TAMAちゃんダッシュ

愛犬タマとマル民の私の毎日です

お盆の風習2

2005-08-04 | 地方
小学生のある時期に島根県の隠岐島に住んでいたことがある。ここは母方の里になるのだがスゴイところです。1年も住んでいるとそれこそ今にして思えばスゴイことが盛りだくさんなんですが、本日は昨日に続いてお盆の風習についてです。というかお盆といっても初盆限定ですが。
隠岐諸島は島前と島後に分かれ人口が多いのは北側にある島後である。
私が住んでいたところは島後の飛行場からみて西にある2つめの南北に長い湾の沿岸。加茂という集落でした。店は3軒ぐらいで常時営業しているのは1軒だけでした。小学校は集落の中心にありましたが何と複式学級でした。番地はあまり意味なく「野津」という苗字が多かったので各家々を屋号で呼んでいました。(すでにスゴイでしょう?)


初盆なのですが灯籠ではなく精霊船を流していました。船といっても小さなものではなく船大工さんに特注してつくった木製のものでした。2~3mぐらいあったでしょうか。(適当な画像がなくひよさんのホームページの画像を借りてしまいました)写真の右手の方にある小舟がそうです。ちゃんと帆もついてます。故人が好きだったものをお供えにして船に乗せ湾の外海に出てから流すのだ。
もう15年ほど前になるのだろうか。祖父が亡くなった翌年の初盆の時、近くの漁師さんの船に乗せて頂いてこの精霊船を流した。
財布、眼鏡、タバコ(ハイライト)、コーラ、出前一丁。体に悪いものばかり好んでいたんだ…とか思いましたね。
船は西に向けて流します。ここで何故西なのとかいう新たな疑問が浮かびます。歴史の時間に勉強されたと思いますが隠岐島は後鳥羽上皇、後醍醐天皇の配流の島です。よって子孫も天皇家に関係する人がいたと思われるので島のほとんどの家が神道ということになる。仏教徒が西方に向かって船を流すのなら何となくその理由も納得するが神道でも何か理由があるの?とか考えその疑問は今も解決していません。ある意味孤島なので宗教も土着したですんでしまいそうですが、この疑問にどなたが答えてくださる人がいらっしゃればと思います。

最期に隠岐島前西の島の「シャーラ船(精霊船のなまったもの)」は重要無形民俗文化財になっており初盆だけでなく毎年のお盆に精霊船流しが集落として行われています。