坐禅一つしたことない、といいながら毎日制作と向き合って来たが、日々爪の先ほどの積み重ねである。外出すると、今家にいたら何か進展したかも、と考えてしまい、牽制球を恐れて塁から離れない走者のように、散歩嫌いで気分転換などしたくない。中国の深山風景も家から一歩も出ず手にのる石塊で制作。 達磨大師は面壁9年の修行の挙句に手足が腐り取れてしまった、というのは法衣に包まれ手足が描かれないことから日本独自の解釈らしい。 今年、無症状のまま冠動脈カテーテルの手術を2回していただいた先生には、あまりに動かないので症状が出なかったのだろうといわれた。それはかえって良かった、という話ではなく、たまたま見つかったから良いようなものの。先日の検診では問題はないが、長く制作続けるつもりなら、巌窟から少しは出るようにとのことである。
