楕円と円 By I.SATO

人生も自転車も下りが最高!
気の向くままに日常と趣味の自転車旅を綴ります。

いつか来た道

2021年03月16日 | 日記

予想通りの中身の無い15日の参院予算委集中審議だった。唯一のポイントは東北新社と総務省の言い分の違いが浮き彫りになったくらいか。

〝いつか来た道〟を見ているようだった。

 

東北新社の社長によれば、4年前に総務省から衛星放送事業の認定を受けた後に外資比率の要件(20パーセント未満)を欠いていたことに気づき、総務省に報告したが、総務省側は「担当者によれば、そんな重要なことはメモを取ったりしているはずだが、報告があったかどうか覚えていない」とのことだ。

モリカケ事件で財務省は「書類、メモは残っていない」と強弁して、実は不都合な文書を破棄したり改竄していたことが発覚した。悩んだ担当者に自殺者まで出てしまった。よく似た流れだ。

驚いたことに、総務省の審査は申請者の「チェックシート」のようなものを確認するだけだという。この件に限らず省庁が重要な書類の審査をそんな杜撰な方法で行うはずがない。

 

しかも不思議なことに、東北新社は適格要件を欠いていたことの報告を審査を行った担当課ではなく総務課に行っていることだ。

東北新社の社長は「どうして総務課だったのか、分かりません」と答えている。「子会社に事業を承継するアイディアは当社から出した」とも。

「どこに相談するか」を内々に総務省側に相談した上でのことだとすれば何らかの意図があったことが考えられる。

 

二つの課の事務分担がどのようなものか知らないが、この谷間に〝行政の歪み〟が潜んでいるのではないか。

これからの国会審議でどこまで詰められるか。

 

 

 

 


『私の自転車旅物語』 -想い出を辿る旅 はじまり -

2021年03月14日 | 『私の自転車旅物語』

今は廃線になった函館からのJR松前江差線。木古内駅で松前行きと江差行きに分かれる。

忘れられない想い出がある。世の中に出て最初の勤務地の江差町へ向かっていた昭和48年4月1日のこと。この日は日曜日で役所の辞令交付は4月2日だった。

 

列車は木古内町を過ぎると集落の光も途絶えがちになり、やがて真っ暗な山間部を今にも停まりそうな速度でゴトゴトと走った。

この先に本当に江差町はあるのだろうかと心細くなった。そしてようやく滑り込んだ上ノ国町湯ノ岱と書かれたホームの案内板を見ると次が江差町だった。やれやれ。

江差町駅の改札口にはそれらしい人達が出迎えに来ていた。「Tさんですか」と声はかかるが「佐藤さんですか」は無い。やはり新人らしき若者が一人二人と姿を消して遂には自分ひとりになった。

 

その時、「Tさんがいないので代わりに貴方を連れてゆきます」と声をかけられ、その夜は職場の寮に泊まることになった。Tさんは木古内駅で分離された松前町行き車輌に乗ったままだったのだ。

寮の食堂のテーブルに透き通る「イカ刺し」が乗っていた。流石だ。さてゆっくり食べようとしていたらドヤドヤと二人が入ってきた。

「ごめんごめん。総務課から聞いていなかったもので」と頭を掻いて寿司店へと連れ出し、所属課の歓迎会となった。もう亡くなった直属の係長の上機嫌な笑顔が懐かしい。

 

こうして始まった社会人生活。予期しなかったコロナの時代、『私の自転車旅』の想い出も江差町を訪ねた時から始めることにしました。真っ青に晴れた2013年7月のことでした。(つづく)

 

《江差町 鴎島にて   2013.7.23》

 

 

 


放送行政の闇

2021年03月12日 | 日記

15日は参院、16日は衆院の予算委集中審議にNTTの澤田社長が参考人として出席することが決まった。想像の質問に全否定して終わるだろう。

東北新社にしろNTTにしろ少なくとも「カミカゼが吹いたと感じた」という内部からの証言が出てこない限りこれ以上の進展は無い。

会食があったのかどうか、仕事の話しは無かったのか、という推測質問とバレルまで嘘をつく答弁を繰り返しても貴重な審議時間が政権側に浪費されるだけだ。野党は少しは学習というものをして欲しい。

 

まさに竹田総務大臣の答弁は“時間切れ採決”に持ち込もうとする作戦がありありだ。審議の内容より見せかけの審議時間が重要なのだ。ましてや予算は自然成立するから余裕綽々だ。

今回も国民には消化不良のフラストレーションが政治不信となって蓄積される。谷脇、山田両氏の辞職や関係者の処分、管首相の長男の退社、東北新社の衛星放送認可の取り消しで幕引きされるシーンが浮かぶ。

 

森友事件でもそうであるように、役所で資料を積み上げて起案しているのは実働部隊であって、上層部を通じた外部からの横車を押すような不自然な圧力には敏感だ。のはずだ。

東北新社、NTTが霞が関の幹部を接待した内容が細部に亘っている。経理部門の職員も関わる内部告発だ。文春が行政サイドの現場情報をどこまで掴んでいるかだけがこの問題の行方を決めている。

 

政・官・財の癒着は社会の腐った骨組みだが直ぐには解体は難しい。社会そのものが潰れると皆思い込んでいるからだ。

〝首相特区〟の加計事件、NTT供応接待も形を変えた古典的な日本の政策決定システムであり、消耗するけれどここに入って行かないと同じ事が繰り返される。

先ずはお友達の「諮問会議」方式をやめること。公正な人選による「公聴会」方式に切り替えないと何時までも「割り勘払ったから」「お墨付きを貰ったから」で済まされる。

 

野党は『第三者委員会の設置』、参考人招致ではなく『証人喚問』で頑張らないと〝文春国会〟という情けない状態が続く。

会期末に内閣不信任案を出してお茶を濁すようなことはもう止めて欲しい。国会が何かを残せるかどうかだ。

 

 


春間近か

2021年03月11日 | 円 -bicycle-

6:00に起きて部屋のカーテンを開けると周りの景色がよく見える季節になった。あとは彼岸の頃に一度荒れて春だ。

手帳を見ると去年は4月1日に朝のポタリングを始めている。5日には「寒くて中止」とある。

冬の間、室内でロードバイクを回して体力維持に努めてきたが、年齢が積み重なって今年はどんなシーズンになるのだろうか。

 

ラジオを聴きながら1時間ほどペダルを回してから自己流ストレッチをする。

最近になって気がついたが、仰向けになって両腕を結んで頭の先に伸ばすと左腕が伸びきらない。

 

人間の身体は左右均等ではないのでそのためかなと思いつつ、思い当たるふしがあった。

若い頃のラグビーだ。左肩の筋肉が固まった感じがある。ポジションのFW左フランカーはセットプレーからの守りの時は左肩でタックルに入ることが多い。

知らず知らずに左肩にダメージが蓄積していたのかもしれない。年を取ると顕在化する。

 

腰、頸椎は古傷でガタガタだが、幸い自転車に大事な足首、膝の関節がまだ元気なことに感謝しなければならない。

 

《25年前の愛車》

 

 

 


東日本大震災10年

2021年03月10日 | 日記

Kさんが難病で亡くなって3年目になった。東日本大震災の特集番組を見ると震災の翌年にKさん、Aさんと三陸海岸を車で回ったことを想い出す。

きっかけは近くの焼き鳥屋でKさんが突然、「行ってみよう」と言ったことだった。あまり言い出しっぺになるタイプでなかったので、一緒にいたAさんと「これは行かなければ」と即、決まった。

 

KさんもAさんも近所に住んでいて昔の職場の研究職員だった。Kさんは農水省の試験場に派遣されていた時に宮城県内の圃場で土壌改良の試験をしていたことをその時に知った。

Aさんは学生時代に岩手県の山中で鉱床調査をしていたことがあり、農家に泊まり込んでいて思うところがあり、理学部を卒業してから農学部に入り直したことは以前に聞いていた。

 

2012年5月に二人の想い出の場所に津波の被害が及んでいないかどうかを確かめる旅に出た。

苫小牧から八戸にフェリーで渡り、宮古、陸前高田、気仙沼、仙台とレンタカーで周った。三陸海岸沿いに宿は無く、何とか山間に見つけた。全てKさんが手配してくれた。

 

枕木が持ち上げられ曲がった鉄路、倒された防波堤、山の中腹まで海水が上がった跡、街中に取り残された漁船、土台だけの集落、有名になった一本松・・・。

途方もない自然の力に打ちのめされたような日が蘇る。

 

結局Kさんの圃場は道路も寸断されていて正確な場所が分からず仕舞いだったが、大凡の見当では水を被ってはいないようだった。

Aさんの農家は見つかった。後継者の息子さんが在宅していて幸い津波は逃れたようで一同安心し喜んだが、近所から浜の方へ働きに出ていた人が一度避難してきたが忘れ物があると言って戻ったために津波に巻き込まれて亡くなったという話しが胸に迫った。

 

TVの震災特集を見ていると、原発避難解除地域に戻っている人は3割。高齢化が著しく、生活基盤の復興もまだまだ時間がかかりそうだ。

東北震災そのものと、あっという間にいなくなったKさんのことがずっと重なり合ってこれからも時間が流れるのだと思う。忘れてならないことの一つだ。時々、焼き鳥屋でAさんと飲みながら、そんな話しになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
 
 
 

『私の自転車旅物語』 -相棒のこと 3/3  終わり -

2021年03月08日 | 『私の自転車旅物語』

自転車旅をしていると多少のトラブルはあります。こんなことがありました。

 

#キャンプ地の近くの温泉から出て、さぁ出発と思ったらタイヤがバンクしている。予備のチューブ、修理キット、タイヤ外しレバー、空気入れは持っていた。ところがMTBでは初めてのことで交換チューブと外したタイヤを車輪のリムに上手く収められない。だんだん暗くなってきて思いついたのは馴染みの自転車屋店主と今で言う“リモート”。携帯で手順を教えて貰ってクリアした。一度、練習しておくと安心。

標高1,000m近い峠から気分よく下り始めると前輪からキーキーというイヤな音。ブレーキシュー(パット)の角度を調整して走り出すと暫くしてまた異音。シューを外して見た。セラミックの外材が減っていて金属ネジの先端が現れていた。続けるとリム自体が損傷する。結局、15Kmの下りを後輪ブレーキだけで降りた。ブレーキの出発前点検の徹底と予備シューの携行は大事。

走行中に前輪を見るとガタついている。クイックレバーを締め直しても症状が変わらない。これは自転車屋でなければと捜しても最近は見つからない。仕方ないので自動車整備工場に飛び込んだ。話すと、前輪のハブを点検してベアリング抑えを締め直してくれた。自動車整備工場には専用工具があるのでトラブルの時は相談することにしている。

携帯空気入れは力が必要。取り敢えずの措置としても腕が疲れる。そんな時は自動車整備工場。車用の圧搾空気入れが使える。ただし、ノズルのアダプターが必要。自転車店で数百円で売っている。台湾一周の時は親切な整備工場の人ばかりで空気圧の維持が楽だった。

 

他によくあるトラブルとして、転倒、輪行によってワイヤー(変速、ブレーキ)の緩み、前輪のチェーンガイド、後輪の変速機の不具合が生じることがある。

ワイヤーの調整は馴染みの自転車専門店と仲良くなって教えて貰った。変速機の調整は素人には難しい。最低限の知識で急場を凌ぎ、自転車屋で調整するしかない。輪行で飛行機を利用する場合は変速機周辺をプラスチック板で保護しておくと安心だ。

 

【自転車トラブルに備えて携行しているもの】

・ミニプライヤー、六角レンチ、ペダルレンチ、ドライバー、パンク修理キット、タイヤ外し

・予備ブレーキシュー、ナット、ワッシャー、スピードメーター磁石、クイックレバーバネ、結束バンド

・携帯空気入れ、ノズルアダプター

 

 

 

《タイヤは古いチューブでフレームに縛り付けている  後輪は装着したまま》

 

これで自転車旅の“相棒”はひとまず終わりです。次からは一昨年に終わった10年掛かりの北海道沿岸一周自転車旅の想い出を折々書いてみます。(つづく)

 

 

 

 


信頼喪失した政権のコロナ対策

2021年03月06日 | 日記

6日夜の管首相の緊急事態宣言の再延長に関する記者会見で感じたこと。

 

「激務によって、若手官僚の退職が急増している」ことを見直す気はないかという質問に対し、「戻った人もいて、労働力の流動化は大事なこと」といった答弁をした。驚愕、愕然とした。

首相としてすべきことは現状に目を向け、国会対応負担の軽減、残業の軽減、待遇改善などについて、各省庁に号令をかけることではないか。全てに〝人ごと感〟が漂う。

何と冷たい反応。これではブラック企業の社長だ。この程度のことしか言えない、考えていない人物に国の将来を任せていいものか、コロナ禍と同じく深刻だ。

そもそも一度退職して省庁に戻るためには再度試験を受けることから始まるはずで、簡単な事ではない。そのような知識も持ち合わせていないのではないか。選挙で落選して返り咲くのとは訳が違う。

聖火リレーの辞退者が出たときに、自民党の二階幹事長が「戻って来なければ又捜せばいい」と言い放って顰蹙を買ったが、見事に重なる。人を人と思っていない。

 

予想はしていたが、2週間の再延期の科学的根拠は説明されず、“瀬戸際”の2週間に検査・隔離・医療の目新しい対策は無かった。瀬戸際は内閣ではないか。

「オリンピックをどうするのか」に関しても大手新聞社は“協賛企業”に名を連ねており、「海外からの観客をどうするのか」、「コロナ対策をどうするのか」という腰の引けた質問しか無く、「主催者が検討している、ワクチンなどの対策に全力で取り組む」と定番の答でスルリと抜けて行った。

 

冷たく、倫理感を喪失した管政権を国民がどこまで信頼するか、協力するか、が一番の問題だ。これからも不要不急は自分で判断するだけだ。

 

《四十雀が姿を見せるようになった》

 


オリンピックの開催判断

2021年03月04日 | 日記
 
 

BBCが世界の新型コロナワクチン接種の拡大時期の予測を載せている。アフリカ、中南米、東南アジアなどが2023年初頭からになっているのにはびっくりした。

日本もドタバタして不透明なことばかりだが来年半ばでなければ行き渡らないグループになっている。

ワクチンの増産体制が軌道に乗れば改善されるとしても地球規模では先進国と途上国に経済力や外交力で大きな差が生まれていることが一目瞭然だ。

 

途上国へのワクチン普及を進める国際組織「Gaviワクチンアライアンス」が整備されているが、今の状態が続けば変異株が出現し、拡大されるというリスクが高まるとされている。

WHOの米州事務局であるPAHOのエティエンヌ事務局長はは3日、「世界の一部でCOVID─19(新型コロナウイルス感染症)のまん延が続く限り、残る全世界は安全ではあり得ない」と述べている。

 

そんな中で夏の東京オリ・パラが「開催ありき」で突き進んでいる。緊急事態宣言期間の2週間程度の延期もそのプロセスの一環ではないかと見られている。解除が聖火出発の合図になるからだ。

管首相が「オリンピック成功」により、「総裁再選」「総選挙勝利」を実現しようと考えているのは誰の目にも明らかだ。

しかし、「平和の祭典」というオリンピック精神を謳うにはパンデミックの現実は厳しい。「人類がコロナに打ち克った証」というスローガンもどこかへ行ってしまっている。

 

明日(5日)、管首相の記者会見が予定されている。緊急事態宣言解除の延期と併せて、国民の8割が賛意を示していないオリンピック開催についても正面から答えるリミットを迎えたのではないか。

橋本会長も「安心・安全な大会」と繰り返すだけでなく、具体策を提示して欲しい。科学的に何がどうなればいいのか。

人生をかけてきたアスリートの気持ちも理解出来るが、この1年、2年で人生の大きなチャレンジ機会を失った人はアスリートばかりでないだろう。

世界の国々からどれほどの選手が集まれるのか。地球的な人類の「命と健康」に関わる問題であることを考えて判断すべきことではないか。

 

 

 

〝食肉鶏卵〟で思い出したこと

2021年03月02日 | 日記

自民党の実力者だった河野一郎が農林大臣の時に「芝浦と畜場」を近代化しようとして頓挫したという。

当時のと畜の世界は江戸時代の浅草弾左衛門に由来する独特の流儀と関係者の利害が複雑に絡んでいたはずだから、流石の河野一郎も手がつけられなかったということだろう。

「食肉鶏卵課長は農水省の出世コース」ということも聞いた。良く言えば人物評価として〝清濁併せ飲む度量〟と〝危ない橋を渡りきれる運〟みたいなものが試されたのかもしれない。どちらも50年も前の畜産の仕事をしていた頃の話しだ。

 

東北新社と総務省との接待事案と鶏卵大手のアキタフーズと吉川農林水産大臣との贈収賄事件が抱き合わせで報道されていて、国会質疑のなかで農水省の処分対象者に面識のある人がいることを知った。まさに食肉鶏卵の中にいた。

擁護するわけではないが〝巻き込まれた〟と率直に感じた。当時30才台だったと思う。笑顔を絶やさない明朗で聡明な人柄だったと記憶している。

大臣に誘われたら誰でも断れないのではないか。私がもしその立場だったら行っただろう。もう国会議員の悪弊は霞が関の幹部が断ち切らなければならない。

 

度重なる議員や役人の不祥事を巡る国会質疑が虚しい。これまで何も残ったものが無い。

今度こそ野党は予算審議を止める覚悟で「第三者による調査」と「官邸人事局の廃止」を迫るべきだった。役人の忖度と言われるが殆どの震源は政治家ではないかと思う。

 

処分を受けたその人は既に職を離れている。もう悲劇は繰り返してほしくない。