デンマンのブログ

デンマンが徒然につづったブログ

万葉集の謎 PART 2

2008-09-23 11:31:31 | 日本人・日本文化・文学論・日本語



1068 天の海に雲の波立ち月の船星の林に漕ぎ隠る見ゆ (人麻呂歌集
1069 常はさね思はぬものをこの月の過ぎ隠らまく惜しき宵かも (作者未詳)
1070 大夫の弓末振り起し狩高の野辺さへ清く照る月夜かも (作者未詳)
1071 山の端にいさよふ月を出でむかと待ちつつ居るに夜ぞ更けにける (作者未詳)
1072 明日の宵照らむ月夜は片寄りに今夜に寄りて夜長くあらなむ (作者未詳)
1073 玉垂の小簾の間通しひとり居て見る験なき夕月夜かも (作者未詳)
1074 春日山おして照らせるこの月は妹が庭にも清けかりけり (作者未詳)
1075 海原の道遠みかも月読の光少き夜は更けにつつ (作者未詳)
1076 ももしきの大宮人の罷り出て遊ぶ今夜の月のさやけさ (作者未詳)
1077 ぬばたまの夜渡る月を留めむに西の山辺に関もあらぬかも (作者未詳)
1078 この月のここに来たれば今とかも妹が出で立ち待ちつつあるらむ (作者未詳)
1079 まそ鏡照るべき月を白栲の雲か隠せる天つ霧かも (作者未詳)
1080 ひさかたの天照る月は神代にか出で反るらむ年は経につつ (作者未詳)
1081 ぬばたまの夜渡る月をおもしろみ我が居る袖に露ぞ置きにける (作者未詳)
1082 水底の玉さへさやに見つべくも照る月夜かも夜の更けゆけば (作者未詳)
1083 霜曇りすとにかあるらむ久方の夜渡る月の見えなく思へば (作者未詳)
1084 山の端にいさよふ月をいつとかも我は待ち居らむ夜は更けにつつ (作者未詳)
1085 妹があたり我が袖振らむ木の間より出で来る月に雲なたなびき (作者未詳)
1086 靫懸くる伴の男広き大伴に国栄えむと月は照るらし (作者未詳)
1087 穴師川川波立ちぬ巻向の弓月が岳に雲居立てるらし (人麻呂歌集
1088 あしひきの山川の瀬の響なへに弓月が嶽に雲立ち渡る (人麻呂歌集




『月とすだれ (2008年9月21日)』より


事実はそうではない、とデンマンさん見るのですか?

その通りですよう。

つまり、“月の歌”には隠された意味が込められているとデンマンさんはおっしゃるのですか?

そうですよう。

つうことわあああぁ~。。。先ほどデンマンさんが女性が読んだ歌として解釈した1073番の歌も、実は柿本人麻呂が詠んだものだと。。。?

そう考えて読むと全く違った歌物語になるのですよう。どうですか。。。面白いと思いませんか。。。?

。。。んで、そのように考えると、どのように解釈できるのでござ~♪~ますか?

まず、1073番の歌に出てくる「夕月夜」、つまり、「夕方の月」と「夕暮」についての興味深い論文を読んでみてください。


夕暮と死の詩学

「夕暮」は、詩興をそそる上に極めてよい適性を持ち、世界文学において普遍的に注目されている。
これは、夕暮が昼から夜へ移行する時間帯として、濃密な時間意識が内在しており、自然の次元においては風景の変化に富み、社会の次元においては人恋しさが募り、象徴の次元においては生命の衰微を意識させる、といった特徴によるものと思われる。
夕暮は、日本文学においては重要な位置を占めている。
万葉時代からが多く詠まれ、中世以降、高各な「三夕」の歌に代表されるように、特に「秋の夕暮」が日本人の美意識の一つとして定着している。

 (中略)

「夕月夜小倉の山に鳴く鹿の声のうちにや秋は暮るらむ」(古今・秋下・312・紀貫之)という秋の晦日歌の初句「夕月夜」は、「夕方の月」の意味であるが、この歌においては実景ではなく、地名「小倉」を喚起する枕詞として使われている。
それと同時に、「夕月夜」の語感が極めて典雅優美であり、一首全体に機能している。
貫之は「夕月夜」という言葉の総合的機能への愛着により、敢えてそれを晦日題材に詠み込んだものと推測される。

 (中略)

万葉集では、夕暮と「生命衰微」の関連は長歌における対句表現に断片的に現れるに止まり、夕暮の典型的な題材として成り立つには至らなかった。
そのうち、柿本人麻呂の泣血哀慟歌に見える「渡る日の 暮れぬるがごと 照る月の 雲隠るごと」(万葉・巻二・207)「鳥じもの 朝立ちいまして 入日なす 隠りにしかば」(万葉・巻二・210)という表現は、妻の「死」を象徴し、潘岳の「京陵女公子王氏哀辞」に見える「夕陽映を失ひ、晴鳥帰るを忘る。皎皎たる宵月、載ち盈ち載ち微ふ」を背景にするものと考えられる。
平安以降、『出曜経』などの仏典を背景に、「明日知らぬわが身と思へど暮れぬ間の今日は人こそ悲しかりけれ」(古今・哀傷・838・紀貫之)という歌によって、夕暮と「死」の関連が確立される。
以降、夕暮に内在する「生命衰微」の象徴性に対する関心が高まり、「入相の鐘」に生存への不安が託され、命の儚さの象徴として「夕露」が登場し、また、「荼毘の煙」が夕暮に結び付くなど、夕暮と「死」の緊密性はいよいよ顕著になっている。




『古典和歌における夕暮の詩学』より


万葉集の第二巻には“泣血哀慟歌”と呼ばれる長歌が載せられているのですよう。これは柿本人麻呂が詠んだものです。「死」と言う言葉はどこにも書かれてないのだけれど、上の論文にも述べられているように“夕暮れになり、照る月が隠れる”と表現する事で柿本人麻呂は妻の死を象徴している。

つまり、1073番の「夕月夜」は人麻呂が妻の死を重ねて見ていると言うことでござ~♪~ますか?

その通りですよう。

デンマンさんは1073番の歌を、初め次のように解釈なさったのですよね。




玉垂(たまだれ)の

小簾(をす)の間(ま)通し

ひとり居て

見る験(しるし)なき

夕月夜かも


詠み人知らず

万葉集 巻第七・1073



このような素晴しい月夜の晩に、

一人で簾の隙間から月を見ているなんて

なんてつまらないのでしょう。

ああ~、愛(いと)しいあの人と

今宵(こよい)一緒に、

この月を見ることができたら

どんなに素晴しいことでしょう!

ああぁ~、あの方にお会いしたいわ。




『月とすだれ (2008年9月21日)』より


そうです。女性が詠んだものだと僕は思ったのですよう。

。。。んで、柿本人麻呂が詠んだとすると、歌の意味はどのようになるのでござ~♪~ますか?

次のようになると思うのですよう。




このような素晴しい月夜の晩に、

一人で簾の隙間から月を見ているが

ああ~、愛(いと)しいあの人は、

もうこの世の人ではない。

あのように儚(はかな)く

逝(い)ってしまうのであれば、

もう少し足しげく通って、

優しい言葉をかけてあげたかった。

でも、そうできない事情があったのだ。

今更嘆いたとて、どうなるものでもないが。。。

それでも、あの人を思い出すと

慟哭せずには居られない。




このように解釈できるのですよう。

なんだか、とっても悲しい解釈でござ~♪~ますわぁ~。。。でも、デンマンさんは、おっしゃいましたよね。男性が1073番のような女々(めめ)しい歌を詠めばデンマンさんは次のように喚(わめ)くだろうと。。。


オマエ、いい年して、それほど女の子と一緒に

月が見たいのなら、

そんなところでじっとしてないで

夜の街に出てナンパしに行けよう。ゴラぁ~~




卑弥子さんは良く覚えていますねぇ~?

よく覚えていますねってぇ~。。。まだ、おとといの事でござ~♪~ますわ。柿本人麻呂は、もちろん男性でござ~♪~ますわ。それなのに、デンマンさんは“ナンパしに行け!”と喚(わめ)かずに、こうして悲しい解釈をしたのは、どうしてでござ~♪~ますか?

だから、かなり悲劇的な事情があったのですよう。

つまり、柿本人麻呂が史書から抹殺されてしまった事と関わっているのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。持統天皇に毛嫌いされてしまったのですよう。

その事情をぜひ、お聞かせくださいましな。

分かりました。でも、この記事が長くなりすぎたので、また、あさってにしますよう。


【卑弥子の独り言】



ですってぇ~。。。
また、お預けですわ。
デンマンさんの記事は、特に、出だしが長いのですわよう。
あなただって、そう思うでしょう?

とにかく、あさって面白くなりそうでござ~♪~ますわ。
なぜ、柿本人麻呂を史書から抹殺しなければならなかったのでしょうか?

あなたも、どうか、読みに戻って来てくださいましね。
じゃあ、また。。。






ィ~ハァ~♪~!

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