付近には、灯台が見えるだけで、脱衣所もなければ、トイレもない。。。施設らしいものは何もないのですよう。もちろん、おみやげ物屋とか、売店など一つもありませんよう。
“ケイトーも裸になってぇ~。。。これがニューヨークの露天風呂なのよォ~。。。うふふふふ。。。”
驚きましたねぇ~。。。アンナさんは僕の目の前で、すっかり裸になってニコニコしているのですよう。。。僕はギョッとなって、もう呆気(あっけ)にとられて、しばらく言葉も出ませんでしたよう!ただポケーとしてアンナさんの見事なヌードに目が貼り付いてしまったのですよう。
。。。んで?
これって。。。これって。。。マジなの。。。? これって。。。現実。。。?夢じゃないのォ~。。。? 僕のオツムは、すっかり混乱していましたよう!でも、間違いなく現実だよねぇ~。。。ビックリ仰天してドキドキしていた気持ちを押さえ込みながら、僕はルーブル美術館でミロのミーナスを見るように、アンナさんのヌードをじっくりと眺めたのですよう。すっげぇ~~ 僕は30分ぐらい。。。時間の経つのも忘れて。。。時間が止まってしまったのか?!。。。衝撃と感動のあまり、僕自身がお地蔵さんになったように体が固まったままでした。目だけをギロギロさせながらアンナさんのヌードに釘付けになってしまったのですよう。もちろん、それ程長い間ではありませんでした。呆気(あっけ)にとられて馬鹿のように見とれている僕の目の前でアンナさんがじっとしていた訳ではなかったのですよう。気づいたらアンナさんは波打ち際で7つの女の子のように、水と戯(たわむ)れて、はしゃいでいましたよう。
。。。んで?
とにかく仰天しましたね。我に返っても僕は、まだドキドキして喉がカラッカラになってヒリヒリするほどでしたよう。
ちょっと、オーバーではござ~♪~ませんか?
とにかく、まさか?と思っていた事が。。。現実には、あり得ないと思う事が現実に起こってしまったのですからね。
デンマンさんにとっては、それ程の衝撃だったのですか?
そうですよう。菊ちゃんのエピソードを思い出してくださいよう。
菊ちゃんの愛の世界
僕は自分の部屋でこっそりと輸入品の“Playboy”を眺めていたんですよ。
デンマンさんがいくつの頃のお話なんですの?
中学1年か2年生の頃ですよ。僕の知り合いが引っ越すので欲しければやるけど持って行くか?と言ったので、もうワクワクしながら、10冊ほど持ち帰ってきたんですよ。当時は検閲があって“毛”は見せてはならなかった。だから、黒いインクであの部分が丸く塗りつぶされていたんですよ。僕はどうにかして、あのインクを取り除くことができないものかと、いろいろなもので試してみましたよ。
デンマンさんは研究熱心なんですのねェ~。
レンゲさん、半分呆れていますねェ~~?へへへ。。。とにかく、性に目覚めた頃で、好奇心が旺盛でしたからね。いろいろなもので試したけれど、どうにもインクを取り除くことが出来ないんですよ。僕は、どうしたらいいものか?。。。そう思いながら気に入ったページの(黒いインク以外に)一糸もまとわぬ女性の写真を眺めていたんですよ。
それで。。。
無我夢中だったんでしょうね。菊ちゃんが僕の部屋に入って来たことも僕は分からなかった。お袋だと思って、一瞬、びっくりして僕は肝をつぶしましたよ。お袋は買い物に出かけた、と言うんですよ。菊ちゃんは余りハッキリと言葉が話せないんですよね。僕の名前もハッキリとは言えない。アキラではなく“アキィ~ヤ”と言うんですよ。
その菊ちゃんの表情はどうなんですの?知能が遅れていることが分かりますの?
いや、普通の人と変わらないですよ。だから、いやなセールスマンが来たりすると、お袋は菊ちゃんだけを残して隠れてしまう事がありましたよ。初めての人は菊ちゃんを見ても知能が遅れているとは思わないから、まともな大人に向かうような話し方をしますよ。菊ちゃんもそのような話し方をされると、うれしいんですよね。それで、天気の事から始まって、世間話をし始めるのだけれど、とにかく、僕の名前がまともに言えないほどだから、10分もすると、この人は知能が遅れているというのが分かるんですよね。そう言う時のセールスマンの表情の変わり方を見る事はいつ見ても飽きないものでしたよ。へへへ。。。。
デンマンさんは、いやな趣味をお持ちですのね?
セールスマンの知能が分かって面白いですよ。中には、菊ちゃんの知能が遅れているのが分からない奴が居て、早々に品物の説明をする愚か者が居るんですよ。菊ちゃんは何を言われているのか分からないけれど、一生懸命相槌を打つ。セールスマンも売りたくって仕方ないから、一生懸命に説明する。。。この様子を眺めているのは、どんな漫才を聞くよりも面白かったですよ。。。へへへ。。。
分かりましたわ。それで、菊ちゃんとどのようなことが。。。?
そうですよね。へへへ。。。その話をしようとしたんですよね。僕は、ハッと思って菊ちゃんをじっくりと見ましたよ。インクを取り除かなくても、そこに実物の健康で成人した見ごたえのある女性の体を持った菊ちゃんが居るではないか!。。。“灯台下(もと)暗し!” そう思ったわけなんですよ。
それはデンマンさん、いけない事ですわ。
僕だって、いけない事だとは分かっていましたよ。でも、好奇心がムラムラと湧き上がってきてしまった。それで、“Playboy”のページを菊ちゃんに示して、いろいろと説明したんですよ。“どう、菊ちゃん、きれいな女の人が写っているでしょう。菊ちゃんだって、このようにきれいなんだよ。だから、菊ちゃんも裸になって見せてくれない?” 菊ちゃんは僕になついていて、僕の言う事なら、たいていの事は、“あい、。。。あい、。。。”と言って、聞いてくれるんですよ。むしろ、喜んで僕の言う事に従うんですよ。
それで、菊ちゃんは裸になったんですの?
ところが、この時ばかりは、僕が何と説得しても首を縦には振りませんでしたよ。あとで考えてみれば、お母さんからしっかりとした“家庭教育”を受けていたんでしょうね。菊ちゃんのお母さんはしっかりした人でしたから。。。菊ちゃんを特殊学校にはやらなかったけれど、必要最低限の教育はしていたようです。つまり、自分の体の中で見せてはならないモノは見せてはダメ。触れさせてはいけない所は触れさせてはいけない。そういう女として守らなければならない事はしっかりと教えていたんですよね。あとで僕は反省したんだけれど、しみじみとそう思いましたよ。
それで、デンマンさんはどうなさったんですの?
僕だって、そう思い立ったらぜひとも菊ちゃんの“桜の花”を見てみたい。もう何が何でも見てみたくなったわけですよ。
それで、。。。?
僕は精一杯説得したんですよ。僕が余りにも一生懸命になっているので、菊ちゃんも本当に困ってしまったようでしたよ。“ね、。。ねっ。。。菊ちゃん、いいよね?だから、脱ごうねェ。” 僕は本当に一生懸命になって説得している。お願いしているわけですよ。菊ちゃんにだって、僕の熱意が通じている。それで、菊ちゃんは、すっかり困ってしまっている。しかし、埒(らち)があかないんですよ。
それで、どうなさったんですか?
菊ちゃんは一向に脱ごうとしない。僕は、イライラしてきて菊ちゃんのスカートのすそをたくし上げたんです。そして見たのがこの写真のような“おばさんパンティー”だったんですよ。でも、まさにこのようにフィットした見ごたえのあるもので、思わず僕は生唾をごくりと飲み込みました。心臓が口元まで飛び上がってきたような息苦しさを感じて、目がくらくらしてきましたよ。でも、菊ちゃんだって、大変な思いをしていたんですよね。“もう、それ以上は止めてくれ、。。。あたしは死んでしまう。。。。” そういう感じで、オロオロしているんですよ。泣き顔になって、しゃくりあげているんですよね。体を震わせて、声を殺して泣いているんですよ。僕はバケツの水を頭から浴びせられたようにハッとなりました。やはり、良心があったんですよね。してはいけないことを無理やり菊ちゃんにやっていた。“悪かったよな。。。” 僕は謝りましたよ。
それでどうなったんですの?
僕だって、菊ちゃんと一線を越えようなんて思っても居なかった。ただ、菊ちゃんの“桜の花”を見たくなった。しかし、菊ちゃんが“家庭教育”を受けていた事までは僕は知らない。7歳の「女性」だから、僕になついている菊ちゃんに頼めば見せてくれると思った。中学生の浅はかな頭だったんですよね。“女の操”を初めて感じさせられましたよ。
菊ちゃんは、その後どうしたんですの?
僕は、菊ちゃんという人を改めて見直しましたよ。しかも、そのあとで、僕の部屋にお盆の上にお茶とおやつの“八橋(やつはし)”を載せて入って来たんですよ。時々、お袋に言われて、僕の部屋にそうやっておやつを持ってきてくれたんです。でも、その日は買い物に行ってお袋は居ませんでしたからね。菊ちゃんが自発的におやつを用意してくれたんですよ。僕は本当に菊ちゃんにすまない事をしてしまったと思ったのだけれど、菊ちゃんが根に持たないで、そうやっておやつを用意してくれたことに感激しましたね。“菊ちゃん、一緒に食べようね” “あい” そう言って、菊ちゃんとお茶を飲みながら八ツ橋を食べた思い出がありますよ。
『愛は希薄になっていませんわ。
セックスで埋め合わせてもいませんわ』より
(2006年3月6日)
菊ちゃんとアンナさんのこのドラマチックな違いは、一体どういうことなのだろうか?アンナさんが水際(みずぎわ)で無邪気な童女のように一糸まとわぬ天使のような姿ではしゃいでいるのを見ながら、僕は中学生の時にドキドキ胸を躍らせつつ見たプレーボーイの悩殺的な白人女性の肢体を思い出していましたよう。
文化の違いでござ~♪~ますわ。
う~~ん。。。京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義している卑弥子さんの口から、その言葉を聞くと、さすがに説得力がありますよね。うん、うん、うん。。。でもねぇ、日本にだって明治維新の文明開化を迎えるまでは、裸になることに対して男も女も、もっとおおらかに考えるような文化が根付いていたのですよう。
どのようにでござ~♪~ますか?
ちょっと次の囲みを読んでください。
日本の混浴の習慣
混浴とは、不特定多数の人が男女の隔たりなく同じ湯船に入浴すること。
ただし、家族風呂などを貸し切り、特定多数の入浴も混浴と呼ばれることもある。
男女がカップルで2人きりで入浴することは普通は混浴とは呼ばない。
古くは、大きな湯船の共同浴場は一般的でなく、大きな湯船といえば天然の温泉が溜まってできた野湯であった。
そのため、男湯・女湯という概念はなく、混浴は、自然発生的にできたものである。
なお、同じ温泉でも、西洋は水着を着て運動温熱療法的な使われ方をしたのに対して、日本では裸で肩まで浸って静養するという文化の違いが生まれた。ただし、日本においても下帯(褌)や湯浴み着を着用したうえでの入浴という習慣も存在しており、裸の入浴は江戸時代以降という説もある。
時代が下ると、温泉地では、泉源から湯船まで温泉を引いた今で言う共同浴場もできてきたが、まだ、男湯と女湯の区別もなかった。
江戸時代に入ると、大都市で銭湯が大衆化した。
銭湯に垢すりや髪すきのサービスを湯女(ゆな)にやらせる湯女風呂などが増加した。
松平定信が、1791年、江戸の銭湯での男女混浴を禁止する男女混浴禁止令を出すなど、風紀の取り締まりの対象にもなった。
これは混浴そのものよりも、湯屋における売買春などを取り締まるものであったと言われる。
当時の湯屋は二階に待合所のような場所があって将棋盤などが置いてあり社交場となっていただけでなく、湯女などによる売春や賭博などの格好の場となっていたためである。
明治時代に入ると、男女混浴は風紀を乱す元、前時代的と見られる元として原則禁止となる。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
このように明治維新までは、混浴は自然に行われていたのですよう。つまり男女共に裸を見せる事に対して、多少の羞恥心は若い娘にはあっただろうけれど、中年にもなれば男女共に罪悪感とか罪の意識は無かった。文明開化になって、混浴や上半身裸で通りに出ることが禁止されたのはキリスト教的な考え方が日本に持ち込まれたからですよう。だから、現在でも、アメリカやカナダの温泉は水着を着用して入ることが義務付けられていますよ。
でも、ニューヨークにヌード・ビーチがあるではござ~♪~ませんか?
だから、それは特別なのですよう。一般的にキリスト教社会では男女混浴は風紀を乱す元と言う考え方が強いのですよう。
それなのに、どうしてキリスト教社会のアメリカの、しかもニューヨーク市と言う大都会の近くにヌード・ビーチがあるのでござ~♪~ますか?
それは、キリスト教徒とは全く考え方が違う人たちが居ると言うことなのですよう。
つまり、混浴とか裸になることに対してアンナさんはキリスト教徒とは違った考え方を持っているのでござ~♪~ますか?
違うのです。
どのようにでござ~♪~ますか?
僕とアンナさんの会話を読んでみてくださいよう。
アンナさんとの水色の恋
ケイトーはわたしの名前をどう綴るか知ってる?
Anna じゃないの?
違うのよう。Hannahって綴るのよ。
ハンナと読むのが本当なんだ。。。?
でも、わたしは小さい頃からアンナと呼ばれてきたのよ。だから、ハンナよりもアンナの方が好きなのよう。ヘブライ語では「神は慈悲深い」とか「上品な」と言う意味なの。英語ではgrace とか graciousに当たるわ。
格調高い名前なんだぁ~。
わたしもそう思いたいわ。
それで、その名前とヌード・ビーチに行くことが関係あるわけ。。。?
あるのよう。ケイトーは“The Three Graces”って聞いたことがある?
ない。。。それって、何さ?
ちょっと読んでみてよ。