明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



今日の段階で7人が亡くなったという。こういう人物は、自分で死ぬことができず、国に殺してもらおうと考えるのであろう。死刑制度が、練炭やトイレの洗剤代わりに利用されるというわけである。死刑制度があるかぎり、間違いなく、これからも起きることであろう。 音も光も無く、自殺が不可能な状態で死ぬまで。というのが適当である。

01/07~06/10の雑記
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コメント
 
 
 
通り魔殺人 (k本太郎)
2008-06-15 19:06:29
毎回、この手の事件が起こるたびに、進歩的な文化人と称する輩がコメントを発しているが、なぜ、こんな世の中になってしまったのであろう。
 昔から、悪いことをしたら罰が当って当然で、この事件もそうであるように、善悪の基準が第三者に向けられ、しかも自分が被害者であるかのような妄想を抱いて、その言質を擁護する輩が付和雷同することそのものが許せない。
 断じて許すまじ!
 
 
 
殺人の善悪 (生物でないものらしいもの)
2008-07-01 00:00:17
殺人が好きな人と貴方みたいな人が居る。
前者は、殺人がすばらしいと思っている。
貴方は、殺人が悪いと思っている。
でも、どのように良い悪いを決められるのか。
なぜならば、良いと思う人が居るから良いことになるし
悪いと思う人が居るから悪いことになる。
例えば、盗みも、貴方ならば悪いと思うでしょう。
しかし、レ・ミゼラブルの神父様は、銀の食器を盗まれても
良いと思われました。
貴方みたいな方が多ければ盗みは悪いという世の中に。
逆もまた叱り。
意見と意見の差によい悪いはない。貴方から見れば前者が悪。
前者から見れば貴方が悪。
つまり良い悪いとは言えない。
 
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