OT園通園日記

車椅子生活の母を老人ホームへ訪ねる日々。でもそればかりではいられない!日常のあれこれを書いています。

福山雅治DVDボックス

2005年12月14日 | 趣味(読書・洋裁・音楽・映画)
5{
今年最後(?)の無駄遣い!
デビュー15周年記念のDVDボックス、5枚組。

どうしようかなあとさんざん迷ったあげく、やはり購入。
5枚のDVDには、それぞれライブの様子が納められている。

家族のいない昼間の楽しみがまた増えた。
夫が働いている留守に、こんなにいろいろ遊んでていいのかなと、多少後ろめたく思いながら、金色のパッケージを眺めている。
まあ、テレビの前にじっとしているのでなく、家事を片づけながらの鑑賞だから…と一人で言い訳。

風邪ひいた~!

2005年12月13日 | その他いろいろ
大事を終えた安心感からだろうか、鼻水がだらだらと止まらない。
鼻水だけではなく、身体もだるく、頭も痛いので、すっかり風邪をひいたのだろう。
何とまあ柔な事よと自分でも呆れながら、一日中ボーっとして過ごした。

「果報は寝て待て!」は、私の得意技。
今回もまた、犬を抱えての一日。


楽しかったなあと思って眠ったの

2005年12月12日 | 母のこと
昨日の疲れが出ていないかと心配しながらOT園へ顔を出す。
でも、心配することはなかったよう。
とても元気で、ご機嫌の良い母だった。

「楽しかったわね~。」
「あんな思いがけないことがあるなんて、ほんとうにうれしかったわぁ。」
(何度も法事のことは説明したのに~!)
「夜寝る時にも、ニコニコが止まらなくてね、楽しかったなあと思って、ニコニコしながら眠ったの。」

ほんとにほんとに外出が好きな、かわいらしい母だった。

父の13回忌法要

2005年12月11日 | 母のこと
父が亡くなってから、来年の1月でもう12年になる。
つまり13回忌を迎えるので、少し早いけれど13回忌の法事をしようということになった。

秋頃に計画した時は、母の身体の状態もまだまだで、「決死隊」を作って出発くらいの気持ちだったが、母の身体もすっかり良くなって、危なげない遠出になった。

10時少し前、OT園を出発。(介護タクシーを1日借り切った。)
11時、お寺に到着。

お寺には、階段があって、どうやって母と車椅子を昇らせられるだろうと思案していたが、介護タクシーの運転手さんはヘルパーとしての資格も持っておられ、難なく車椅子に乗せたまま階段を上がる方法を伝授・実行してくれた。
お坊さんのお経とお説教はいつもの通り。
特にお説教は、20年来「テープを回しときゃいいんだよ!」と長男が怒るくらいの同じ内容。
もう少し、個人を想うとか、集まった家族をねぎらうとかの人間的な言葉は出ないのだろうか。
浄土真宗も親鸞の教えも本来は好きなのだが、あのお坊さんのせいですっかり嫌気が差してしまう。
お墓は、お寺の裏手、すり鉢状の坂ノ下にあるので、母は本堂横からそっとお参りを済ませた。

その後、赤坂プリンスホテルの中華料理やさんで会食。
ホテルならば、バリアフリーで車椅子でも困らないだろうと選んだ。
しかし、予約した部屋は車椅子対応になっていない(コンシェルジュにすぐ部屋を替えてもらった)、また、プリンスホテルの新館には車椅子用のお手洗いがないといったお寒い状況だった。
(トイレに行くために、新館から山水館に移動するのは長い上り坂で、車椅子を押さなければならず、娘と二人がかりで移動させるほどの重労働だった。)

法事に来てくれたのは、すべて母の方の親戚(父は一人っ子で、父方の親戚とはもう付き合いがない)で、母のことを心配してくれている人達ばかり。
母の兄弟・従兄弟や弟・私の家族と一緒においしいものを食べ、ちょっぴりお酒も飲むのだから、母のはしゃぎようはたいへんなもの。
それでも、最初と最後の挨拶はしっかりこなした。
「今日は、主人の何回目かの法要にお集まり頂きまして…」
何度も「13回忌」と教えたのだが、それだけはどうしても覚えられなかったようだ。

帰りのタクシーの中も、それなりに、平和に陽気に過ごした。
「あなたに送ってもらうんじゃあ遠回りで悪いわね、Y彦さん(弟)の車で帰れば良かったわ~」
「私の帰るところはどこなの?」
といったようなヒヤリとするやりとりもあったのだが、夫と孫娘が同乗していたので遠慮もあったのだろう、まあOT園に帰ることをすんなりと納得してくれた。

とにかく疲れたけれど、母の楽しそうな笑顔が印象的。
多少疲れても、お金がかかっても、それだけの価値はあったと素直に思える一日だった。





同期会

2005年12月10日 | お友達
中高を過ごしたK女子学院20期生の集まり。
今年の会場は六本木ヒルズなので、地図を片手に会場に向かう。
クリスマスの六本木ヒルズ! 華やかだったわ。

この集まりは、姫路市にある高校を卒業して、東京圏の大学に進学した10人ほどの間で大学在学中に始まったもの。
以来、途中で何年かの中断時期はあるものの、毎年1度の集まりが続いている。

もちろん、メンバーにもいろいろ変動もある。
転勤でこちらにいたけれど、関西に引っ越してしまった人や、海外の赴任先にずっといて近頃戻ってきた人など。

今年は15名が集合!
会った瞬間から、30数年前にタイムスリップ。
食べるのもそこそこ、とにかくおしゃべりに花が咲いた。

昔は子育てのこと、子供の受験の話題が多かったけれど、今は夫の退職後どこで暮らすか、老親の介護のこと、そして子供の恋人の話題などに移っている。
でも、どんな話題だって楽しいものネ、顔を合わせている間中、相手を変えてのおしゃべりは止まらず、最後は同じ電車で帰る友達と別れるまで淀みなく続く。

さあ、これでスッキリした!
また来年のお楽しみ。





アンディー先生こんにちわ

2005年12月08日 | マジャル語
マジャール語のクラスは、今日から新しい先生。
自己紹介から始まったが、ハンガリー語での自己紹介は久しぶりで、ちょっとドギマギ。

「○○○子です。主婦で、家族は五人、子供は息子が二人と娘。K市に住んでいます。マジャール語を勉強し始めた理由は、……。マジャール語の難しいところは、エーッと全部かな?この年で新しいことを覚えるのはとっても難しいから。」
なんてことを、つっかえつっかえ話す。
もちろん、単語が適切でないところは、先生が隣から直して下さる。
こんなふうに人前でマジャール語を話すと、自分の語学力のなさがよく分かる。
先生からの質問の聞き取りも難しい。

新しい先生は、かわいらしいクリッとした目の女性。
とてもはっきりした発音で話されるし、日本語も上手。

これを新しい刺激に、もう一息頑張ってみますか。

穴ごもり

2005年12月07日 | その他いろいろ
心が弱いのかなあ~。
母に叱られて、母の寂しい気持ちが分かって…。
朝から落ち込んで、身体が動かない。
こんな事をしていてはいけないと、いろいろ抵抗を試みるのだが、うまくいかない。

こんな時は穴ごもりしかないと思い定めて、布団にUターン。
我が家の犬は、こういう時にはとても便利な子で、しっぽを振り振り私の後に付いてきて、私の布団に潜り込んでおとなしく眠ってしまう。
犬の身体を抱きしめながら、母には寂しさを紛らわすためのこんな楽しみさえもないんだなあと、また辛くなる。

断続的に襲ってくる睡魔に逆らわず、一日中冬眠、
暗くなってから、やっと犬の散歩にでかけた。

久しぶりの激昂

2005年12月06日 | 母のこと
夕方、いつもの時間にOT園へ行く。
ホールで車座になって談笑しているグループの中に母の背中が見える。
「ああ、よかった!」となんとなくホッとしたのだが。

二人で部屋へ向かう途中、「私はいったいいつになったら家に帰れるの?」と強い口調の母に???。

それからはしばらくは、詰問の嵐。
「もうこれ以上は治らないのだから、早く家に帰してちょうだい!」
「あの人たち(弟とお嫁さん)が何と言おうと、帰ります!」
「今すぐ電話をしなさい!」etc.

「そんな身体で帰っても、困るだけでしょう」と説得するを試みるのだが、かえって火に油を注いでしまったよう。
「だったら、私にここで死ねって事?」
「身体が少し利かなくなっただけで、あの人たちは私を捨てるのね?」
「私がどんな寂しい思いで、毎晩泣いているか知らないでしょ!」
「こんな事なら自殺するわ、それならみんなほっとするでしょ!」
「恨んで、恨んで、化けて出てやるからね!」
歯を食いしばり、身体を震わせながら、激しい調子でののしる言葉は、どんどんエスカレートしていく。


「気持ちはよく分かるけれど、私はいったい何をしてあげたらいいの?」
「私にできることはしてあげる、でも、他の人のことを言われても、どうしようもないでしょう」
話しているうちに、涙が出てくる。

「お母さんはうちに帰りたい一心かもしれないけど、帰ってしまったら私とはこんなにしょっちゅうは会えないよ。」
「結婚して以来、こんなに毎日お母さんとおしゃべりして笑える時間があるなんて、思っても見なかったわ。」
「家にはいられないけど、いいこともあるって思ってもらえないかなあ」

母もだんだん落ち着いて、TVニュースを見ながら、「欠陥マンション」の話題なんぞに話が飛んでホッとする。

ふと思い出したように「私いつ帰るんだったかしらねぇ?何か聞いてない?」との問い。
さっきまでの話は何だったの?もう忘れちゃったの?と背筋が寒くなる。
認知症と頭で分かっていても、目の前で見せつけられるとやはり驚いてしまう。

夕飯のテーブルでは、お仲間のおばあちゃまたちに「毎日娘さんと幸せねぇ~。」と言われ、「おかげさまで、本当に幸せだと思っています。」と答えている。
お隣の席のおばあちゃまから、「あんた、お母さんが幸せだって言ってるよ、良く覚えておきなさいよ!」と声がかかる。
「今、親不孝者って叱られたばっかりだから、どっちを信じたらいいのかなあ」と笑って、皆さんに別れの挨拶をした。

ここのお年寄りは、皆さん挨拶が素晴らしい。
「ごきげんよう」「ご苦労様でしたね」「気を付けて帰ってねぇ~」など本当に丁寧に言葉をかけて下さる。
それぞれの方の、これまでの生き方がうかがえるような素晴らしい挨拶。

帰路、母の激しい言葉が耳について、気持ちが収まらない。
夕飯の材料を買いに寄ったスーパーで、あちらこちらの棚をうろつきながら、べそをかく。
6時を過ぎた住宅地のスーパーは閑散としていて、涙をこぼしながらうろつくには都合が良い。
普段はあまり覗かない飲料水の棚や文房具の棚などをしばらく眺めて、つまらないものをかごに入れたりして、何とか気持ちに区切りをつけた。

聖夜の贈り物

2005年12月03日 | 母のこと
夕飯の時間、車椅子を押して食堂に向かう。
「クリスマスの飾りがきれいよ!見た?」と母が問う。

いつもははやばやと閉められている食堂のカーテンが開けてあり、窓の内側には電飾でベルの飾りが吊されている。
窓の向こうは、日が暮れて、すっかり闇。
その闇の中に、例の黄色い壁の家がうっすらと見える。
その家の壁にも、美しい聖夜の飾りが施され、何とも繊細な輝きを放っている。
OT園の庭のフェンスにも電飾。

「ほんとにきれいねぇ~」と眺めていると、食堂のお仲間が口々に「きれいでしょ」「いいよねぇ~。」
「ここの飾りはね、向こうのうちに対抗してやっているんだよ!」なんてご意見も。

クリスマスに、家の庭や壁を電飾で飾り付けるのは、近頃のはやり。
我が家から車で10分ほど走った所にある町田市の緑山の住宅地などは、その豪華さと規模が有名で、全国ネットのニュースにも取り上げられるほど。
娘や夫と眺めに行ったりしたこともある。

暗い闇の中に浮き上がる赤・青・シルバーなどの明かりは、そのものの輝き以上に、何か記憶の中の輝きを呼び覚ます力があるのだろうか。
ただ美しいと言うよりも、どこか気持ちを揺さぶる力を持っているように感じた。

聖夜の飾りは、その家に住む家族の幸せの証し。
OT園に暮らすお年寄りたちは、無意識のうちに、その家族の幸せを感じているのだろうか。
「いくら頑張っても、あっちの飾りの方がきれいだよね」と、黄色い家の飾りを褒める。




クリスマスコンサート

2005年12月02日 | 趣味(読書・洋裁・音楽・映画)
キングスシンガーズのクリスマスコンサートに出かけた。
銀座にある王子ホールは、300人は入らない小さいホールで、とても雰囲気がいい。
特に、この時期に行われる「クリスマスコンサート」では、開演前と幕間にシャンペンが振る舞われて、とても華やかな雰囲気である。

一昨年までは、このシーズンに何度かは必ず母と訪れていた。
お酒に弱い私は、音楽で気持ちよくなって眠るのがいやなので、開演前のシャンペンは舐める程度。
お酒に自信のある母は、「おいしいワ!」とおかわりして楽しんでいた。

キングスシンガーズは、イギリスの男性6人のアカペラグループ。
以前から彼らの歌うイギリス民謡のCDは、私のお気に入りで、毎日の犬との散歩の折に、かなりの頻度で楽しんでいる。

6人のメンバーは、カウンターテナー2人、テノール1人、バリトン2人、バス1人の編成。
明るい響きの素晴らしいハーモニーだった。