goo blog サービス終了のお知らせ 
明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



昨日書いた熱帯魚を飼うきっかけになった幼馴染みYとは中学生になり、飼育部に入った。池や職員室、玄関の水槽の水換えや掃除をするので学校としては重宝だったろう。その代わり、文化部としては最も予算をもらっていた。そこで自分達の小遣いでは買えない熱帯魚を次々と購入した。学校の通りを隔てた所に熱帯魚屋があり入りびたっていたが、そこのオヤジもなかなかのワルで、我々を焚き付けていた。次々と魚を買っているうちに、生徒会で問題になった。小学校の時に転校して来たIに部長を押し付け、だったらお前ら夏休みに池の掃除やってみろ、って言って来いよ、と生徒会に送り出したが、こういう場合、口では勝てないうるさい女子が必ずいるものである。追い詰められる飼育部。そこで私とYは、女子が1人もいない飼育部の人気獲得、また目をそらすために文化祭で熱帯魚の金魚丸飲みショーと、タイだかベトナムで賭けの対象になっているという、オス同士にすると死ぬまで闘う、闘魚といわれるベタのショーの二本立てを考えた。そしてエログロの新東宝の宣伝文句みたいな原稿を私が書き、昼休みに放送部員に読むよう頼んだ。 文化祭当日。教室は満杯である。以外だったのは、血を求めた女子が存外集まったことである。ところが金魚など丸飲みだと聞いていたアストロノータスオセレータスは、金魚と平和に泳ぎ周り、死ぬまで闘うはずのベタは何事も起こさなかった。紛糾する教室内。吊し上げを食い、東大の三島由紀夫と違って涙ぐむ飼育部部長。首謀者である私とYは部長を見捨て、こっそり教室の後ろから逃げた。その後の飼育部の顛末、また我々に裏切られた部長とのその後、どうなったのかまったく覚えていない。今度会ったらYにも確認してみたいが、おそらく彼も私同様、記憶から削除しているだろう。 そんなこといちいち覚えているかよ、と。しかし一方我々に見捨てられた部長は、どこで生きているかは知らないが、間違いなくあの日のことは覚えているだろう。そうしたものである。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 観賞魚飼育 ダイソン »
 
コメント(10/1 コメント投稿終了予定)
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。