明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



村山槐多を知ったのは岐阜の製陶工場に勤務していたころである。休みの日に、同僚の運転する軽トラックで町に出て書店に立ち寄った時であった。周囲には二十代の人もいなかったが、工場長の話を帰宅後ノートに書き留めたり、将来陶芸作家になるべく、けっこうまじめに暮らしていたが、同時に酔っ払って田んぼに落ちたりもしていた。意外なことに、田舎には酔っ払ってフラフラしている人は皆無であった。 青春というと私は槐多が思い浮かぶ。七転八倒の姿は同世代であった私にはダイレクトに染みたものである。鮮烈な色彩で知られるが、当初、むしろ印象に残ったのは木炭デッサンであった。同じ大正時代の野島康三のブロムオイルオイルやガムプリントを知った時、私は同時代の洋画家、特に槐多のデッサンを思い浮かべたはずである。作風はともかく、濃厚という意味では共通している。私は及ばざるくらいなら過ぎたる方がマシというタイプなのでどうしても眼がいってしまう。そこでアトリエの槐多をオイルプリントにしてみた。 槐多は惚れっぽく、モデルの女性など、何人もの女性を追い掛け回した。中には少年もいた。想いがかなった、という話は少なくとも私は知らない。

オイルプリント制作法

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