明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



ディアギレフは、立体作品自体は一度も発表したことがない。発表もせずに改造ばかりで、いったい何年かけているんだ、と自分でも呆れる。しかしディアギレフを軸に、他の同時代の人たちを作るとなれば、ディアギレフの出来は重要である。 先日、ディアギレフとコクトーが二人並んだ写真を見た。デイアギレフの内心がたまたま写ってしまった写真もそうだが、写真の記録性というのは有難いもので、二人の年齢差、身長の差が一目瞭然である。コクトーの顔は、齢とともに深まっていく悲しげな表情が好きなのだが、ディアギレフと並べるには、髪も黒々として颯爽とした青年であるべきであろう。デイアギレフが座る幅60センチほどのソファーの隣りは、やはりまずはコクトーということになりそうである。そしてディアギレフの視線の先にはニジンスキーである。 動くニジンスキーの映像など残されていないのに、多くの人を惹きつけるのは、写真からただよう人に非ず的色気であろう。しかしそれにはグロテスクともいえる、異様に隆起した筋肉が貢献しているは間違いない。しかし以前にも書いたが、絵画や漫画、その他で表現されるニジンスキーは、まるであの筋肉が目に入らないかのように、いつのまにか美しく描かれている。かつての私もそうだが、それはニジンスキーに幻惑された結果だと見ている。残された肖像に、それだけの力があるからこそ、見たこともないのにファンと称する人々が未だにいるのだろう。そこまで判っていれば、私が次にニジンスキーでやるべきことは決まってくる。

01/07~06/10の雑記
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