『詩七日』(平田俊子)

2006-06-30 17:12:54 | books
詩七日
詩七日
posted with 簡単リンクくん at 2006. 6.30
平田 俊子著
思潮社 (2004.7)
通常2-3日以内に発送します。



きょうは詩人の平田俊子さんの誕生日である(たぶん)。
なんでそんなことを知っているかというと、この間のメキシコ朗読会のあとの打ち上げで、同じテーブルにいた平田さんと小池昌代さんとわたし、三人とも蟹座だということがわかって、お互いの日にち情報を交換したのだった。記憶違いもあるかもしれないから(たぶん)としておくけど。

『詩七日』という詩集はずっと気になっていて買おう買おうと思いながら買いそびれていた本で、先日の朗読会でもそのなかから朗読されていたのを聴いて、あらためて「買おう」と決意していたのに、もったいなくもその日ご本人からいただいてしまった。ありがたいことであったので、お誕生日を言祝ぎながら読ませていただいた。

毎月7日を「詩を書く日」と決めて、二年間書き綴った日記風の詩集。七日に書くから「詩七日」というのと、「自分が書いているのは果たして「詩なのか?」という疑問があった」(あとがきより)というところから来ている。とてもいいタイトルだと思う。わたしも「短歌七日」を書こうかな。でも、「なのか?」という疑問は、短歌よりも詩につけられるのがふさわしいように思う。短歌だったらさしづめ「短歌なんか八日」といったところかしら。

詩には、「一月七日」から「二十四月七日」までのタイトルがついている。そのどの七日の詩も好きだと思った。
一月七日の「男になろう/旅に出るのが難しいなら/詩を書くためにだけ男になろう」、二月七日の「ポリープ 柔らかな半濁音を/濁音のわたしは受け入れられない」、六月七日の「この日がくるのを待っていた/この人がいつか ひとを殺して/匿ってほしいといってやってくる日を/そしたら命がけでこの人を守ると」、十月七日の「雨にぬれながら歩く権利は/女にだってあるだろう」、十一月七日の「片耳がなくても空は見える/両耳そろっているよりむしろ/空の広さを実感できる」、十五月七日の「目にするものと耳にするもの/どちらかひとつは正しいといえるだろうか」、十七月七日の「花を散らすのは風の殺意/それとも枝の裏切りだろうか」、十八月七日の「鵜だよ これは鵜であるよ/名前の最初の一音が/最後の一音でもある母音の水鳥」、二十三月七日の「あまりに対象が愛しくて一歩も歩き出せないのです」……こんな素敵なフレーズたちがたくさん詰まっている。


平田さんの詩には、ほんの少しの悪意のようなものがある。「毒」というほどきついものではない。誰でもが心に持っている、他人には見せたくない棘のようなもの。それを平田さんの詩はさりげなく見せてくれる。その棘は、見ているだけでしくしくと痛い。自分に刺さる棘なのだもの。


平田さん、お誕生日おめでとうございます。


ぐったり

2006-06-29 17:42:43 | Weblog
暑いですね。
きょうはお腹の調子が悪く(昨日、何か悪いものでも食べたかしら?)、部屋の掃除をした以外はテレビを見たり西村しのぶの漫画を読み返したり、基本的にはぐったりしていました。

西村しのぶは、昨日t石さんから「ロン毛牧場」(正しくは「ロン毛男牧場」だった)のことを聞かれたので『SLIP』を読み返し、『一緒に遭難したいひと』で癒された。んー、マキちゃんみたいな男性が欲しい〜〜。


食欲はないけれど、今夜はかぼちゃをやっつけなくてはならない。ネットで甘くないかぼちゃ料理を検索していたら、かぼちゃのミートソースグラタンというのがあったのでこれを作る。ミートソースも手作りよ(簡単だけどね)。

あとは豆腐と水菜とちりめんじゃこの卵とじ、あさりのみそ汁という感じ。


明日からはおうち仕事の日々。添削と、会社からの仕事もどっちゃり来ているのでー。はー、サッカーがないとさみしいですわね。おかげで夜中にたまったビデオを見たおしています。「Fate」の最終回は切なかったなあ。アニメって案外ハッピーエンドが少ないような。それは続編を作るため? いつの間にか「獣王星」も終わっているし。そしてそろそろ夏の新アニメもチェックしなくてはならないのだわ。とりあえず今夜から「ハチクロ2」が始まるのね。

神楽歌と『鷲か太陽か?』

2006-06-29 01:36:32 | art
続きです。

ということで、灼熱のなかを水道橋に移動して、通いなれたようなそうでもないような「トーキョーワンダーサイト」へ。
もとみやかおるさんの神楽歌パフォーマンスを見に(聴きに)行ったわけなんですが、一緒に行われた雫境(だけい)さんの舞踏パフォーマンスに野谷文昭さんの翻訳したオクタビオ・パスの『鷲か太陽か?』が使われているということで、書肆山田の鈴木さんや野谷さんもいらしていた。

もとみやさんの神楽歌は、神楽歌自体がそう簡単に聴けるものではないので大変興味深かったです。声も美しかった。ただ、美術作品としてのパフォーマンスが(展示を含め)ないがしろになってしまったのがとても残念。

雫境さんの舞踏はオープニングのときも少し見ているのだけれど、きょう初めて彼が聾者であることを知った。パスの詩をプロジェクターで映している部分は文字が不鮮明で読み取れず、ちょっと歯痒かった。彼がどんなふうにパスの詩をダンスという形で翻訳したのか、もう少し観客として理解したかったという感じ。

終わったあとなかば無理矢理買わされた『鷲か太陽か?』(鷲と太陽というのは、メキシコのコインの裏表に描かれている絵なのだけど、どちらが表でどちらが裏かというのは特に決まっていないらしい)に野谷さんのサインをもらい(はあと)、Nザワさんやt石さん、M下夫妻なども一緒にお茶の水の「和民」へ。M下夫人はコロンビア人。どんどん国際化。

は〜、それにしても暑かった、疲れた、眠かった(のはサッカーのせい)一日でありました。メキシコのイベントは明日もあるけれど、明日は行けそうにないので、これでとりあえずわたしのメキシコ強化月間は終了です。いろんな意味でお疲れ様でありました。

『13歳の夏に僕は生まれた』

2006-06-28 23:05:06 | cinema
水曜日なので映画にゆく。
といっても、きょうはレディスデイのない、bunkamuraル・シネマで『13歳の夏に僕は生まれた』を見る。ずっと見たかった映画なので、水曜日のほうがすいているかなと思ったのだけれど、『RENT』のほうが人気みたいで、そんなに混んではいなかった。

イタリアのプチブルジョアな家庭に育ったサンドロという少年は、父とその友人と出かけたヨットから夜中に海に転落してしまう。死にかけたところを不法移民を乗せた船に助けられ無事に保護されるのだけれど、その船で出会ったルーマニア難民の兄妹をなんとか救いたいと思う少年の、まあ簡単に言ってしまえば成長譚である。

主人公のサンドロもなかなかかわいいのだけれど、お父さんがいかにもイタリアの「ちょい悪おやじ」風で、息子溺愛ぶりも含めいい味出してました。
でも、なんといってもルーマニア難民の妹のアリーナがめっちゃくちゃよかった。サンドロよりは年下だろうから、11、12歳という設定なのかな。意志の強そうな目と、きりっと結ばれた口元。最後のほうで(たぶん)娼婦をやっているアリーナが、似合わない派手な化粧(マスカラも口紅もはみ出ていて)をしている姿も、何もかも痛々しくて美しかった。

サンドロの父が経営している工場にはアフリカの黒人なんかも働いていて、サンドロの学校にも黒人が同級生にいたりする。そういう環境にありながら、サンドロが不法移民の船で出会ったひとたちは彼にとって全く未知の世界の人々だった。それまでただの坊ちゃんだった13歳の少年が、生まれて初めて知る世間の現実。少年らしい義侠心から難民の兄妹を救いたいと思い、それに十分すぎるほど応えようとする両親でもあるのだけれど、ことはそう簡単には進まない。

わたしも「親」のひとりであるので、サンドロが海に落ちたと知ったときの父親の動揺ぶりとか、助かったと分かって会いにいくシーンとか、家に戻っても不安で5分おきに息子の様子を見にいきたくなってしまう母親の姿とか、そっちのほうに感情移入してぼろぼろ泣いていましたが、最後のほうで、アリーナを救えない自分のふがいなさに涙するサンドロの姿は、真に痛ましいものでした。


で、たいしたことではないかもしれないけれど、タイトルは長過ぎませんか?
って思ったら、原作になっている小説のタイトルが『生まれたからには逃げも隠れもできないー埋もれた民族を巡る旅』というらしい。しかも、この映画の監督マルコ・トゥーリオ・ジョルダーナというのは(この名前も長い)前作『輝ける青春』は6時間の長大作だったらしいと、長々づくしってわけだったのだ。


というわけで、きょうの日記も長くなりそうなので、続きます。
(写真はパパ役のアレッシオ・ボーニ)

緊急編集会議

2006-06-27 23:01:35 | Weblog
きょうは「未来」の緊急編集会議だったのです。
もちろん、近藤さんの「しのぶ会」についての、もろもろです。

少し早めに行って懸案の「未来」HPの作業をしようと思ったのだけど、意外に早くみんなそろってしまってうやむやに。んー、公式サイトへの道は遠い。

でもって、「近藤芳美をしのぶ会」の詳細は以下のように。
日時:9月1日(金)14:00〜16:00
場所:学士会館(神田)

近日中にあちこちで告知が始まると思いますが、故人とゆかりのあるみなさま、どうぞご参集くださいませ。基本的には誰が来てもいい会です。

ちなみに「未来」は翌2日から全国大会。
わたしたちにとっては死のロードとなりそうです。


それにしても、岡井さんがだいぶ参っているようで心配です。
あちこちから追悼原稿の依頼がきまくっているでしょうからねー。同じ文章書くわけにもいかないだろうから大変ですよね。ってまあ、それだけではもちろんないでしょうけど。


近藤さんは、今年の1月にとし子夫人とともにプロテスタントの受洗をされていたそうです。ちょっと意外でした。

松山千春電車

2006-06-26 22:33:30 | Weblog
出社日。
納本が先週金曜日に繰り上がっていたらしく、ざざっと見本誌の発送したくらいで終了。編集部は今頃「成分分析」で盛り上がっていて、ほとんどの部員の成分分析をして遊んでいるひとたちと一緒に遊んでみた。そしてなぜか「サバカレー」の缶詰をもらって帰る。

帰りの電車(京浜東北)が「松山千春」だらけでびっくり。全車両の広告が松山千春の新しいCDの宣伝。中吊りのところにはモニターになっていて、まだ髪の毛があった頃の松山千春や少し髪の毛がない松山千春やゴルフをする松山千春やヘリコプターに乗る松山千春が延々と映されていて、少し怖かった。
ふと、きょう会社で西村しのぶの「ロン毛牧場」の話をしていて、o川さんが「わたしは坊主牧場がいい」と言っていたのを思い出す。o川さんの「坊主牧場」には山千春もいるのだろうか。今度会社に行ったら聞いてみよう♪


それにしてもけさのポルトガルーオランダ戦は面白かったみたいですね〜。うー、見られなくて残念。mixiでもリアルタイムで楽しんでいたひとたちがたくさんいたみたいで、朝からそれ読んで歯ぎしり。く〜。今からBSのダイジェストでも見ます。

眠いっす

2006-06-25 23:16:15 | Weblog
さすがに、二日続けて4時台の試合を見ていたら、からだがついていけないと言っているみたいです。ゆうべは、ドイツースウェーデン戦を見ていたはずなのにいつのまにか寝ていました。もちろんアルゼンチンーメキシコ戦も記憶にありません。

あー、決勝リーグは一期一会なのに〜。


で、起きてからも朦朧と、とりあえず出かけて「新首都の会」へ。
先月の結果についての岡井さんからのメッセージがあったり、今月は岡井さんの詠草もあったりと、ちょっと引き締まる気分。みんな岡井さんの歌とも知らず好き放題なことを言うので、司会していて楽しかった。
近藤さんへの挽歌も多かったすよ。

終わってi田さん、o崎、N彦くんと「やるき茶屋」。
頼んだはずのないオムレツがおいしかったです。


そして今、すでにとても眠いです。

さよならナミルくん

2006-06-24 17:51:08 | Weblog
韓国も負けてしまいました。

昨日は品川で明日の姪っ子たちの誕生日プレゼントを見繕ったあと、歩いて明治学院大へ。珍しく迷わなかった。
石井さんの講座のあと、いつもの「スカラームッシュ」でいつものように焼き鳥や卵焼きや炒めごはんを食べ、ほろ酔い気分で帰宅。
途中眠ってしまったりしていたけれど、4時にはしっかり覚醒。韓国ースイス戦を熱く見守る。

キム・ナミルくんは、少しパスミスなどあったけれど、MFなのにほとんどDF最終ラインを死守。とにかく点を取らなくてはならない韓国。攻めていたのになあ。
選手としてはイ・チョンスが好き。小柄でよく動いて。

そんなわけで、さよならナミルくん。
決勝リーグはアルゼンチンあたりを応援しながら見ましょうかね〜。
(ごめん、メキシコ)


おかげでまた一日ぼーっと過ごしてしまったよ。やることあるんだけど〜。
明日の「新・首都の会」の詠草もまだだわ。ひゃー。

終わっちゃいました

2006-06-23 11:51:14 | Weblog
ゆうべは結局イタリアーチェコ戦を見てしまい、そのあとはたまっていたビデオを見ながら時間をつぶしていました。

山Pの「抱いてセニョリータ」の振り付けを真剣にやってみたり。かなりテンション高いまま日本戦観戦。




一瞬夢を見ましたが、まあ、こんなもんでしょうね。
1点取った時点で、キーパーをジーコにすれば、ブラジルはあんなに点を入れなかったんじゃないかしらー? はははははは。

4年後は、思いっきり若返った代表チームでW杯に来てほしいものです。

そのあと眠って、さっき電話で起こされました。平日の昼間の電話はたいていセールスなので基本的には出ないのですが。


さて、今夜は明治学院の講座に行きます。これから宿題やって。

そして明朝の韓国ースイス戦だわ!

近藤さんのこと

2006-06-22 17:55:08 | Weblog
ゆうべ近藤芳美氏の訃報が流れて、だいぶ具合がよろしくないとは聞いていたのだけれど、正直意外な気がした。まだしばらくは生きているのが当然のような気がしていた。なんの根拠もないけれど。

実は、7月号の「未来」に近藤さんの歌は載っていない。創刊以来、初めての欠詠となった。そのことの重大さはわかっているつもりではあったのだけど。


わたしが「未来」に入って間もない頃、「近藤さんや岡井さんのことを「先生」と呼んではいけない」と先輩たちに言われた。今やこんなことを言われた経験のあるひとのほうが少ないかもね。だからわたしは近藤さんを「近藤先生」と呼んだことはないと思う(岡井さんのことはたまに「先生」と呼んでしまう。カルチャーセンター時代に担当だった名残りもある)。

もう5年くらい前だろうか。夏の大会の懇親会のあとの分科会で、「近藤芳美の歌集を読む」というような研究会をやった。若手に近藤さんの歌集を課題図書のようにあてがって、そのレポートをしてもらうという企画だ。「未来」という結社にいる以上、近藤芳美は必読だということを、若い世代にも伝えておきたかった。かくいうわたしも、そのときになって『黒豹』などは購入したのだけれど。


近藤さんは、『伝染るんです』(漫画)に出てくる王様に似ていた。
そのことを、傘寿の記念の会だったかに気付いて、まわりの人に言ってみたけれど分かってくれたのは桜木裕子さんというひとだけだった(桜木さん、今頃どうしているんだろう)。それ以来、わたしのなかでは王様な近藤さん。
大きくて怖くてダンディーだった。いつもとし子夫人と寄り添っていた。

バルコンに二人なりにきおのづから会話は或るものを警戒しつつ