明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



人形は人形から、写真は写真から学ぶべきではない、と思って来た。人形的、写真的世界内で生きるならともかく。昨日、手塚治虫が同じようなことを赤塚不二夫にいったと『テルマエ・ロマエ』のヤマザキマリがいっていた。 蘭渓道隆師は外の世界や他人のことに気を取られるな、といったが、私の場合は興味がなさ過ぎ、母は将来を憂い手を尽くしたが、治らないならせめてバレないようにせよ、と私がチックになるほどうるさかった。しかし生まれついての物は隠せない。結局外の世界に、レンズを向けるに値する物がなく、眉間に当てている。 某野球選手が言うように、他人に憧れ、人のことを気にしてキョロキョロしているヒマがあったら、自分の中に在る物を探究すべきだろう。禅宗的モチーフに至ったのは偶然の気がしない。

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一日  


坐禅すらしたことがない私が、本来なら手掛けてはならないようなモチーフだと思うのだが〝人間は頭に浮かんだ物を作るように出来ている“長年にわたり引用し過ぎて、本当にそういっていたのか?という気がしなくもないが、たしか養老孟司がいっていた。初めて目にした時、人間がそういう仕組みになっているのなら、仕組みのせいであって私に責任はない。と、何かというと引用している。とはいうものの。 82年、架空のブルース、ジャズマンによる初個展の時、10代の女の子が私が作ったピアノの鍵盤を数えているのを見て、トラウマになった。確かにそれぞれの渡世、いや世界には守るべきルール、決まりごとがある。特に最近は、坐禅の時の手の上下が違っていて慌てて作り直したり、ああだこうだやっている。そのおかげといって良いのかは判らないが、龍を空に飛ばすことも可能である。

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大体開山の頂相、彫刻は、曲録(椅子)に座って描かれる。なので建長寺の蘭渓道隆も、円覚寺の無学祖元もあえて坐禅姿にした。臨済宗の坐禅は壁を背にする。しかし完成も近い頃、待てよ?七百年前はどうだったのか。関係者に伺うと、開祖達磨大師同様、面壁だったという。話は違って来てしまった。 何しろ表情をいかに見せるかであって、私には、風景もそれを引き立たせるための物である。写真作品としてどうすれば良いのか。中国の深山風景は、何とか構図を工夫し、風景に背を向け、巌窟の奥を向いてもらう予定である。そして壁に目があったとしたなら、と面壁座禅の蘭渓道隆を真正面から描くにはこれしかない。数ある達磨大師図も、案外外を眺めていたりして、律儀に面壁している達磨はすぐに思い付かない。私と同じ策を取った面壁坐禅図を探してみたい。

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無学祖元の袖口から顔を出す龍龍の指は、上半身しか必要ないのに、針金の下半身を切り離さないまま。どうやらヘソ下三寸に居るもう一人の私が、出番があること予見していたのか、結局、洞窟内で面壁坐禅する蘭渓道隆のはるか背後の上空に飛ぶことになりそうである。法の雨を降らすといわれる龍は、そのために寺の天井画として描かれる。後に日本に渡り禅を広めようという蘭渓道隆に龍は良さそうである。来日前であるし、建長寺の天井画の龍は中国式に5本指なので5本指にしよう。一方円覚寺開山、無学祖元の龍も、来日前の宗時代の話しではあるが、鶴岡八幡宮の遣いという設定であるし円覚寺の天井画は日本式に3本なので3本指にしよう。

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次回の展示は新作の作品数を抑え、それに集中することに決めていた。蘭渓道隆は、実在した人物制作で、今まで得た物を全て投入する必要があった。 『建長寺物語』(高山正俊著)を読んでいて建長寺の開山、蘭渓道隆の本日のタイトルの言葉が目に留まる。噛み砕くと〝外の世界や他人のことに気を取られるな、自分を照らす光は自分自身の中にあるのだから”だそうである。その禅師を〝外の世界にレンズを向けず、眉間に当てる念写が理想”である私が制作している。 〝人間も草木同様自然物、肝心なものはあらかじめ備わっているはず”とずっと考えて来た私が、仏は己の内に在る、という禅宗をモチーフにするに至ったのは偶然ではないような気がするが、禅師の制作も果たして偶然なのだろうか?

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一日  


蘭渓道隆師、予定の3作品の構図決まる。 16年、深川江戸資料館における、その時点で展示できる作品を集めた中締めとなった展覧『深川の人形作家 石塚公昭の世界』がようやく終わり、しばらく何もしたくない。かといって10代以来同居を始めた母のせいで辞めていたタバコを吸ってしまう始末で、家にいたくない。近所の図書館に通った。その時、なんとなく浮世絵や古い日本画の画集ばかり眺めた。この自由さを写真作品に取り入れられないか?それが始まりだったが、その後始めた手法が、私を導き、江戸川乱歩いうところの〝現世は夢 夜の夢こそまこと”を可能にしてくれた。私は普段ボーッとしてはいるけれど、上から降って来た物を取り落としたことは一度もない。


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知り合いの編集者に東北大で地質学を学んだというのがいるので、座禅窟の制作に関して質問をしてみた。仮にそんなことはあり得ない、といわられたところで、イメージ優先。ハイそうですか、とはならないが、知っておいて悪いことはない。確かにその上空に龍を飛ばそうという人間が地質学でもないだろうが、上手な嘘をつくには、本当のことを忍ばせるのがコツであり、この虚実のバランスが大事である。〝及ばざるくらいなら過ぎたる方がマシ“な私はまた〝感心されるくらいなら呆れられたい“私でもあり、モチーフとする人物がすでにこの世にいなかろうと、その人物がいなければ作れなかったことを思うと、人物への敬意を最重要とすべきだろう。

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被写体が完成していれば、構図は決まっているので、三脚立てて陰影が出ないよう撮影する。あとは色の調整、形の調整だけで、切り抜いて配するだけである。ピントはオートフォーカス、絞りを絞れば、どうせ切り抜くので、ファインダーの中で傾いていようと何か写り込んでいようと問題ない。いい加減なようだが、もっとも肝心な被写体を自ら作った挙句のことであるから、どうということはない。修行者にとって師の頂相は教えそのものとされる。場合によって鼻毛、耳毛まで描写される頂相を、穴の一つも開けよと見つめていると、私にも伝わって来るものがある。 夏目漱石の求めに応じ、写真師がカギ鼻やアバタを修正するような物とは全く違う次元の物である。そんな漱石像も、紙幣ぐらいなら使えるだろうけれど。

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『慧可断臂図』で壁に向かって坐禅する達磨大師の表情を見せるため、雪舟は真横を向かせ、私は振り向かせた。達磨図は星の数ほど描かれて来たが、表情が隠れるためか、律儀に面壁し、背をこちらに向ける図は見ない。面壁せずに巌窟の外を見ているのがほとんどである。2作目の達磨図は私もそうするつもりである。 しかし初めて本格的禅を日本にもたらせた蘭渓道隆師の坐禅図は、以前から考えないではなかった一手を。面壁する壁に耳ならぬ目があったなら、という試みである。面壁する人物をド真正面に扱うにはこれしかない。陰影がない世界は、巌窟の奥でも光量不足とは無縁でもある。 禅師の背後に巌窟の入り口。その向こうに広がる山々。その上空の雲の中に龍。こちらから見ると禅師の頭上に龍のように見える。実にくどいが、当該モチーフにはくどい先達に溢れている。これも陰影がないからこそであろう。タイトルにはあえて〝面壁“と入れたい。

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其の1 蘭渓道隆師の真正面図は、斜め45度の肖像を真正面を向いていただくだけで充分であり、シンプルに無背景のつもりでいたが〝及ばざるくらいなら過ぎたる方がマシ“な私は、巌窟内。面壁坐禅の壁奥にカメラがある設定。カメラと向かい合う坐禅する禅師。肩越しに遠く深山風景。その上空には、仏法を守護する龍がうねる。巌窟の開口部分がまるで禅師の光背のように見える。 其の2 来日前、無学祖元師が寺で坐禅をしていると龍と鳩を伴った神のようなものが「我が国に教えを伝えよ」と何度も現れたという。その後、円覚寺の開山として招かれ来日し、鶴岡八幡の鳩を見て、あれは八幡の神の使いだったのだ、と悟る。禅師の背後に、うっすらと件の神が現れるのはどうか?しかしその神がどんな姿をしたどんな神なのかが判らない。すると胸の内から「思い付くのは勝手だが、大概にせい。」これは私に憑いてる神の声らしい。

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おそらくメインになる予定の『蘭渓道隆坐禅図』は面壁坐禅、つまり巌窟の奥の壁に向かって坐禅していながら、顔を見せるところが工夫を要する。最初に考えた建長寺に残る座禅窟は、そのために背景にするのは断念した。今は壁を背にする臨済宗も、その昔は禅宗の開祖達磨大師と同じく面壁坐禅であった。その達磨大師は『慧可断臂図』で面壁しながら振り向かせたし、坐禅の状態ではないので『月下達磨図』は面壁ではなく、ただ岩窟の外を眺めていることにしたい。 構図を考えてみたが、蘭渓道隆師は、真ん中に滝を流すつもりでいるが、考えたやり方で、思ったような滝になることが前提である。手のひらに乗る石ころで中国の深山を作る前もこの調子であったから、まずはやってみないと判らない。

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スケッチをすると最初の悪戯描きが越えられず、捨ててしまった紙片をゴミ箱を漁って、なんてことがあり、スケッチはしない、しかし『蘭渓道隆坐禅図』と『月下達磨図』は要素が多いので、スケッチしてみたが、風景もこれから作るので、さすがにあっち行ったりこっち行ったりしている。最初から決まっているのは主役の向きと、達磨大師の満月に寺院の多層塔がシルエットになっていることだけである。 水墨画的な構図から、曽我蕭白の広角レンズ調ではないが、より写真的構図を試してみるのも良いかもしれない。とはいっても陰影はないし、私の頭の中のまことだけで、外側の世界のまことは一つも登場しないので、実写と間違えられるという不首尾だけは犯す心配はない。そのためとはいえ、とんだ山深い遠方まで来てしまった。

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ノートに描いた『蘭渓道隆坐禅図』は、水墨画的である。これがカラーであり、人形であり、写真である、とすれば面白いかもしれないが、作品として良くても違う気がして来た。 ジャズ、ブルースシリーズの頃、ミュージシャンだから楽器を待たせたけれど、私が作りたかったのはあくまで人物である。なので個展2回目にして、楽器を作らずケースに入れたままという策を講じた。 昨日書いたが、拡大された連中の目を見て〝私自身が作った覚えのないものが目の奥に宿っているように感じ、これは拡大して初めて見える私の無意識のように感じられ“ あれはどちらかというと、フランケンシュタイン博士が死体を繋ぎ合わせて作った怪物が雷の力で動き出した時「It's alive!」といった感じに近いのではないか?そこで広角レンズ的に背景を出来るだけ押し込み、主役の蘭渓道隆師をより大きくしてみた。


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無学祖元師の袖口から顔を出す龍は、展示用とは別に撮影用に大きめの龍を作ったが、拡大することを考え、一枚鱗を作り、それを撮影して、一枚づつ画像として貼り付けることにした。場合によっては実物大のセンザンコウぐらいになる可能性もある。私自身は細部に神が宿るなどと思ったことは一度もない。肝心なのはあくまで主役の表情である。初めて拡大した時、私自身が作った覚えのないものが目の奥に宿っているように感じ、これは拡大して初めて見える私の無意識のように感じられ、機会があれば拡大したいと思って来た。 『蘭渓道隆坐禅図』のスケッチを見ていて、水墨画のイメージであるのでどうしても構図が長焦点的である。高所から下を覗くようないくらが広角的にしたらどうか?曾我蕭白に、獅子が子を崖から、というモチーフの『石橋図』がある。広角レンズで覗いたとしか思えない不思議な一作である。まったく謎の人物である。




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蘭渓道隆坐禅図は、めったにしないノートにスケッチしている。昨日、これを一番長大なプリントにしようと思ったが、ロール紙なら、長辺はいくらでも長く出来るが短辺はロール紙の幅となる。となると縦長の構図にする必要がある。ノート縦半分の縦長に構図を変えた。ついでに似たモチーフである『月下達磨図』も背景を変えた。満月に寺院の多層塔がシルエットに、これはそのまま。それが不自然にならないためには満月の高さが肝心である。私が自然だ不自然だ、とはどの口がいう、という話しではある。 月岡芳年が『月百姿 破窓月』で月下の達磨大師をそうしたなら、私はこうする、と。どうもこのモチーフに関して芳年が気になる。原因は、良く中国人と間違われる達磨大師は、インド人なので、よりインド人風に、としたのに、芳年は達磨大師ペルシャ人の血混入説を取ったか、ペルシャ人のような達磨大師にしている。〝クソ〜、やりやがったな“ついお里が出てしまう私であった。

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