TAMAちゃんダッシュ

愛犬タマとマル民の私の毎日です

やうつり

2008-12-21 | Weblog

年の瀬になってから やうつり することになりました。
10月の予定が義母の体調、マル民の業務の関係、仕事の関係、改築工事のずれ込みなどで12月になってしまいました。

亡き義父がしていた店舗兼住宅は老朽化がすすみ、まったく住んでいなかった別の場所にある我が家への転居となった次第です。

転居先は同じ町内ではあるのですが、引越作業は思ったように進みません。二つの世帯にあったものを一つの世帯に押し込めようというのですから、廃棄するものが多くそのことが一番頭が痛いのです。
家族3人が3人とも捨てられない性格ですからね。

とはいえブログの更新はこんな状態でも気分転換にとびとびでさせて頂いておりますが、コメントの返信などが遅くなることもありますので、何卒ご容赦くださいませ。

引越終了までしばらくはこの記事がトップ記事となります。
新しい記事はすぐ下の記事からとなります。

                           2008年12月5日   瑠 葉

家庭の味

2008-12-10 | Weblog
珍しく料理の話題かと思いきやそんなことはありません。

昨日は月に一度のお年寄りのサロンの日
そして年に三度ほどある食事会の回でもありました。

当日参加する私にはわからないことではありましたが、
始まる前に煮込み料理の味付けで
当番同士の一悶着があったことを今日聞いたんです。

その煮込み料理の味付けは関西人の私にすら薄いもので
お年寄りの会合だから敢えてそういう味付けにしているかのと
思っていたのですが…


でも何かが違う


ベースの出汁に何を使うか
カツオブシなのか、昆布なのか、煮干しなのか、はたまた鶏ガラか


何てことじゃなく

ホンダシ
シマヤだしの素
有名メーカーの瓶入りの出汁


結局、もめた末に全部均等に入れたそうです。


ああいう味になるんだね………





戦利品?

2008-12-08 | Weblog
引越しに伴い、ゴミ処分行きの置き場から救出した戦利品の紹介です。

と、あの方のブログにならってみようとしましたが
ちょっと様子が違うんですよ。

確かにレアなものには違いないのですが
引越予定場所の押入奥深くにそれは存在していたのです。

引越先はそれこそ12年ものあいだ放置していた場所で
玄関を入るとネズミの干支の置物がドンとあったり
長い間、住んでいない場所でしたので、
台風で壊れていたり、猫のすみかと化していましたので
かなり手を入れなければなりませんでした。

そして長い間には紹介するレア?な戦利品?も生産されるのですよね。

押入の奥に存在していたのは

さすがにちょっとたまげてしまいましたね。


どの種類の蜂なのか
自称大概のことは知っているとのたまう主人に尋ねると
アシナガバチ のそれではないかということでした。


すると部屋の中に種の手がかりとなる瀕死の状態の彼女がいました。



足長くないんですが…
お尻の針もなんかすごかったし…
それによく見ると
みつばちハッチに出てくるあいつらのような面構え


きっと あれ に違いないと思うのですが、私は蜂に詳しくありません。


きっと刺されずに済んだのは蜂のお尻が好きだという私のちょっと変わった趣味のおかげに違いないと思っています。

この巣は落ち着いたころ、中の住民が完全にいないことをきちんと確認してから主人にして処分してもらうことにします。
写真の彼女以外には気配はなかったんですけどね。

あれ の種類がわかる方は是非に教えてくださいませ。


さて引越作業を続けるとします。


fall in  love

2008-12-02 | Weblog
「惚れてまうやろ~」とは言わなかったものの
あれは一目惚れ、恋に落ちたに違いない

先週の土曜日、テレビを見ていた義母は画面の中のある人に
恋をしたようです。

Gacktさんの繊細な美しさに惹かれたのです。

義母はこう言いました。
「氷川きよしもウカウカしてられないよ。」

ほか、現在のお気に入りはナインティナインのお二人、
武豊選手、
石川遼選手 などなど

純粋に顔が気に入ったのはGacktさんのみ。


人は人生で何度恋におちるのでしょうね。

こたまご

2008-12-01 | Weblog
まあるい動物の鼻のようなフロントの車両とニュースでは言っていましたが、私はいつの頃からか別の名前で呼んでいました。

定期運行を終えた0(ゼロ)系新幹線=「こたまご」
…「ひかり」号として運行されていた時もありましたけど、私の中で0系新幹線は「こだま」号のイメージで、「こたまご」は「卵」と「こだま号」の合成したみたいな言葉で、その自らつけた愛称がお気に入りでした。



「こたまご」は幼い頃に長く過ごしていた最寄り駅である西明石駅に縁があり、西明石駅にはひかり号は停まりませんでした。新幹線といえば「こたまご」でしたが西明石が大都会で世界の中心だと思っていたことを「こたまご」の他に「ひかり」号を知り、新幹線から他の場所を知ることによって小さな子どもが狭いようで広い世の中を知るのです。

在来線とはまったく別の高架の上を走り、高い場所から速いスピードで流れる景色を見て、その景色は決して自分の力では開けられない窓からのものでした。どうにもならない窓にパンチを食らわせてやったこともあります。



最後に「こたまご」に乗ったのはもう5年も前になるでしょうか。
大阪、東京に出張するにはいつの頃からイラチになったのか、速さを重視して「ひかり」号か「のぞみ」号のみの利用になっていましたから、とても珍しいことだったんです。「こだま」号であっても新型車両でしたしね。

飛行機が嫌いな主人につきあって東京に向かうのに朝早く着かねばならないことから、寝台車を利用することになりました。寝台車は「サンライズ瀬戸」。四国からの連絡なので広島からの利用ができずに取りあえず岡山に向かうことに。夜遅い時間になり近距離を結ぶ新幹線は「こだま」号が断然多くなりますものね。その際にたまたま乗車することになったのがゼロ系の「こたまご」でした。

5年前のその日の夜、恐怖を感じました。
酷い横揺れに轟音。
トンネルに何度も入りましたが、走行中に分解してバラバラになってしまうのじゃないかと思ったほどです。
本当に長い間働いているのだなぁとその時には思いました。
でも歳をとらずにずっと働き続けてくれるのだとも。



最後の日を迎えたゼロ系新幹線には本当にたくさん想い出が詰まっていたのですね。
みなさんはどのような想い出がありますか。