居心地の悪い写真展

2008-03-18 23:25:00 | art
昨日はなんだか一日だるくって、晩ご飯を食べたあとは無性に眠くって、「薔薇のない花屋」をなんとか見たあと、10時過ぎに寝てしまった。春だから?

で、きょうは早起きして「コープとうきょう」の短歌講座の補講。
だいぶ歩けるようになったものの、やはりラッシュ時は怖いわね~。

講座のあと、みんなでランチ。近くのインド料理屋でカレーランチを食べる。

そのあと新宿のphotographers' galleryで行われている北島敬三さんの写真展「PORTRAITS 1992-2007」へ。
PORTRAITSシリーズはずっと見ているのだけれど、松井茂さんが
http://www.realtokyo.co.jp/
で書いているように、非常に居心地の悪い写真展(念のため言うと、居心地が悪い、というのは決して否定的な意味ではない)。

今回は、二人の男性のポートレイト。ほぼ毎年、今回も、同じ人物を、同じ衣装(白いシャツ)で、証明写真のようにバストショットで 写しているだけの写真が並んでいる。ただ今回初めて、写されている人物の生年が記されていた。たとえば一人の男性は、1947年生まれで、1992年から2007年までの写真が並んでいる、という感じ。ある年の写真は、前年に比べて一気に白髪になっている。最初の写真(45歳)と、最後の写真(60歳)とを見比べると、なんだかいろんなことを考えてしまう。15年という年月、白髪だけでなく増えていく顔のシミ、髪型の変化。でも、北島さんはそんなものを撮っているわけではない。撮影者の意図とか、被写体の存在感とか、そういうものをぎりぎりゼロに近い場所に置きさってしまうような写真たち。写されているのは見た目の差異などではなくて、もっと別次元の差異だ。既成の写真に対する批評の言葉を、一切拒む写真。でも、そこまでしてもなお、何かを語り、語りたくなってしまう写真。さらに、それを言葉にすることの空しさを感じる写真。饒舌さを否定すると、否定すれば否定するほど、たとえば夜中の二時を過ぎると突然しゃべりはじめてしまう北島さんのように、彼の写真も在るのだろうか。

北島さんの写真についてはいつかちゃんと書きたいと思っているので、きょうは自分の心のストックに貯める(それにしてはけっこう書いたね)。
挨拶くらいして行こうかと思ったものの、来客中のようだったからそっと失礼する。
初日だから何かしら飲み会とかもあったのかな。体調が今ひとつなのと、あまりにも早い時間で(夜まで待てず)、渋谷のTSUTAYAで漫画本を数冊買って帰る(探していたものがやっと手に入った。それが何かはおいおいね)。


「ハチクロ」の最終回は、原作の最終回よりもよかったような気がする。生田斗真、よかったよ。あんなふうに泣きながらサンドイッチを食べさせたら君は日本一だよ。
「あしたの、喜多善男」の最終回は、きゃー、島田さんが出ていた!(ってそこかよ)。