人に踏み込むことは人の人生の一部を抱えてしまうこと。
踏み込むからには、余計な苦悩や不遇を、
共有する覚悟がないといけないと思う。
そういう覚悟がないと単なる冷やかしや社交辞令の域を出ないのではないかと思う。
もちろん相手だってそんな人に胸襟を開いてくれるはずもありません。
僕はそれに辟易してきました。
なにより自分が苦しくなります。
自分さえ持て余しているのに、誰かの「生」を、例えほんの少しであれ、
背負ってあげることはできないのです。
だからお酒を飲んでいろんな話を聞いてやり、
調子のよい返答をし、慰めてやる事のすべてが、
後から考えると無責任な「偽善」に思え自己嫌悪に陥ります。
話す当人はそんな大それた事を僕に期待している訳ではありません。
思いの丈を吐露することで満足したいだけなのかも知れません。
トムハンクスの「グリーンマイル」という映画に出てくる、
神秘の力を持った死刑囚。
彼のような力も純粋さもないのだけれど、
彼のような「懊脳」はとても背負い切れるものではありません。
人は人、自分は自分と割り切って生きる。
神でもなければ超人でもない。
そんな自分が身の程を知って生きるとは、
しょせんその程度なんだろう。
嫉み、妬み、悪意や貪欲、私利私欲。
他人の懐にある醜怪なものどもを見る必要などまったくない。
今日もお酒の席があります。
せいぜい「本気」にならないよう気を付けねば・・。
クール&ドライ。
そんなことを思いました。
とても淋しい人間ですね。
聞き役ではなく言うほうに回ればいい。
確かにブログはそうですしやりきれない気持ちを吐露しています。
あとは人を選ぶということかな。
悪意を極力排除する。
いい人はいいです。
重たかった肩の荷が下りたり、気分が
明るくなったりします
それがただの相づちであっても上の空で
あっても聞いてもらえるだけで
ほっとします
真剣に聞いてもらえたらなおさら、、です
こういうブログもそうですよね
自分の考え、気持ち、出来事を誰かに
知ってほしくてやっているんですよね
じゃなかったら、公開する必要ないですものね
いろいろな人といろんなかたちで繋がりを
持つ、、
とっても大切なことだと思います
そうすることが 淋しくない人生に
なるんじゃないかな、、、
貴重なアドバイスありがとうございます。
いつからかそうした人との関係がとっても重荷になり、
親身になればなるほど何もしてあげられない自分と、
その場限りでうまいことをいう自分に嫌悪し、
結局は自分の心に蓋をするようになりました。
クール&ドライ
なんて、全然似合わないのに。
本当は大のお人好し。
亜衣さんが言うように現実世界で心を開ける相手とはそんないるものではないですよね。
踏み込むなんて僭越です。
恋人になる人、夫婦となる人の他は
必要ないかと思います。
たとえ親友であっても、
お互いに知りえない時間が多くあればあるほど~
自分が関わる時間はほんの少しのもの
その時間内に、綺麗に関わり(表現は悪いけれど)
綺麗に別れる・・・
それでいいと思います。
関わっていられる時間は、
お互い関わっている事が苦痛ではなく
心地良いものであったなら、お互いに癒しあいが
出来る・・というもので・・
dragon21さんに愚痴りたい人って
ただ聞いてもらえるだけで満足して
ただdragon21さんが居てくれるだけで
癒されているのではないのでしょうか~?
他人に関わる事が浅いもので終わらなければならない事って、淋しい事ではないと思います。
私の偏った考え方・・・で
ごめんなさいね。