実際のところSS将校になり出世するまでは他の党員と同じように諜報活動に身をおきながらナチのやった非道なふるまいも同じようにしていたらしいです。逆にラインハルト・ハイドリッヒの死後、SD(保安本部)隊長となった頃からガラリと変わって平和主義者の一面も見せ始めている。要職にいたにも関わらずニュルンベルク裁判で禁錮6年の軽い刑ですんだのは、彼が強制収容所のユダヤ人援助のために努力したからだとも言われています。周囲はそんな彼を「敗戦主義者」と呼んでいたらしいが。彼はドイツの2次大戦での敗戦を早くから感じとっていたらしい。ヒットラーが自殺した時もデンマークで母国に有利な降伏工作をしていたそうです。
ナチと自分のとっていた行動をどこで異常だと感じて「平和主義者」になっていったのだろうか。
出所後2年して肝臓癌で亡くなっているので何をどう感じていたかをあらわしている文献はほとんどないらしい。彼の葬儀費用をココ・シャネルが出しているので愛人説もあり(SSの制服もシャネルがデザインしたとか)それほど魅力にあふれた人物だったのだろうかと今更ながら思うときがある。