アッツイですねえ。10月ですよ、もう。「芭蕉拄杖」
諸君が杖を持っているというなら、杖(の一撃)をくれてやろう。
杖など持っていないというなら、杖を奪ってやろう。と芭蕉禅師
ポイント
拄杖とは、僧が行脚の時に持つあの杖。
評唱に、橋の落ちた川を渡る助けとなり、闇夜の村へ帰る伴となる。
これを拄杖と呼べば、地獄に落ちる。とあります。
ですから同時に「仏の教え、禅の道」などを指しているのかと。
ボク的解釈。仏の教えは形而上を否定し、有無を超えていると云う事かと。
「この時は、こうする決まり」とかはない。概念化、言語化して「有」に捕らわれている。
縁起故、無くなることなどない。概念化、言語化した「無」に捕らわれている。
極端を厭う。禅は「中道」のようです。
諸君が杖を持っているというなら、杖(の一撃)をくれてやろう。
杖など持っていないというなら、杖を奪ってやろう。と芭蕉禅師
ポイント
拄杖とは、僧が行脚の時に持つあの杖。
評唱に、橋の落ちた川を渡る助けとなり、闇夜の村へ帰る伴となる。
これを拄杖と呼べば、地獄に落ちる。とあります。
ですから同時に「仏の教え、禅の道」などを指しているのかと。
ボク的解釈。仏の教えは形而上を否定し、有無を超えていると云う事かと。
「この時は、こうする決まり」とかはない。概念化、言語化して「有」に捕らわれている。
縁起故、無くなることなどない。概念化、言語化した「無」に捕らわれている。
極端を厭う。禅は「中道」のようです。