TAMAちゃんダッシュ

愛犬タマとマル民の私の毎日です

口ずさむ人

2009-02-22 | 言霊
 ブログをはじめネット上でやりとりのある方には、実生活で知ってらっしゃる方もいれば何となくお友達になった方もいますよね。
 この何となくにはこれといった理由があるようなないような…
 内容に共感した。お友達のお友達だった。
 いずれにしても長く続いていたり、続けようとしていたりと思う方は何となく波長があうような直感があったりするのだと思います。

 コメントやメッセージを送ったこともなく、ずっとこっそりと見ていたブログがありました。
 悦に入ったり、共鳴したり、その自由なその人らしさをを表現した記事が大好きで何度も読み返し、ネット上でのおつきあいをとも考えましたが、らしさをそのまま感じていたかったのでそのままでいました。

 一つ一つの記事に深く感じたこともそうですが、どうにも溜まらなくなって笑いだし、そして嬉しく思った記事がありました。
 何か用事をしながら時折口ずさむ歌が同じだったんですよね。
 私なんぞは何かを力強くテンポよく気持ちよく行いたいときにイントロ部分から口ずさんでいます。かなり調子よく歌っていて主人が気にとめるほどですから口ずさむとはいわないか。
 マニアックで知っている人が少ないというのも自分だけの楽しみのようで心地よさを増幅させているような気がする作品です。


杉さまファンというわけではないけどこの曲はしびれます。



そのブログの主の最後の更新は2008年の大晦日。
 自分の居場所は「ここ(ブログ)ではない」と締めくくられていました。
 更新がないことを残念にも思いますが、新しい居場所を見つけたのならそれで良い。

 同じ歌を口ずさみ同じように自分を奮い立たせ波長の近しい知らない人の存在が確かにあるということで心が温かくなりました。
 勇気をくれたあの歌を口ずさむ誰かさんにどうぞ祝福がありますように。

作文

2008-09-22 | 言霊
時代だということをしみじみ感じました。

来月のはじめに「子どもの思いを聞く集い」というのが予定されている。それに向けて夏休みの間に小学校6年生を対象に家族や家庭についての作文の課題が与えられました。その課題に対して担任の先生がどのように説明をされたのかはわかりませんが、与えられた課題で書いた作文を読ませていただくと、家族の紹介や毎日の生活のことが書かれていました。
 家族の紹介では単赴任の父親が時々帰ってきては遊んでくれる話や、離婚して母子家庭だとか、姑(注:おばあちゃんではない)が病を患って(注:病気になってではない)とか、家庭の中のことが誤字を含め、恐ろしく現実をつきつけた表現であらわされていたのが印象的でした。生活もそうですが、脚色をすることもないのが、今の作文なんですね。
 かわいげがないといえばかわいげがないのかもしれませんが、小学校の高学年ぐらいになると体裁を整えたよそ行きの姿も何となく覚えていたように記憶しているのですが。楽しいことがあまりに少ない世の中なのかしら。

 最後に担任の先生へですが
 誤字脱字のチェックおよび作文の書き方の指導ぐらいはしてほしいです。作文の中身をゆっくり読む間もないぐらい毎日に追われているのかしら。

きねこ

2008-08-19 | 言霊

出ました!義母語録。久々の登場です。

以前にもブログの方でお話ししたことがありますが、義母は生粋の広島県人。呉~安芸の人間。広島弁の上に更に土着の言葉も駆使します。大概は文章の前後から推測して大体のニュアンスがわかるのですが、時々、意味を聞かずにはいられないような言葉が出てきます。

昨日の夕方、シンクロナイズドスイミングを観戦していて飛び出した言葉です。
「フヘヘ(妙な笑い声は敢えて触れないこと)、何か きねこ が動いとるよ。」
シンクロした動きが斬新で、どのチームがうまいかどうかとかではなくとにかくよく揃っていることがツボにはまっているようです。

 きねこ とは…
木でできた人形がロボットのようにカクカクと動いている様子をいいます。

もちろんネットで検索しましたが、そんな言葉はどこにも見当たらず。また土着言葉だよ。

そんな義母、今日19日は87歳の誕生日。本人は完全に忘れているようですが、今晩は好物のスイカなぞ用意してお祝いをしようと考えています。ささやか過ぎですか?
でもケーキも食べないし衣服やアクセサリーももういっぱいあるからいいそうです。大正生まれの義母らしいでしょう。

倒木更新

2008-02-12 | 言霊

画像は北海道口コミポータルサイト BEST! from 北海道のものです

 樹高30~40m、径が1m以上の大木エゾマツは、丈夫な性質とその寿命の長さから大きな建築材や繊細な楽器材として北海道では一般に知られているそうだ。寿命は約600年。そんな長い時間を生きてきた大木にも終わりのその時がある。

 植物の繁殖は通常、地下茎で次第にその場所を拡大したり、タネを別の場所に飛ばして実生から発芽し増えていきます。さらにこのエゾマツのように特徴的な子孫の残し方をする種もあります。
 エゾマツは寿命を終えて倒れた木を親木としてまさにその場所から若木が並んで発芽し成長する 倒木更新 という形を展開する。倒れて朽ちてなお若い世代へと生命を直接つなげているのだ。

 自身には子どもがなく血縁関係において受け継ぐということは実際的には不可能であるが、まだ確固としたものが完成してはいないが、自身の考えや思いも繋げることができないのかと漠然と考えることがある。 
 ヒマだから余計な考えなくても良いことが頭に浮かんでくるかと思っていたのだが、実はそうでもないらしい。
 先日のマル民の前任者宅を訪問した折、その方の配偶者(女性)の方が同じようなことを言われていた。私は未だ漠然としているのだが、その方は
 「私が得たことはすべて知りたいと思う人には教えるのにね」と言われていた。
その方には私より少し年上の息子二人がいるが、血縁であることと考えに基づいて行っている多方面な活動を引き継いで貰う事とは別なのである。
 倒れてもなおその思いを伝えたいという切迫したものではなかったが、十分にその気持ちを感じ取ることのできる場に幸運にも居合わせることができたのだ。

 こんな世の中だから、人間の様々な思いを知りたいと思う反面、大切な部分に踏み込まれるのを避けるが故に必要以上に壁を作ってしまうことも多くあります。
「つなぎたい」という方の思いと「受け取ってみたい」という方の思いが見事に出会える場所をみつけることからして難しくなっています。
 倒木更新 に憧れたとしてもその場が整わなくては実現しない。樹木の 倒木更新 と同様に条件は次第に厳しくなってきているようだ。

 前任者の配偶者からのバトンを受け取るかどうかの選択はまだできないし、今の私の仕事は倒木更新の場をみつけ守っていくことだとおぼろげながら思っている。そうしていつかきっと随分先のことになると思うが、自身のことで 倒木更新 をしたいと思った時に自然にそういう人が現れてくれれば良いなとも思っています。こんな風にこれからやって来る出会いを考えるのも心楽しいと思えてしまうのです。

この記事は2月7日木曜日の「新・京都迷宮案内」を参考にさせていただきました。幸田文さんの「木」という作品の中の 倒木更新 の内容を確認したり、実際にエゾマツの 倒木更新 の様子を見るとができればと思っています。


*なお倒木更新についてはエゾマツだけでなくスギや他の樹木でもみられますが、人の手の極端に入らない自然が残っている場所でかつ、広葉樹、針葉樹などの樹木や植物が混生していることなど条件が整わなくては成立しないようです。しかしその中から引き継ぐのは親木の性質なんですね。

純粋にまったく同じ生命体を継ぐものではないというところも、私がとても気に入った部分です。

三周年ありがとう

2008-02-06 | 言霊
あっという間でした。
ブログを始めて今日で丸三年。四年目に突入しました。
きっかけは以前の記事で述べたと思うのですが、義父が亡くなり4か月ほど経過して、ぼんやりと何か新しいことを始めてみようかという気持ちが生まれたからでしょうか。

何かを契機に新しいことを始めようとしたことはこれまでもありましたが、ここ最近でもそういう出来事がありました。

一つは不惑の年齢に至ったこと。
(実は結構な年齢だったんですよ。やっさんの言われるところのオバちゃんですね。)
もちろん実際はまだまだ戸惑ってばかり。生活の面でも人生設計の面でも仕事の面でもまだまだ学ばなければならないことが多くあります。

二つ目はその仕事の部分。
本来の仕事とはまったく異なった新しい話が昨年突然やってきました。
一部の方やmixiの方ではその身上の変化を伝えていましたが、おいでいただいているブロガーの皆さんにもお話ししてみようという気持ちにやっとなった次第です。

2007年12月から3年の任期で民生委員・児童委員(反転させて見てください。そして長々しいので以降マル民と記述します)を委嘱されたのです。

自身ではマル民というものは、人生経験豊かな年輩の方で、社会福祉に理解のある誰もが認める方が務めるものだと考えていましたが、何の理由があったか未だに謎の部分が大いにあるのですが、自身も今の地域に10年以上も住み、それ以上に私以外の家族はお世話になっているので、ご恩返しのつもりで力になれるのならとお話しをお受けすることにしたのです。

何故、十分オバちゃんではありますが私のような若輩者にマル民の話が舞い込んできたかという一つの理由はまた別の記事で紹介いたしますが、とにかく想像していた以上にこの仕事大変です。毎日何かしらそのことに時間を取られたり、「えっ、こんな事まで!」と感じるようなヒモつきの仕事が多いこと多いこと。

居住地域付近に居る割合が格段に増えました。本来の仕事での出張などを意識して減らすことにもなりました。
しかし、何より今回のマル民の話を義母も主人も喜んでいたようですし、どこが悪いというわけではありませんが最近、義母の体調が一人にしておくことが心配なことも多くなりましたから、良い機会だったのかもしれません。

三周年にあたっての一つめの爆裂はこのような身上報告となりました。
マル民関連の記事は今後も少しずつ記事にして参りますので、ブロガーの皆さんの貴重な意見や感想をいただければ幸いに思います。何せ経験値が少ないものですから。

ブロガーの皆さん、これからもどうぞよろしくお願いいたします。  瑠葉

バージョンアップ

2007-12-07 | 言霊


日々「成功より成長」したい。
何だか押し詰まってくる時期になると、より焦ってそんなことを考えがちですね。

何処へもゆかないでいる日も
地球がまわる速度では
毎日まわって進んでいるというのだけど…
(世界はまわると言うけれど/GARNET CROW)

こんな時に焦らず揺るがずに
確実な一歩を踏み出せた時
バージョンアップしたということでしょうか。

後退することも多い。
でもまわっているのは確かですね。

北川景子ちゃんのCMを見て考えちゃう余裕はあるのだ。
(カネボウ COFFRET D’OR

やっと「80.0」を図書館で借りて手にしました。
さわりをよみましたが、深いな~。
これでもファンやってます。


歌謡コンサート2007

2007-10-26 | 言霊
 今年も頂いたチケットで恒例の歌謡コンサートに行ってまいりました。普通のコンサートでないところが特筆すべきところです。
 実は私、コンサートの初めから総立ちっていうコンサートにあまり行ったことがないんだよね。で、タイトルの「歌謡」でも想像できるかと思いますが、演歌歌手のコンサートでした。
 毎年、母と母の友人と私は参加しています。

 人によっては好きなジャンルと異なる音楽は聴かない方もいらっしゃいますが、私は音楽全般が好きなんで、演歌でもOKなんです。

 今年はラストでウルウルきちゃいました。あの一曲だけで行った価値があるってもんです。
 
 アーティストは 細川たかし&瀬川暎子 。

 ここのところジョイントコンサートが非常に多くなってございます。
 
 さてウルウルしたラストの楽曲がお分かりですか?
 え?「命くれない」ですって?
 ブブーっ。

 答えは「望郷じょんがら」でした。
 あの民謡で鍛えたもの悲しい高い声と津軽三味線、尺八の音と詩があいまって、NHKの紅白のトリをみたときもそうでしたが、やっぱり生の迫力は違います。震えてしまいましたね。

 と、しばし酔いしれていたのに
「夜の部の準備がありますから、はやく会場から出てください」という会場整理のお兄ちゃんの声で一気に興醒めとはなりましたが、熱い気持ちはしばらく続きました。

 帰り際に降り出した瀬戸内の軟弱な雨を津軽の雪のように感じながら、徒歩30分の道のりを帰ったのでありました。
 ハイ、雨女はやっぱり雨に降られてしまいました。

ZARD 坂井泉水さん 急逝

2007-05-28 | 言霊
ZARD、坂井坂井泉水さん、闘病中の病院で転落死(asahi.com)
一報を聞いて驚き、今でも信じられません。
1か月ほど前に自ブログの話題でもふれたばかりでしたのに。
私もですが、かなり主人の方がショックを受けています。現実ではないかのようです。気持ちの整理ができそうにもありませんが、ご冥福をお祈り致します。合掌。

On fait la la la la le. . .

2007-04-19 | 言霊
 先日の日曜日、園芸店に行く道すがら主人がふと漏らした。
 「ZARDの新曲が出ない…もう一年近くたってる…」
2006年5月10日発売のシングルハートに火をつけて以来、デビュー15周年のベストアルバムの発売はあったもののニューリリースの音沙汰がまるでない。もともとZARD自身がメディア向けに積極的に戦略をする姿勢で作品づくりをしているわけではないから、情報が乏しくてもそんなものかとも思うのだが、何だか今回は状況が異なるような気がする。

 ZARDの作品は、20~30代の若い女性の恋愛そのものや淡い気持ちを綴ったものが多いのだが、全盛期に20~30代だった男女も、時を経て30~40代になり、ZARD自身ももう40代のはずだ。アーティストは一般人のように所帯じみていないから若さを保ちやすいとは思うが、今の時代の恋愛と、自分が若い恋愛をしていた頃とはかなりズレが出てきているのではないでしょうか。


 ZARDの曲の他にも、気持ちを見ている事象や物事にのせて歌ったもので消えていったものも多い。
 自身の知っている歌詞をあげてみると

 二人でドアを閉めて 二人で名前消して…(また逢う日まで/尾崎紀世彦)
  マンション暮らしが増えたのと物騒な世の中になったために家のすぐ外に表札を出す家は少なくなっている。
 角のフルーツショップだけが灯りともす…(池上線/西島三重子)
  駅前近くにあったフルーツショップもめっきり減りました。
 トランジスタのボリュームあげて…(涙のリクエスト/チェッカーズ)
  トランジスタってどんなでしたっけ?
 懐かしいなあのドーナツ屋さん(愛が見えない/ZARD)
  ミスド以外にもたくさんあったのになぁ。
 夜中の3時am 枕元のPHSMovin’on without you/宇多田ヒカル)
  無いこともないけどほとんど携帯だよね。

 かなり歌に偏りがありますがザッと見てもこんな感じです。
 歌は世に連れ世は人に連れなんてコピーもありましたが、加速度的に時代は変わっているのだと感じます。毎日が、一ヶ月が、一年が早いこと早いこと。。。
 
 200年もたてば今生きてある人はさすがにいないでしょうから、全て懐かしのメロディーに変わってしまうのでしょうね。
 歌詞もなく歌い手も知らずただメロディーを口ずさむだけの
 まさにOn fait la la la la le. . .言い得ていますね。

 
 しかしZARDの今後は気になります。遊んで暮らせるぐらいあるものはあるでしょうから引退発表もなくそのまま辞めてしまう可能性もあるかもしれませんね。
 「ライブがあればどんな手を使ってでもチケットとる!」という主人の意気込みが無断ならないようにあって欲しいものです。

 それにしても、タイトルのléが出ないよっ!これぐらい何とかして欲しい…

 久しぶりに脈絡なく好き放題記事にしてみました。だからこっちのブログが必要なのよね。
 あっちのブログseeds squareも併せてよろしくお願いします。

 

悲報にふれて

2007-04-18 | 言霊
 昨日の長崎市長伊藤一長氏の悲報にふれて、夫婦で話したのは「人生の虚しさ」。言論の自由を奪うテロ行為は許せないことは勿論ですが、自身の感情としては遣りきれない悔しさ、そして虚しさ。
 他の生物のように、自身の生命維持活動のために他者を攻撃し、傷つけるだけではなく、自分の感情や思想を他者を傷つけてさえ通そうとする。実際に他者に危害を加えるまではいかないにしても、日常でもそんなことを感じることが多くなった。
 「人間は、今あるよりもより良く生きようとすることができる生き物ではないの?」
 いつも答えはみつからない。

 伊藤一長氏のご冥福をお祈り致します。