友人から、娘の恩師が亡くなられたとの知らせ。
娘の恩師だが、私にとってもいろいろ教えてくださったすばらしい人生の師だった。
肺がんを患っていらしたことは存じ上げていて、何度かお見舞いのお手紙は際あげていたけれど。
そして、この病が命定めの病気であることも十分に承知はしていたけれど。
そうか…、もうこの世のどこにも先生はいないんだと思うと、胸に涼しい風が吹いてくるような寂しさがある。
故人の意志で葬儀は密葬で済ませたけれど、教室にお別れの場を設けてあるからという知らせだったので、友人とお別れに出向いた。
白いお骨の包みの前には、いたずらっ子のような笑顔で指揮をする先生の写真。
そう、歌いながらこの笑顔を見ると、なんだか胸が弾んだのを覚えている。
親子で一緒にコーラスをする機会をいただいたのも、先生のおかげだったなぁ。
現在の私の生活で、とても大事な部分を占めているハンガリーとの出会いも先生の導きだった。
「なんでハンガリー語を始めたの?」という問いに、「娘のコーラスの先生が…」と何度答えたことだろう。
コーラスのお母さん達が集まって、ハンガリー語を勉強するグループを作り、先生から紹介していただいたハンガリーの婦人から教えてもらい始めたのが、ハンガリー語との出会いの始まり。
それが、今の私の大きな楽しみになっているのだから、先生からいただいたご縁の深さに感謝せずにはいられない。
先生の祀られた祭壇に手を合わせた後、若い頃の写真や、合唱団とのレッスンの写真などを拝見する。
小さい娘が時々顔を見せたりして、本当に懐かしい姿。
子育ての貴重なアドバイスをいただいたことにも、大きな感謝だ。
おいとまをしようとしたら呼び止められて、「2階のレッスン室を覗いてから」とおっしゃる。
着ていらした洋服類が並べてあり、欲しいものがあれば形見分けで持ち帰ってくださいとのこと。
どの洋服も、先生らしいラインや色使い。
「あ~、これ先生がよく着てらしたスカートの形よね」
「これは、ハンガリーの民族いしょうだ」
「これ着こなせるのって、先生しかいないよね」
遺影で遠くなった先生が、急に身近に帰ってきてくれたように感じた。
娘が現在今のような形に成長したのも先生の教えによるところが大きい。
私のハンガリーへの興味のきっかけも、先生の導き。
ハンガリーつながりお友達も、すべて先生からもらったご縁だと思う。
これからの生活で、娘との付き合い、友人達との付き合い、ハンガリー語との付き合い、そういう物を大事にしていくことが、私の先生へのオマージュです。
忘れませんよ! 先生の教え!
大熊進子先生、本当にありがとうございました。