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キモい戦争(PART 1 OF 4)

2011-09-18 12:56:37 | 病める日本・高齢化社会
 
キモい戦争(PART 1 OF 4)
 
 


 
 

戦争の本質



日本にいてもヨーロッパにいても、マスメディアも学界もふくめたいわゆる有識者たちの発言を聴いたり読んだりしていていだくのは、この人たちはそれをする前に胸に手をあてて考えたことはあるのだろうか、という想いである。

なぜなら私には、この人たちは鸚鵡(おうむ)でもあるかのように、耳から入ってきた言葉をそのまま口にしているように思えてならないからで、その一つは戦争だ。 正義の戦争か不正義の戦争か、正しい理由があっての戦争かそうでないかをめぐって、長文の記事が書かれたり長時間の討論番組が組まれたりしている。 がだ、これらが時間とカネの無駄使いであるのは、偽善にすぎないからである。

戦争とは、良い悪いの区別がないだけでなく、防衛のための戦争か侵略のための戦争かの区別さえむずしい。 いや、戦争は、ほとんどとしてよいくらいに侵略戦争である。

(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)
 



53ページ
『日本人へ (国家と歴史篇)』
著者: 塩野七生
2010(平成22)年6月20日 第1刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋




ケイトーは、また塩野七生さんの文章を引用して彼女を非難するの?



いや。。。僕は塩野さんを非難しているのではないのですよ。

そう言いながら、どうせまたケイトーの座右の銘を持ち出すのでしょう!?



 
 
批判のないところに進歩なし。
 
 
愛なき批判は空虚にして
 
 
批判なき愛は盲目なり。





シルヴィーも分かっているのならば同じ事を繰り返さないでくださいよ。



。。。で、何を批判しようとするの?

あのねぇ~、塩野さんは「この人たちは鸚鵡(おうむ)でもあるかのように、耳から入ってきた言葉をそのまま口にしているように思えてならない」と書いているけれど、僕は同じ事を塩野さんに言いたいのですよ。

つまり、塩野さんも鸚鵡(おうむ)でもあるかのように、耳から入ってきた言葉をそのまま口にしている、とケイトーは言うの?

そうですよ。 戦争は、ほとんどとしてよいくらいに侵略戦争であるというのは僕にとっては自明の理なのですよ。 この事実は、なにも塩野さんが初めて言ったわけではない。 僕は何度も読んだり聞いたりしている。

要するにケイトーの周りには戦争絶対反対という人がたくさん居るのよ。

そうですよ。 考えてみたらシルヴィーもその一人だよね。 (微笑)

確かにそうだわ。 私は難民として家族でインドネシアからオランダに逃げたから、内乱や、動乱、戦争には、とにかく懲り懲りしているのよ。 だから、集団暴力は何がなんでも絶対に反対だわよ。。。で、塩野さんが鸚鵡(おうむ)のように当たり前の事を書いたから、ケイトーはムカついているの?

いや。。。僕はムカついてませんよ。

だから、何を批判しようと言うの?

塩野さんは次のように書いていた。


8月15日に考えたこと



中世の十字軍時代の資料を読んでいて感じたことなのだが、当時の西洋のキリスト教徒にとっての十字軍は、イエス・キリストのために行う聖戦だった。 ところが攻めてこられた側のイスラム教徒たちは、宗教戦争とは見ずに侵略戦争と受けとったのである。 宗教心から起こった戦争ではなく、領土欲に駆られての侵略というわけだ。

そのアラブ側の資料を読みながら、私は思わず、ならばその前の時代の北アフリカやスペインへのイスラム勢の侵攻は何なのよ、と言ってしまった。 その時代のイスラム教徒は、右手に剣左手にコーランという感じで、地中海の南に限らず西側までもイスラム下に加えていたのだ。

 (中略)

第二次大戦での日本も、防衛で始まり侵略に移った後でも勝ち続けて大東亜共栄圏を樹立し、しかもそれで百年つづいていたとしたら、侵略戦争と言われることもなかったろう。 だが、その前に負けたのだ。 七百年も昔にキリスト教側の敗退でケリがついているはずの十字軍でさえも、今なおイスラム側では侵略戦争としているくらいなのだ。...ゆえに私には、日本がしたのは侵略戦争であったとか、いやあれは侵略戦争ではなかったとかいう論争は不毛と思う。 はっきりしているのは日本が敗れたという一事で、負けたから侵略戦争になってしまったのだった。

となれば、毎年めぐってくる8月15日に考えることも、方向がはっきり見えてくるのではないか。 第二次大戦の反省なんてものは脇に押しやり、戦時中と戦後の日本と日本人を振り返って示す。
戦争を知らない世代に知らせるためである。 だがその後は、過去ではなく現在と未来に話を進める。 そこで論じられるのはただ一つ。 どうやれば日本は、二度と負け戦をしないで済むか、である。

(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)
 



218 - 220ページ
『日本人へ (国家と歴史篇)』
著者: 塩野七生
2010(平成22)年6月20日 第1刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋

『奈良の鹿と憲法9条』に掲載




またこの文章を引用したのね!?



いけませんか?

。。。で、何が問題なのよ?

あのねぇ~、「第二次大戦の反省なんてものは脇に押しやり」なんて言って欲しくないんだよ。

つまり、塩野さんには第二次大戦の反省が足りないと言いたいのね?

その通りですよ。 第二次大戦が始まる前だって、もう戦争など懲り懲りだと言った人はたくさん居るのですよ。




たったひとつお願いごとをしたい。 今年は豊年でございましょうか、凶作でございましょうか。 いいえ、どちらでもよろしゅうございます。 洪水があっても、大地震があっても、暴風雨があっても、……コレラとペストがいっしょにはやっても、よろしゅうございます。 どうか戦争だけはございませんように……

(注: 赤字はデンマンが強調。
写真はデンマン・ライブラリーより)




太平洋戦争が始まる前、1937(昭和12)年の年頭の新聞に野上さんは上のように書いていたのですよ。 でもねぇ~、40年も歴史を書いているのに、塩野さんはそう思っていない。 そればかりか「どうやれば日本は、二度と負け戦をしないで済むか」ただその事を考えればよい、というような事を書いている。



その事でケイトーはムカついているの?

あのねぇ~、僕はムカついてないと言っているでしょう!

でも、かなり感情的になっているわよ。

それはシルヴィーがそう感じているだけですよ。 ムカついても何にもならない。 エネルギーの無駄使いだから、僕はそのような無駄な事はしませんよ。

。。。で、塩野さんにどうしろとケイトーは言いたいの?

あのねぇ、僕は塩野さんにああしろ、こうしろと言いたいわけじゃない。 どのように言おうと書こうと考えようと塩野さんの自由ですからね。 それに、僕が何と言おうが考えを改めるような作家じゃないのですよ。

それなのにどうして塩野さんの文章を取り上げたの?

だから、この記事を読んでいる人にじっくりと考えてもらいたいからですよ。 塩野さんは、もうかなりの年だから、オツムが硬くなってしまって考え方を今更変えられそうにないですよ。 でもねぇ~、これから日本を背負って立つような若い人たちに塩野さんのような考えを持たれたら日本の将来はお先真っ暗になってしまう。

でも、それはケイトーの個人的な考えでしょう?

だから、この記事を読んでいる人にも個人的にじっくりと考えて欲しいと思ってシルヴィーとこうして話しているわけですよ。

。。。で、何を考えて欲しいの?

ちょっと次の文章を読んでみて欲しいのですよ。


 (すぐ下のページへ続く)



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