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会下の古代山陰道

2021年11月21日 | 日記

会下の「古代山陰道」についての発掘説明会がありました。

梨山に上がって石碑の見学から。 逢坂地区の名前の元になったと言われる坂の上にあります。今の時代に言うならば「会下坂」の頂上です。  道は1000年前からあったのですが、石碑は200年前の物です。 以前から「位置がおかしい?」と思っていた石碑ですが、やっぱり会下の衆が40年くらい前に移動させていました。謎が解けた。

「古代山陰道」のあった所。昔から「なんで ここは舗装されてない道が広いんだろう?」って不思議に思っていました。 また謎が解けた。

山の上に上がって 実際の発掘現場を見学。 

思えば私が子供のころは おじいさんに連れられて歩いて青谷に行っていたけど、ここを通っていました。 昭和30年代~40年代の農業構造改善事業での梨山の大規模な開発と 昭和50年代の広域農道設置で 誰も使わなくなってしまった道路。 言い換えれば昭和50年代前半までは使われていた道路。 わずか40年ほどで誰にも忘れられてしまった道路。

さらに山奥の現場にも行ってみました。ここは養郷集落。

1000年前の道路は だいぶん深い所に埋まってしまったようです。

当時の高度な土木技術に驚きました。

1000年前の会下の衆も きっとこの道路建設に携わっていたんでしょう。