デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

チコ・ハミルトンの銅鑼が遠くから聴こえた

2014-01-19 09:20:54 | Weblog
 昨年11月25日に亡くなったチコ・ハミルトンを最初に聴いたのは映画「真夏の夜のジャズ」だった。映画だから正確には「観た」というべきなのだが、映像以上にその音のインパクトが強かったので「聴いた」という表現が正しい。高校生だった68年のことで、ようやくジャズが解りだした頃である。日本公開は60年なのだが、田舎という地域性と、当時は2本立てや3本立てで上映するのが慣わしだったので遅れたのだろう。

 この映画はジャズファンのバイブルともいえる1958年のニューポート・ジャズ・フェスティバルを記録したドキュメンタリー作品だ。チコ・ハミルトンの名前は知ってはいたが、演奏を聴くのは初めてで、このバンドにエリック・ドルフィーがいたのも初めて知った。「動く」ドルフィーとフルートは衝撃で、それまでにレコードで聴いたことがあるファイヤー・ワルツやコルトレーンとの激しいセッションとは別人のようだったし、フルートといえばロックがかったハービー・マンが最高だと信じていただけに、ジャズ・フルートの概念を根本から覆す大きな驚きである。そしてこのチコのバンドがデビューと知って二度驚いた。

 映画でみるチコは哲学的な風貌で近寄り難い印象だ。そのとき演奏した「ブルー・サンズ」が室内楽的ジャズだったので、そう感じたのかもしれない。その後当然の如く何枚かのレコードでチコのドラムを聴くわけだが、メロディアスなブラッシュ・ワークが特に素晴らしい。「摩る」というのか「擦る」とでもいえばいいのか、或いは「撫でる」という表現が相応しいのか、スネアの皮を適度に刺激しながら優しくいたわるようなブラッシュの動きだ。そして、自己のバンドからドルフィーをはじめチャールズ・ロイド、ジム・ホール、ロン・カーター、ガボール・ザボ、ラリー・コリエルといった錚々たるプレイヤーを世に出した慧眼もジャズ史に刻まれるものだ。

 当時の映画館は今のように入れ替え制ではなかったので、日曜日は朝から晩までメインの映画のときに居眠りをしながら「真夏の夜のジャズ」を3回観た。それはモンクやジェリー・マリガンやアニタ・オデイは勿論だが、この不思議なチコ・ハミルトンの世界に惹かれたせいかもしれない。チェロを加えた特異な編成によるピアノレスの室内楽的ジャズにもかかわらずスイングを忘れなかった偉大なドラマー。享年92歳。得意の銅鑼が遠くから響く。グゥワァーン・・・合掌。
コメント (19)
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