デンマンのブログ

デンマンが徒然につづったブログ

女と味噌汁 PART 2

2008-07-29 10:51:21 | お笑い・ユーモア・娯楽・ゲーム・音楽


“女っぽい女”と言うのは、人によって定義がかなり違うものだと思いますよう。小百合さんにとって“味噌汁を作らない”という女は、女っぽくないのですよう。おそらく、旦那からも、そう言われたのでしょうね。小百合さんにとって、レンゲさんのような女がロマンチストで女っぽい女なのですよう。


夢のバンクーバー
 
 
2004-8-16 19:46
 
 

 
 
ご苦労様、
ありがとうございます。
バンクーバーでのわたしは、
デンマンさんに
エスコートされて、
のびのびした表情をしていますね。
ここ大阪では考えられません。

わたしの精神年齢は32歳ですか?
大人ですね。
昔から思索にふけることが
多かったのですが、
そういった時に、
わたしは大人になれるのかもしれません。

でも、妄想にふける
中学生のわたしもいますが。
もうひとつ言えば、
不安にさまよう
4歳のわたしもいます。

わたしの詩・・・
(自分では自慰行為と呼んでいますが)
人に見せるのも、まして批評していただけるなんて、
全く初めてだったんです。

デンマンさんが感想を書いて下さって、
冗談ぬきで、舞い上がるようないい気持ちです。
ネットで公開してよかった・・・

デンマンさんは少々わたしのことを、
買いかぶっておられるんじゃないかと、
少し不安です。

わたしがデンマンさんの“心の恋人”足り得るか・・・
いつか、ガッカリさせてしまうのではないかと、
自分自身の内面を省みて、心配になっています。



それにしても、わたしは幸せ者ですね。
この、“夢のバンクーバー”で、
わたしはデンマンさんを独占してしまったのですから
本当にありがとうございます。

質問の方もできるだけ早く、残りをお答えしますね。

by レンゲ




『どうしたら大人の恋になるのですか?』より
 2006年01月17日(火)


この手記を書いたレンゲさんを引き合いに出して、小百合さんは次のように書いていました。




デンマンさんは、私がレンゲさんのような

ロマンチックな女だと期待しているようですが、

私は、そのような女っぽい女ではないのですゥ。

主人は私のことを「中性脂肪」だと言います。

つまり、女っぽくない脂肪の塊だと。。。





『夢とロマンの軽井沢 (2008年7月19日)』より


旦那さんは小百合さんを労(いた)わっている割には、ずいぶんとすっご~♪~い事を言うのでござ~♪~ますわねぇ~。あたくし、このようなことを言われたら、かなり落ち込んでしまうと思いますわぁ~。

ほォ~。。。卑弥子さんでも落ち込む事があるのですか?

デンマンさん!。。。あたくし、これでも繊細な女心を持っているのでござ~♪~ますわア。

人は見かけによらないと言うけれど。。。

あたくしは図太い神経を持っているように見えるのでござ~♪~ますか?

どちらかと言えば、繊細というよりは図太い神経を持っているような印象を僕は受けるのですよう。うしししし。。。

デンマンさんは、あたくしを理解しているつもりでしょうが、5年お付き合いをしているというのに、あたくしの繊細さが全くお分かりになっていないのでござ~♪~ますわね。

うん、うん、うん。。。確かにねぇ~、人を理解するという事は難しいのですよう。実際、小百合さんの旦那は、小百合さんのことを“中性脂肪”と呼ぶけれど、僕には、小百合さんは、とっても女っぽい女に見える。

それは、デンマンさんが、そのように思い込もうとしているからでござ~♪~ますわ。

僕は、決してオツムの中で小百合さんを理想化しているわけではないのですよう。鏡に映して見ないと自分の表情が見えないように、小百合さんは自分の女っぽさを、鏡に映して見ていないのです。



そう言うものでござ~♪~ましょうか?

夏目漱石の孫が次のような事を言っていますよう。


人は、接する相手によって意識、無意識的に言動も人格像も
微妙に(あるいは大きく)変わるし、
本質的な欠損や美点は案外自分には分からず、他人にしか見えない。

でもそれが、人がこの世で生きていると言うことだ。
「自分の事は自分が一番良く分かる」というのは、
たしかに一半の真理だが、一半でしかない。
残りの半分は、むしろ本人にはわかり得ないものだ。




夏目房之介・著書『孫が読む漱石』
(255ページの終わりから256ページにかけて)


どうですか、卑弥子さん。。。?自分の事は自分が一番良く知っているつもりでも、意外に自分では気づかない事ってあるのですよう。

小百合さんにも見えない、旦那さんにも見えない“女っぽい女”を、デンマンさんは、小百合さんの中に見ている、とおっしゃるのでござ~♪~ますか?

そうですよう。

。。。んで、小百合さんの、どのような所が女っぽいのでござ~♪~ますか?

例えば、次のようなところですよう。




前略

かなり急いでやって来たので

なんとなく急(せ)いてます。

まだ、小旅行の途中ですが、

小切手同封します。



アレぇ~~

ちょっと慌てたのでついてしまいました。

上のシミ、何だか分かりますか?

ゼリーフライのソースです。

うふふふふ。。。

食べながら書いているのが

バレてしまいましたね。

代わりの便箋がないので

この便箋で送りますよう。

急ぎます。

駆け足。。。駆け足。。。

どこの郵便局から送ったか?

分かりますか?

分かりますよね?

うふふふふ。。。

早々

小百合より。

5月1日




『メルヘンの夢とロマン』より
 (2008年5月10日)


こういう文章を書く小百合さんに、僕はとっても“女っぽい女”、“かわゆい女”を感じるのですよう。卑弥子さんにも僕の言おうとしていることが分かるでしょう?

つまり、夫婦でも、お互いに見えない部分があるとデンマンさんは信じているのでござ~♪~ますか?

そうですよう。夏目漱石の孫が書いた本を読んだ後で、僕は、たまたま大岡信さんが書いた『拝啓 漱石先生』を読んだのですよう。

。。。んで、漱石の孫の夏目房之介さんと似たような事を書いていたのでござ~♪~ますか?

うん。。。確かに似たような事を書いていたのだけれど、もっと鋭い目で漱石先生を見ていましたよう。漱石先生が亡くなったために未完で終えた『明暗』について次のように書いていました。


人を理解するという事は

とっても難しいということ…




ここで明らかなのは、漱石の人間認識がとぎすまされた結果、人間同士の相互認識などまったくあてにはならないものだということだけを最後に見出しているような、そうした、冷徹な懐疑主義だけである。
漱石は、人間関係の生臭いまでの悪臭の中に身をさらしながら、それらを裸にしてみせ、しかもその裸にされた人間たちがいかに不可解であるかについて、いうならば懐疑しているのである。
人間は裸にしてみればみるほど信じがたいももだという認識が、『明暗』を通じて流れる認識の基調である、といっていい。(183ページ)

残された唯一の解決は、行動による溝の否定でしかない。そして漱石は、そこに次第に近づきながらも、その究極的な答えを見出すことなしに『明暗』を中絶して死なねばならなかったのであった。実際には、漱石が溝の克服として行動の世界を見出していたかどうかということも、決して明らかであるわけではない。ただ、認識自体の不確実性を『明暗』においてのごとく究極的に検討しつくせば、残るものとしては認識の否定でさえある行動のみだということが、想像されるばかりである。(184ページ)

事実、ここでは人間の無力さは、ただに、作中人物同士が互いに相手を知りつくすことができないという点においてのみならず、それら作中人物たちの創造者たる漱石自身が、自分の生んだ作中人物たちを知りえず、彼らの行為を一種驚きの目をもって見ているごとく思われる点で、ほとんど完全に表現されているのである。

何度も繰り返して書いたように、漱石の晩年の作品において次第に澄んでくるのは彼の現実観察の眼だけであって、それは澄めば澄むほど、現実の暗い襞の中にひそんでいる醜悪な部分を明るみに出すことしかできなかった。したがって彼は死ぬまで、本質的な散文作家のみが辿る皮肉で苦しい道すじ、己の描き出す世界の醜さに堪えきれずして澄んだ心境を求めながら、心境の澄むことは、逆になおいっそう深く現実の裏面観察へしか彼を追いやらないという、皮肉な道すじを辿り続けねばならなかったのである。(185ページ)




『拝啓 漱石先生』 著者: 大岡信(おおおか まこと) 出版社: 株式会社世界文化社
1999年2月10日 初版第一刷発行 ISBN: 4-418-99503-X
 

つまり、人を理解するという事は、分かったつもりで居ても、なかなか理解できるものではない、と言う事でござ~♪~ますか?

そうですよう。卑弥子さんは自分が繊細な心を持っていると信じている。でも、見る人によると、その繊細さは見えず、図太い神経を持っているように見られてしまう。うしししし。。。

デンマンさんは、あたくしの事をそのように誤解しているのでござ~♪~ますわ。んもお~~

ほらねぇ~。。。たった、卑弥子さんの繊細さを取り上げただけでも、僕と卑弥子さんの受け止め方が喰い違ってしまう。人間同士の相互認識など、ある意味で、まったくあてにならないのですよう。


【卑弥子の独り言】



ですってぇ~。。。
この世には絶対真理というものがあり得ないと言う事でござ~♪~ましょうか?

ニュートンの万有引力の法則は決して出鱈目ではないのですよね。
でも、絶対真理ではないのでござ~♪~ますう。

人間が月に到達するためにはアインシュタインの相対性理論が必要だったのでござ~♪~ますわ。
でも、アインシュタインの相対理論でさえも、絶対真理ではない、と言うのでござ~♪~ます。

より真理に近づくように、現在の真理が更新されてゆく。

つまり、人を理解するという事もそう言うものなのでしょうね。
要するに、理解する努力を怠ってはダメだと。。。
おほほほほ。。。
ちょっと、あたくしも、哲学的になっているかしら。。。?

とにかく、また、あさって面白くなりそうです。
あなたも読みに戻ってきてくださいね。
じゃあねぇ。






ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

卑弥子さんがずいぶんと

難しいお話をしていますけれど、

イギリスの車椅子の物理学者として知られている

ホーキング博士によると、

光よりも速いスピードで

動く物質があるということですよね。

これまでのアインシュタインの理論では

光よりも早く動く事は

あり得ないと言う事だったのです。

光の速度がスピードの限界だったのです。

でも、そうではないという事が分かったのです。

やっぱり、絶対真理はないのでしょうか。

より絶対真理に近づいてゆく。

。。。で、絶対真理って何でしょうか?

もしかすると、それが神であるかもしれません。

うふふふふ。。。



ところで、卑弥子さんが面白い記事をまとめました。

時間があったらぜひ読んでみてくださいね。

■ 『笑って幸せな気分になれるサイト』



では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。







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