訪ねた。最初の1度は下醍醐(国宝五重塔がある場所)から果敢に登山をしたこともある。前回は、醍醐山の後方、山科方面から迂回をし横峯峠まで車でショートカットしラストの数百メーターを登って行った。
そのルートを目指したが、建造物は無かった。しかし後日ネットで検索したら近年登山した人たちのブログを複数発見した。建造物は存在するのである。30分ほど山中をさまよった小生は何をしていたのか。クマやイノシシの襲撃リスクを感じながらの恐怖体験だった。
看板に従い上醍醐方面に登山道を登る。
この先は、ロープを頼りに急激な勾配の場所もあり10分ほどで息が上がる。行きつ戻りつ結局もとに戻り出直すことにした。
実際はこのような伽藍の配置となっている。
上醍醐には、国宝の薬師堂や清瀧宮拝殿、豊臣秀吉が慶長11年(1606)に再建した開山堂(重文)と如意輪堂(重文)や五大堂などの諸堂が点在しており、醍醐の花見の1年前の慶長2年(1597)には、豊臣秀吉と徳川家康が下見のために上醍醐へ登山したこともある。また醍醐寺の開祖、聖宝・理源大師をお祀りした開山堂と如意輪堂があり大阪の街や大阪城を一望できる。ここ上醍醐は修験道の道場である。
このうち、清龍宮拝殿は時代が平安時代で国宝建造物である。
写真は他のブログからの引用。
上醍醐・下醍醐の関係は単に「奥の院」というものではなく。修行の場と一般の参詣の場を分けたものと解釈できる。従って、上醍醐が本来の醍醐寺であり修行することのない一般人は山のふもとで祈りを捧げたのである。その場に伽藍配置を豪華にしその宗派の拡大を目論んだのだろう。
体が元気なうちに再挑戦し当ブログにアップする。