沖縄三部作

2009-02-16 23:01:51 | books
眠りが浅かったのか、ゆっくり寝たはずなのに頭がもや~ん(二日酔いともいふ)。

とはいえ、残り100ページの前半部分の下読みをしなくてはならない。
おまけに後半部分がメールで届く。プリントアウトするだけでけっこうな量。今週前半はのんきに構えていたけれど、そうも言ってられない状態に。あわあわ。

週末の「ネフスキイの会」のための課題図書も読まねばならず(思っていたよりも読み易い本でよかった。そしてこの本をT橋さんがわたしに薦めてくれた理由が少しわかった。や~ん、バルトって素敵)。眠気と闘いながら読書。ああ、文字以外のものが見たい(ドラマもアニメも録画がたまっていく一方)。


読んだ本のことも書こう書こうと思いながらたまっていく。
だいぶ前に読み終えた坂手洋二の沖縄三部作『海の沸点/沖縄ミルクプラントの最后/ピカドン・キジムナー』はなかなか味わい深かった。ハヤカワ演劇文庫ということで、脚本です。なんでこんなのを読んだかというと、I井さんが電車で読んでいて泣きそうになったと聞いたから。いや、別に泣きたいから、ではないですが。I井さん、どこで泣きそうになったのかなあ。二箇所くらい、うるっとは来たけれど。←こんなこと書くと「冷たい女ね」とか言われてしまいそう。
沖縄言葉がかなりそのまんま出てくる。チムドンドンする(胸がドキドキする)とか、かわいいなー。ワジワジーするはイライラするってこと。これも面白い。
内容はどれも重くって。知らないことがたくさんあった。簡単に「沖縄好き~」って言えなくなります。

きょう驚いたニュース。
イギリスで13歳の男の子が父親になったって。母親は15歳で、しかも複数の男性と関係があったとかで本当にこの男の子の子供かわからないとか。なんなんだか、なんなんだか。

アグー豚

2009-01-28 23:45:23 | books
いつものようにランチ&歯医者デー。
きょうは同じ患者仲間(?)であるRのo崎さんもまじえてのランチ。連れて行っていただいた店が、なんと以前H村さんとふたりで某社のY中さんにごちそうになった店だった。狭い路地の奥にある小さな店で、もう二度と行けないだろう(場所がわからなくて)と思っていたけど、縁がある店だったのかな。
沖縄のアグー豚には「あぐー豚」と「アグー豚」とがあって、カタカナのほうが由緒正しいアグー豚なんだそうな(店主いわく)。そのアグー豚のソテー。脂身がおいしかった(ふだんは脂身は苦手なわたしもo崎さんもそう思ったのだから本当だろう)。

ああ、また「食っている」日記になってしまった……。

A社に寄る予定がキャンセルになったので、そのまま一旦家に帰り、少し休憩した後いつものファミレスで仕事。もー、字を読むのに飽きました。後半は書評のための歌書を読む(これも字を読んでいるわけだけど)。高野公彦さんの『ことばの森林浴』。軽いエッセイで、思わず笑っちゃうようなところもあってなごむ。高野さんは漢字検定の準1級に合格しているらしい。尊敬。


『富士日記』(下)

2009-01-24 23:30:40 | books
昨日、K高さんから「いつも食ったり飲んだりしてるなー」と言われてしまったので、たまには読んだ本のことも書く。本のことは、きちんと書きたいと思うとなかなか書けない。そう思っているうちに書くタイミングを逃したままになってしまう。何年も読書記録をつけていた昔のマメなわたしに戻りたい……。

やっと読み終えた『富士日記』。最後の下巻は切なかった、

言いつのって、武田を震え上るほど怒らせたり、暗い気分にさせたことがある。いいようのない眼付きに、私がおし黙ってしまったことがある。年々体のよわってゆく人のそばで、沢山食べ、沢山しゃべり、大きな声で笑い、庭を駈け上り駈け下り、気分の照り降りをそのままに暮していた丈夫な私は、何て粗野で鈍感な女だったろう。

我が儘で自分勝手で横暴なところもある武田泰淳に、献身的に仕えているように見える百合子だけれど、彼女の天真爛漫さが武田の支えだったのだろうなあ。武田に対する絶対的な信頼と尊敬の念が百合子をそうさせていたのかもしれないし、当時妻とはそういう役割だったのかもしれない。わたしだったら絶対耐えられない、と思ってしまうようなできごとがいくつもあった。
偉大な芸術家同士がパートナーでい続けることって、かなりの確率で無理だと思う。百合子だって武田が亡くなったことで、隠れた才能を見出されたのだから。まあ最近は夫婦の形態も変わって来ているし、例外もあるかもしれませんけどね。


でも、武田百合子面白かった。ほかのも読んでみようと思う。


きょうは部屋の掃除をして、毎度書きあぐねている原稿を三分の二くらい書いた。昨日U山くんたちと話したことがヒントになったものの、やはり書き始めてみると自分の考えがまとまらない。書いていて、すーっと考えも収束していくように感じる時と、さーっと散漫になっていく時とがある。散漫になっていく時は、熟成を待たなくてならない。まだ少し猶予はあるからじっくり考えよう。

明日の新首都の会の詠草を慌てて送る。歌も、熟成が必要なのだが。。。

『心音』

2009-01-08 23:58:42 | books
けさは何かリビングでケータイのマナーモードのような音がすると思って起きてみると、古いケータイの目覚ましが鳴っていたのだった。こんなのだけ残るなよ~。しかも解除するにはチップみたいなの入れ替えないといけない。めんどくさいから電池抜いてしまえ。

さすがにいろいろ滞っているのでこつこつとやるべきことをやる。
その流れで柚木圭也さんの歌集『心音(ノイズ)』(本阿弥書店)を読む。
柚木さんとは、一回か二回くらいは会ったことがあったように記憶している。何かの会のときに、短歌人の誰かからとても大事なものを見せびらかすように紹介されたことを印象的に覚えている。短歌を離れていたとは聞いていたが、このような形で(歌と)再会できてうれしい。
多くのひとが絶賛しているのがよくわかる。わたしも附箋がたくさんついた。字余りの歌も多いのに、韻律の美しさがある。細かい細かいところを見ているかと思うと、大胆な感覚の歌にうっとりとする。ああ、このひとは本当に短歌という詩型を愛しているのだなと思う。何度も繰り返し読みたくなるような歌集だった。
一首だけひく。

メロンシャーベット抔ひをはりて咥(くは)へゐるメロンの味の残る木の匙



きょう、とあるところに書いた原稿料ということで(短歌関係としては)法外な謝礼が届いた。いつもいつも女工哀史な仕事ばかりとは限らないのだ。とはいえ、なんとなく親戚の家の仕事を手伝ってお駄賃を貰ったような気分でもある。屈託はあるものの、ありがたく頂戴する。満月の財布ふりふりの効果があったことにしておこう。


写真は新しいケータイの写めの試し撮り(息子のおみやげだった明太子じゃがりこ)。横にしてとらないと縦横の逆転した写真になっちゃうのよね~(マニュアル読めって話ですが)。

『富士日記(中)』

2008-12-27 23:26:21 | books
やっと中巻を読み終えた。
なんかもう、こういう天然性の天才にはかないませんね。
ただの日常の記録に加えて、武田百合子という感性がずんずん露出して来る。

昏れがた、松の芽がいっせいに空に向ってのびているのが、くっきりと目にたつ。花札の絵のようだ。心がざわざわする。私の金銭欲と物欲と性欲。

こんな文章を読んで打ちのめされる。


きょうは年賀状を完成させた。わたしとしては画期的に早い。
ネットで買ったワインが届く。
今年最後の「らでぃっしゅぼーや」が届く。
小さな鏡餅を買ってきて、先週の「らでぃっしゅぼーや」に入っていた「だいだい」を載せる。「だいだい」が大きくてとてもバランスの悪い鏡餅となる。



明日は新首都の会。o崎は欠席なのに忘年会の会場の予約をしてくれた。なんて偉い子なんだろう。

『時の基底』

2008-12-16 23:43:15 | books
大辻隆弘さんの『時の基底』(六花書林)をやっと読んだ。やっと、というのは、実はこの本、いただいた直後にすぐ読もうと思って「目立つ場所」に置いたはずだったのに、どうしても見つからなくなってしまっていたのだ。それがつい先日、探していたところとは全く別の「目立つ場所」にて発見! どんだけ迷宮なんだ、わが腐海(書斎)は!

で、この本については別のところで書こうと思っているので、読んだという報告のみ。頷いたり首を傾げたり驚いたり失望したりしながら読みました。

あいかわらず手首イタ子なんですが、女工の身としてはそんなことに負けているわけにもいかず、本日は終日添削。できるだけ筆圧のかからない水性赤ペン使ってます。チャリン、チャリンと、300円の落ちる音を聞きながら……。む、空しい。終わらなかったし。

夕方、近所の新しくできたBook Offに行ってみる。当然というか、短歌コーナーも詩歌コーナーもなく、作家名別のところに俵万智さんの本を3冊発見(うち歌集は『チョコレート革命』のみ)。ま、歌集がBook Offなんかにはないほうがいいのだけれど。
思ったよりも広かった。またゆっくり探索してみたい(ほとんど105円だったし。開店セールスなのかな?)。


ちょっとめげることがあって凹む。
明日、猫カレンダー貰えることになって少し復活。

『血の味』『無名』

2008-12-06 23:04:26 | books
きょうは調べもののため菊名にある港北図書館へ。
久しぶりに行ったら通り過ぎてしまってしばし迷子。全然迷うような場所じゃないのに(泣)。
港北図書館は小さな図書館で、自習コーナーは受験勉強と思われる学生でびっしりであった。

目的終了後、開架の短歌の棚を見てみる。『短歌パラダイス』があった。懐かしくてパラパラとめくってみる。辛かったり悲しかったり、少しだけ楽しかった思い出が過る。我が家の本棚にもたぶんあるはずなのに、簡単な捜索ではみつからなくなっている本だ。もう書店にもないのだろうなあ。月日のたつのは早いものです。


沢木耕太郎の『血の味』(新潮文庫)と『無名』(幻冬舎文庫)を続けて一気に読了。
わたし内沢木ブーム再来か? と思ったけれど、そうでもなかった。特に『無名』は物足りなかった。肉親のルポルタージュは書きにくいことが多いのだろうなあとは思うものの、きれいにまとまりすぎの感は否めない。半分は看病日記だし。

ただ、『無名』の解説で加藤典洋さんが書いている「彼らは親に反抗しない。できない。そのことで一種の親殺しに導かれる」という新しい親子の問題というのはわかるような気がする。親から子供への愛が無償であることが壊れつつある現代の親子関係。いわゆるステップファミリーにはその問題が生じやすい。わたしは、実父の死に目には会えないと覚悟をしている。そしてそれをそれほど悲しいことだとも思っていない。その理由が、少しだけわかったような気がした。

『富士日記(上)』

2008-12-04 23:07:55 | books
最近続けて、旧い友人が結婚したというのと別の友人が離婚するという夢を見た。
二人に直接の関係はないし、どちらともしばらく会っていない(だから正夢かどうかはとりあえずわからない)。
なんだろうなあ~、と、ちょっと気になってみたり。まあ、この二人のことをなんとなく気にしていた、というほどのことなんだろうけど、なんでこういう方向になるんだろう。夢って不思議だ。

きょうは休養日。
ゆっくり起きて、のんびり過ごした。

最近読み終えた『富士日記(上)』(武田百合子/中公文庫)。まだ上巻だけだけど、一応記しておく。
武田百合子は、けっこうすすめてくれるひとが多くてずっと気になっていた作家。夫の武田泰淳がいなかったらどうなってたんだろうなあとか、泰淳が先に死ななかったらどうなってたんだろうかなあとか、まあそういうことも気になりますね。
『富士日記』は、とにかく面白い。別にごく普通の日々の記録に近い日記なんだけど、ひょっこり覗く百合子の生々しさが面白い。続けて中巻下巻と行きたいところですが、沢木さんの『血の味』を読み始めてしまいました。


いろいろ漫画の新刊も買ったり読んだりしているので、そんな話も書かなくてはと思いつつ。きょうはもう寝ます。

『花やすらい』

2008-11-25 23:22:27 | books
原稿書きは午前中に限る。

と思っているのだが、このところ気が抜けていてどうにも午前中にエンジンかからず。きょうは無理矢理8時に起きて、無理矢理朝ご飯食べて、しばし朦朧としかけたところをぐっとこらえてパソコンに向かった。偉い。

エンジンさえかかってしまえば、充実した一日となるのだ。やる気というのはやり始めないと出ない、のだそうだよ、みんな。

で、必要あって読んだ歌集『花やすらい』(道浦母都子)。
9年ぶりの歌集だということにまずは驚く。ひと頃は離婚の歌ばかりだったけど、この歌集は看病の歌や肉親の死を悼むものばかり。読んでいてほんと、切なくなる。あいかわらずストレートな歌(以前、小池光さんが道浦さんの歌を「素うどん」のような歌と言っていた)なので、悲しみがだだ漏れてきます。

文学部一〇五号教室最前列茶髪男子は帚木(ははきぎ)に似る

そんななかにこんな歌があるとほっとしますね。
それからね、

少年法にて少女裁かれ昼静かピンポン玉を握りつぶしぬ

って歌があって、いい歌だなあと思うのだけれど、どうにもリアリティがないと思えてしまう。「ピンポン玉のようなものを握りつぶしたいような気分」は伝わるけれど、実際には握りつぶしていないことがあきらか。
昨日『風通し』読んでいたせいかもしれないけれど、今のリアリティはもっと違うところに来ているような気がする。たとえば笹井さんとかだったら、絶対ありえないようなもの(んー、例が思い浮かばないけど、、、亀、とか?)を握りつぶしたって書くだろうな~なんて思ってみたり(勝手に笹井さんにしちゃってごめんなさい)。ありえないものなんだけど、なんか妙にリアル。そういう場所に今のリアリティはあるんではなかろうか。穂村さんの歌が映像的にリアルだったのとはまた違ったリアルの時代だ。
あ、道浦さんにそれを求めているわけではなくて、『花やすらい』は普通にいい歌たくさんありますけどね。


それにしても、やっと書いた原稿が大幅字数オーバーになってしまって削るのにひと苦労。わりと字数勘(?)はあるほうなので、珍しい。書いていて面白くなってきちゃったんですよね。悪ノリしすぎだったので自粛し理性を取り戻して書き直した。まあ、そんな一日。

『リアルのゆくえ』

2008-10-30 23:57:17 | books
『リアルのゆくえ――おたく/オタクはどう生きるか』(大塚英志+東浩紀/講談社現代新書)を数日前、やっと読み終わりました。電車のなかで笑いそうになりながら読んでいたのはこの本です。とにかく大塚さんが東さんに苛立って噛み付いていて、わたしは世代的には大塚さんのほうが近いのだけれど、少し東さんに同情してしまいましたよ。
そしてあとがき読んで唖然……という感じでしたが、いろいろ得るものは多かったのです。
読んでいて、唐突に「短歌」という語が出てきたので驚いたのね。ライトノベルについて語られているところなんですけど、「受け手と作り手が共通のデータベースを持っていないといけないわけだから、仲間うちだけの閉じた作品になる可能性は高い。それはそうなんだけど、他方では短歌のような古い伝統とも結びついた方法だと思う。この場合、いい小説とは、できるだけ多様な感情をできるだけ効率よく圧縮したものということになるでしょうね。つまり、適度な量で物語も平凡だけど、感情を喚起するポイントがとにかく満載されているもの」(東浩紀)というように。「短歌のように古い伝統」とか言われていますが、たしかに短歌ってものすごい量のデータベースの上に成り立っているんですよね。そして、どこかで聞いた「圧縮」なんてことまで出てきてしまうと、いろいろ頷いてしまうわけです。


きょうは終日、お金にならない原稿書いたり、お金になる原稿のための資料を読み込んだり。

友人に借りていた本を返すのに、佐川急便の袋に入れてヤマト運輸の伝票を貼ってしまった。家にあった伝票がたまたまヤマトのだったということに気づかなかった。ふだんは佐川くんを使っているので、とても後ろめたい気分に(ヤマトのお兄さんは笑って「かまいませんよ~」と言ってくれたが)。

二日くらい前に仕込んだ塩豚で茹で豚を作る。スープももちろん使って若布スープに。
少し残ったので、明日のお昼は焼きそばに決定。