明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

粘土  


アマゾンで安い所に粘土を注文したら、待たされた挙げ句に注文不可。ショップが潰れたのか。改めて注文した。これは想像だが、アル中患者が酒屋から酒が届いたのを眺める時、こんな気分ではないだろうか。二年前の引っ越しの片付けをしている時、粘土を注文してしまうと、片付け嫌さに、制作に逃げることは判っていたので我慢した。こんな時に作れば、必ず良い物が出来るのだが、と禁断症状に苛まれた。良い物が出来るのは間違いない。良い物が出来なければ、ただ罪悪感だけが残る。逆にいえば罪悪感を払拭する術を持っている、といえなくもないが、鎮痛剤で痛みが消えたところで虫歯は治らないのであった。 教えを請うため左腕を切り落とし覚悟を見せるを振り返る達磨だけでなく、真正面向いた達磨大師を作ろうと思ったが、見返り達磨は、衣を頭から被っていないが、正面の達磨は被せたい。撮影してからでないと首を入れ替えて作ることが出来ない。陶淵明乾燥へ。


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