明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



『幽』人形/ヒトガタ特集に私と人形ということで一文を書かせてもらっている。 人形が怖いか怖くないか、という意味からいえば、作る側の想い、作為欲望に満たされている分、作家作品は、たとえ恨めしそうな表情をしていても怖くない。その文の中で、幼い頃、親類の家のTVの上に置いてあった20センチほどのバレリーナの人形が怖かった話をほんの少しだけ触れた。透明な柔らかい樹脂製で、怖い怖いといいながら、親戚の女の子と田んぼの向こうに捨てにいった。顔自体も粗製な分気持ち悪かったと思うが、むしろ中の透明でウツロな部分が人さらいでも可能な容積を持っているようで怖かった。あれは量産品で、作る側の念も何も感じようがないところが怖さのポイントだったろう。漫画『巨人の星』で強打者に限って打てないスローボール大リーグボール3号は、体力を消耗させてようやく打てたわけだが、体力はともかく、作る側の作為、欲まで消すのは難しい。拝む側の念を受ける容積が必要な仏像を作る仏師なら可能なのであろうか。 作りながらも無心で、となると私は溶接でベランダから下がっている物干の製作と、焼き物工場に勤めた時だけである。それ以降は作りたい欲望まみれであり、私の作る人形は怖くない、ということにかけては作者の保証付きである。

石塚公昭HP

『タウン誌深川』“常連席にて日が暮れる”第6回



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