明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



押入の中の段ボール箱から掛け軸が覗いている_。晩年の父が、趣味の一つくらい、と習字をやっていた。ほとんど親類に持って行ってもらったはずだし、歌舞伎役者関連は、すでに安全な所に退避させたはずだが、と引っ張り出したら中野正剛。続いて竹筆で書かれた頭山満。さらに軸装されていない絹地に書かれた松井石根、内田良平の書。勿論〝ハチのムサシは死んだのさ〟ではなく、黒竜会の方であることはいうまでもない。慌てて埃をはたいて止まらなくなるクシャミ。 三島由紀夫は事件前、自らが226事件の青年将校の一人、磯辺浅一に乗り移られている、と考えていた節がある。三島制作当時入手したのが額装された皇道派の真崎甚三郎の手紙と荒木貞夫の書である。226事件の青年将校達は、この二人を担ぎ出すつもりで当てが外れる。利用しようと企んでいたのは真崎等の方で、特に事件後の真崎のすっと惚けようは酷いものであった。将校の方も早合点で詰めが甘過ぎた。 私がYouTubeで繰り返し観るのが、昔のNHK特集『交信ヲ傍受セヨ』である。立て籠もった決起将校と外部との電話の盗聴の記録である。 子供の頃映画館で観た『日本の一番長い日』で、天皇の玉音放送を阻止するため録音盤を奪うべく走り回る黒沢年男の狂気の演技が印象に残っているが、傍受の音声記録にはそんな人物は一人も出てこない。内容はともかく、まるで昼休みに会話しているかのような調子なのである。本当のこととはこういうものなのか。これでは映画にはなりにくい。私が番組の目玉だと思った北一輝の声は放送後に何者かの成り済ましであることが判明している。 本日のブログは片付けの辛さのあまり、逃避の時間稼ぎに書かれたことをお断りしておく。だったら最初にそれを書け、という話である。


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